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見切り発車のラノベ


 僕は病室で目を覚ました。同時に感じる違和感。
 それが病室だって事は、瞬間的にわかった。静けさ、白い壁、白い天井、かすかな薬品の匂い。病院独特の。そう。野戦病院とは違う。ちゃんとした設備の、都会の病院。
 ああ。そうだ。野戦病院とは違うのだ。あんな野戦病院とは。
 そう思い出しかけて、思考の糸が途絶える。プツンと切れると言うより、ふっと消失するような感じ。違和感。
 どうして僕は病院にいるんだ? 病院のベッド? 僕は倒れでもしたのか?怪我か、病気か、それとも。
 経緯を辿ろうとする。
 同時に、ナースコールボタンを探す。それはベッドの上部にあり、右手を頭上に伸ばしたら、すぐに指先に触れた。コードの感触で直感的に理解し、右手はすぐにボタンを押していた。
 「どうされましたか?」
 「すまない。状況が把握できない。なぜ僕はここにいる?」

 聞こえてくるナースの声に、僕は手短に訊いた。
 「はい。お目覚めになられたんですね。すぐお伺いします」
 そう言ったナースが、マイクから離れ「5号室のウカジさん、意識が戻ったようです」とナースセンターの誰かに告げた。
 ナースコールが切断され、思わず苦笑いする。
 今、いくつかの事が把握できた。僕はどうやら意識不明で病院に運ばれたらしい。重体だったのか否か。おそらく後者だ。
 まず、軽く試したし、ナースコールを探した時点で明確なのは、全身、無事に動くってこと。手足の指先まで問題なく動くし、何処にも痛みはない。
 重体ではないと言うのは、呼吸器や大仰な機械どころか、点滴さえ打たれていなかったからだ。
 何日、いや、何時間眠っていたのかはわからないが、筋肉に衰えは感じない。むしろ肉体自体はぴんぴんしている。上半身を起こし、周囲を見渡す。何の変哲も無い。普通の病室。いや、窓がない。白昼色のライトが部屋を余計に無機質に思わせた。
 なぜ苦笑いしたか。「ナースは意識が戻った」と言った。そう。僕の名を「ウカジ」と呼んだ。
 困った事に、意識とやらは戻ったらしいが、僕自身の意識が戻っていない。
 ここは何処だ? 僕は誰なんだ? ウカジと言うのが僕の名前なのか? 僕は何故、病院にいる?
 ここは何処? 私は誰? なんて創作物の中だけにしてもらいたい。だが、漠然とした不安は残るものの、不思議と落ち着いている。
 記憶がなさすぎて、不安に思う材料がないのか。それとも、この肉体の持ち主「ウカジ」が相当に呑気な性格だったか。あるいは、肝が座っていたのか。

 「おはようございます。何処か痛んだり、気分が悪かったりしませんか?」
 数分後、部屋に訪れたナースがそう言った。声からすると先程の声の主だ。名札には「石川」と書かれている。どうやら、漢字は読めるらしい。そうすると、僕の名前のウカジも宇梶だったりするのだろうか。
 「体調的には至って健康っぽいんだけど、どうやら記憶が飛んでるらしい。状況がサッパリ掴めないんだ。だから、教えて欲しい。それと、鏡が欲しい。自分の顔も思い出せない」
 「記憶が? 冗談で言っているわけではなくて?」
 「冗談だと思いたいのはこっちだ。自分が誰かも思い出せない」

 僕がそう言うと、ナースは黙って僕の背後を指差した。瞬間に理解し、ナースコール装置のあった付近へ振り返る。
 ベッドに付けられたネームプレート。
 「宇賀寺 京介」 ウカジ キョウスケ。どうやらそれが、僕の名前らしい。まるで何も思い出せないが、違和感はない。いや、違和感がないと言うより、懐かしさも納得も違和感もない。つまりは無感情で、無感動。だがそれは、心が動かされないと言う意味ではなく、単に判断に至る材料が足りなさ過ぎて、何も思えないのだ。
 「眠っている間にほとんどの検査は済ませていますから、健康体と思ってください。記憶がないと不安かも知れませんが、後からドクターがお見えになります。看護師の私からいい加減な事は言えませんが、脳震盪による記憶障害自体は珍しい症状ではありません。完全な記憶喪失なんて、ドラマみたいなケースはともかく」
 ナースが冷静に告げ、部屋に洗面所が付いている事を教えてくれた。僕はベッドから降りると、洗面台へと向かう。
 「ホントは絶対安静を言い渡されているんですけどね」
 ほんの少し恐怖を覚えながら、鏡の中にいる自分を見る。

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 思ったよりも痩せている? いや、思ったよりも若い? いや、老けている気がしなくもない。ガッカリするような不細工ではない。いや、むしろ男前なのではないか。自分の美意識的にはそう思うが、判断基準となる美意識は何処から来ているんだ? そんな疑問は思考を満たすものの、記憶が戻る気配はない。自分の顔を見ても、まるでTVの中の出来事にさえ思えるほど、実感がないのだ。
 僕は一体誰なんだ?
 「気が済んだらベッドで安静にしてください。ドクターに怒られるのは私なんですから。記憶障害そのものは、稀な症状ではありません。お酒の飲み過ぎなんかがわかりやすい例です。短期記憶しかできない障害もありますし、過去の記憶をなくした例ではーーー、そうですね。私が見た限りだと、自分が誰かをまるで思い出せない人は2人いました。1人は2日後、完全に記憶を取り戻しました。ただし、記憶を失っている間の2日間の記憶はすっぽり抜け落ちていました」
 僕がベッドに戻ると、横たわるように指示され、布団を掛けられる。
 「あとの1人は?」
 「借金取りから逃げるための嘘でした」
 「そいつはいいな」
 「借金苦から自殺を図るも死に切れず、記憶喪失になったフリをすれば、どうにかなると思ったらしいです」
 「僕がそれだと?」
 「態度を見る限り、そうは思えませんね。ただ、私が宇賀寺さんの立場なら、そうやってでも逃げるかも知れません」

 ナースが意味深な言葉を発した。そうだ。この病室に感じたたったひとつの違和感。それは、窓がない事だ。その点は普通の病室ではない。
 考えられるパターンとしては、脳の記憶障害ではなく、精神的な記憶障害の可能性だ。例えば、僕が二重人格で、それまでの記憶は、もう一人の人格が有している、とか。
 例えば、僕は多重人格者で、今のこの意識は、新たに生まれた人格の1つでしかなく、だからこそ記憶がないのかも知れない。
 いや、かと言って鉄格子が付いた窓という訳でもないのだ。精神病院に入った記憶どころか、記憶そのものがない。しかし、噂に聞く? 一般論的に? 脱走や自殺防止のために、窓に格子がしてあるのではないか。窓そのものがない理由にはならないし、それにしちゃ扉は鍵もかけられないような普通の物だ。
 だとすると、医療刑務所? いや、医療刑務所がどんな場所かはわからないが、やはり囚人が自由に動ける環境にはしないのではないか。
 僕の疑問がどんどんと膨れ上がる。一体僕は何者なのか。

 「気分はどうだね? 宇賀寺二佐」
 不意に聞こえた男の声は僕を指して確実に「二佐」と呼んだ。声の方を見る。白衣の男がもう一人のナースを従えて、病室の入り口にいた。初老だが、肉体は大柄で姿勢もいい。おそらくは医師だ。
 ナース、石川さんだったか、が、男の側に寄り、事情を説明した。また苦笑いが出る。
 一番最初に何を想像した?
 あんな野戦病院とは違う、と。
 そうか。ここは軍病院なのか。そして僕は軍人。だとすれば色んな事に納得はする。例えば、記憶がないにもかかわらず動揺しない自分自身。石川さんの言った、僕の立場なら「逃げ出しているかも知れない」という言葉。
 軍病院がどんな所なのかは知らないが、知らないからこそ、病室に窓がないって事にも納得はする。
 状況は掴めないが、現在が有事で何処かの国と絶賛戦争中だとしたら、逃げ出したい奴は山ほどいる事だろう。それに、二佐だと。記憶? 知識? が正しければ、二佐ってのは上から数えた方が早いお偉いさんじゃないか。
 さっきの鏡を見た限り、そんな年齢には見えなかったが、だからこそ曰く付きって事になる。
 「宇賀寺二佐。大体の事情は、今、報告を受けた。少しいいかな」
 「僕も、大体の事情って奴を教えてもらいたいんですがね」
 「記憶がなくとも、減らず口は変わらんな。こういう挨拶は妙だが、私はヤン。漢字で太陽の陽だ。見ての通りの医師。キミらの担当医だ」

 日本人じゃない事に些か動揺を隠せない。アジア人の見た目と、軍の階級から、外国人の可能性を考えなかったのだ。
 「僕はたぶん宇賀寺京介。たぶんね。ドッキリTVカメラの仕業だと思いたいけど、記憶がないのは僕だけの問題らしいから、状況を知りたい」
 「お前の記憶がどれほど損なわれているのかはわからんが、"敵"の存在については?」

 どれほども何も全て失われている。だが、それは本当に全てなのか。野戦病院の経験があるのか。今言ったドッキリTVカメラの存在をなぜ知っている? 何に関する記憶が抜け、何に関する記憶が残ったのか。少なくとも言語は問題なく話せる。何が記憶で、何が記憶ではない経験や反射なのか、それさえもわからない。敵と言われても、まるでピンと来ない。
 「敵、ね。やっぱり何処かの国と交戦中なの?」
 「オブスキュア」
 「obscure("不明瞭")? 敵国がわからない状態なのか⁉︎」
 「どうやら、本当に記憶がないらしいな。今、世界中でオブスキュアの存在を知らない奴はいないぞ。演技だとしたらアカデミー賞ものだ」
 「ラングドンじゃあるまいし。アカデミー賞は逃したんじゃなかったか?」
 「ラングドン?」

 言った直後に、自分でも驚く。古い映画の記憶はある。観た記憶はない。だが、記憶とは直接関わらず、記録を引き出す事は不可能ではないらしい。
 「いや、何でもない。それより、オブスキュアについて知りたい」
 僕はそう言った。いずれにせよ、この状況から逃げ出せそうにはない。やれる事をやるしかないのだから。
 『やれる事をやるしかないのだから』
 そう思った瞬間、デジャヴが襲う。いや、失われた記憶にアクセスしているのか、それとも単なる既視感か。わからないが、正夢が現実になった時のような既視感に似ている。
 「オブスキュアについては、何処から説明すりゃいいのか」
 陽が困った顔をしていると、突然、病室の扉が開かれ、細っこい影が侵入してきた。

 「キョースケ! 無事だったのね!」
 駆け寄ってきた、その細いシルエットは、甲高い声で叫ぶと、突然ベッドの僕に抱きついた。甘い香り。細くてふわふわなブロンド。突然首に抱きつかれたので、顔は見えないが、おそらくは若い女性。どちらかと言えば女の子と呼んだ方が正しいだろう、肌の張りだ。
 「宇賀寺二佐は、現在、記憶が混濁している。作戦に戻すのは精密な検査を終えてからだ」
 陽の言葉に、金髪の少女が僕を解放した。
 「ドクター・ヤン。医師免許ならアタシも持っている事を忘れてないでしょうね?」

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 「忘れてないよ。超天才児」
 「ならいいわ。記憶がないって本当なの?」

 ようやく、少女がまともに僕の顔を見た。透き通るような白い肌。繊細さと豪華さを兼ね持つ金髪。大きく、そして透明感のある青い瞳。長い睫毛。バランスよく整った顔立ち。年の頃は、20歳を超えてはいないだろう。文字通りの美少女だ。
 「アタシの顔を見て、一瞬たりともキミを忘れてすまなかった! 思い出したよハニー! 愛してる! って言わないところを見ると、本当に記憶喪失みたいね?」
 芝居掛かった言い方に、
 「記憶はないけど、あっても絶対に言わない気がするんだけど」
 溜息交じりに返す。確かにこの娘は美少女ではあるが、芝居掛かった高いテンションは苦手らしい。
 「あら? どうしてそう思うの? 愛しい彼女を前に照れてるのかしら?」
 彼女はそう言いながら、ベッドに座り直す。
 言葉ではそう言うものの、僕の記憶が戻らない事に落胆しているのか、伏し目がちに寂しそうな横顔を見せた。
 「まぁいいわ。アタシはティナ・アシュケナージ。あなたのパートナーよ」
 すぐに笑顔で僕の方に向き直るティナ。苦手だと言う意識が揺らぐほどに可愛らしい。
 「パートナーってのは、対オブスキュアの話?」
 「公私共によ」

 ティナがニッと笑って、肌よりも白い歯を見せた。
 「じゃあ、ティナ。とりあえずオブスキュアについて教えてくれるかな?」
 



 昔から抱えているネタは、長期間考えているだけあって、知識の増加や知識不足、矛盾点や好みの変化など、色々思うところがあり、なかなか形にしづらい。それに対し、思い付いたホヤホヤのネタは柔らかいのか、形にしやすい。思い付いたネタを形にしたかったので、何も考えずに見切り発車した。アニメで言えば1話Aパートぐらいの感じなので、全24回12話ぐらいで終わりたいと考えているが、完全に見切り発車なのでどうなのかはわからない。



 ※ この短編連作小説はすべて無料で読めますが、続きが気になるって人は投げ銭(¥100)とかサポートをお願いします。なお、この先には特に何も書かれてない、、、はず?


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。