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雨乞い銭と鬼の首


 むか〜しむかし、ある所に、爺さまと婆さまが、住んでおった。
 爺さまは、いつものお寺の法事で、お坊さんの話を聞いておったところ、村に鬼が出るから気を付けなさい、と注意された。
 「へえ。でも、なんで山でなくて、村に出るんです?」
 爺さまの問いかけに、お坊さんはこう答えた。
 「人間、一皮剥けば、みんな鬼だからのう」


 はい。皆さん、こんにちは。渡る世間の鬼話、木賃ふくよし(芸名)です。
 なんか、タイトルが昔話っぽくなったので冒頭がこうなりました。はい。
 さて。先日、こんな事がありましてね。




 要はお賽銭に変造コインが含まれており、変造コインは犯罪ですよ、と寺側が窘めた訳ですが、この変造コインに「いわく」があったため、妙な事になったのだ。




 雨乞銭。


 かつての風習で、丸い硬貨に放射状の傷を付けて賽銭をする、という風習の事である。
 どうやら、上から見た傘(番傘?)に見立てた様らしい。

 ワタクシはこの「雨乞銭」を知らなかった為、単純に「勉強になったわ」と感心していたのだが、このツイートのリプライ欄が荒れに荒れていた。

 要は、「硬貨変造は犯罪だ!」派と、
 「風習なんだから看過しろよ」派である。


 何処からループが始まったのか知らないが、「硬貨を意図的に変形させるのは犯罪!」↔︎「風習なんだから守っていかねば!」が言い合っているのだ。
 元々、寺側がこの「雨乞銭」の存在を知っていたのか、知らなかったのか、知っていて言及していないのかはわからない。
 しかしまあ、いずれにせよ「変造コインは犯罪」だし、それを賽銭に貰っても処理に困る、という事を言いたかったのだろう。

 が、コレが「雨乞銭」であったが為に、事態がややこしくなった事は間違いない。
 ワタクシの意見は間違いなく、「変造コインは犯罪」派である。
 実際、ワタクシは手品が好きなのだが、「手品のタネに使うための硬貨の加工は犯罪である」という判決が出ている。手品はダメだけど、雨乞銭はOkなんて、そんな理屈はない。
 法律なのだ。Aさんが人を殺しても犯罪にならないが、Bさんが殺すと犯罪、なんて事は許されない。
 だから、硬貨変造は犯罪。風習であろうと犯罪は犯罪。これは揺るがない。

 無論、文化や風習と言うのは尊重されるべきである。
 だが、「雨乞銭」のように、日照りが続いた時、


 人柱として若い娘を一人、川に沈めて神に捧げる習慣、文化、宗教行事があると言われたら、それは容認されるのか?


 断じて否である。


 許されてはならない。
 所詮、法も文化も倫理も、時代とともに変化するものでしかない。だが、法治国家である現在、最終的な判断は法に委ねるしかないのだ。したがって、犯罪は犯罪。これは揺るがない。

 だが、ここで考えて欲しい。

 原告と被告は何処にいるのだ?


 わかりやすく言えば、原告は寺であり、被告は変造硬貨を作った人であろう。あるいは、変造硬貨を賽銭に投げ入れた人かも知れない。

 しかし、実際に訴えを起こしているのか? いや、おそらく起こしていない。硬貨を変造した人も、投げ入れた人も、まず特定できないであろう。それが現実である。

 ならば、リプ欄で言い争う人たちは、何処にいるのだ?
 何のために言い争っているのだ?

 ハッキリ言えば蚊帳の外である。無関係だ。関係ないのである。
 寺側は「これをウチに投げ込まれても困るよ」って意思表示でしかない。では、蚊帳の外である我々は、そう言う文化があった事を知り、尊重した上で、それを行わない。それだけでいい。どうせブツブツ言ってる奴の99%は雨乞銭なんて知らなかったし、した事もないはずだ。

 状況から考えても、変造した人と、投げ入れた人は別だろう。何なら、変造した人が他界していても、何の不思議もない。死人は罰せぬのが法であり、現実である。
 それに、罰するとしても、どれほどの罪だと言うのだろう。投げ入れた人となると、更にどれほどの罪になると言うのだろう。

 リプ欄で言い争っている人たちは、結局のところ、「文化を守れ!」とか「法律を守れ!」と、自分の正義を振り回して気持ちよくなりたいだけなのだ。
 あるいは、「硬貨変造は犯罪」って事を知ってる知識自慢がしたいとか、「雨乞銭も知らないの?」って言いたいだけだろう。


 それこそ、鬼の首を取ったみたいに。


 最終的に、寺側が「雨乞銭」を知っていたかどうかはわからないが、ツイートの内容を見る限り、もっとも穏便に「変造コインを投げ込まないでね」と伝えている時点で、我々の側が察するべきではなかろうか。
 本当のところはわからないが、争わないように熟慮された呟きさえも、争いの種にしてしまう我々こそ、あらゆる問題の根源なのではないかと思う次第である。


 どうでもいいけど、初めて「雨乞銭」という字面を見た瞬間、


 雨宿りに寺の境内に入ったら、賽銭箱が目につき、つい賽銭泥棒をしてしまった物乞い、という「魔がさした」的な故事なのかな、と想像してしまった。
 リプを読んで、自分でも調べて意味を知ったが、最初のイメージが払拭しきれず、リプの諍いを見て、


 賽銭泥棒を、小さくても悪は悪だと斬り捨てた浪人が、今度は人殺しだと刑吏に斬り捨てられる、


 羅生門みたいな物語が
 頭にこびりついて離れない。


 いつの世も、世は黒洞々たる闇である。



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 なお、この先には特に何も書かれていません。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。