見出し画像

”難しい”とはどういうことか?認知科学、市場経済、教育など多様な視点から考察

はじめに:そもそも「難しさ」とは何を意味するか?

素朴な問い:「難しい」とはどういうことか?

日常生活で「難しい」と感じるタイミングは皆さんもよくあるのではないでしょうか。「難しさ」を感じる事柄は人によって様々であり、例えば数学の問題が解けない時であったり、新しいスキルを習得しようとした時、あるいは人間関係の摩擦に直面した時など多岐にわたります。

しかし改めて考えてみるとこの「難しい」とは一体何でしょうか。

この語は様々な文脈で使用されるため、日常的に利用される用語なのにもかかわらず意外と語の意味自体は曖昧なままかもしれません。

「難しい」という言葉は誰もが用いる語であり、それは学術的な文章で使用されることもあれば、日常会話でもよく耳にします。しかしこの語が指し示す「難しさ」とはどのようなことを意味しているのでしょうか。そもそもそれは主観的な感覚なのか、それとも何らかの客観的な基準に基づいているのか──「難しさ(困難さ)」とは素朴な概念であるものの、充分に学術的に探求するに値する主題だと言えそうです。

「難しい」という概念の一般的な理解のために

本稿の目的は「難しさ」という感覚ないし概念を諸々の知識領域の観点をもとに捉え直すことで、その定義や影響、さらにはそれとの向き合い方について考察することです。

本記事は以下のような構成で進みます。第1章では「難しさ」の多面性について考察します。第2章では「認知的負荷」という概念を詳しく解説し、認知科学の視点から「難しさ」について探り、第3章では認知的負荷を減少させるための方法をいくつか紹介します。第4章では経済的な観点から、第5章では教育という文脈での「難しさ」に焦点を当て、第6章ではテクノロジーが「難しさ」に与える影響を提示します。最後に具体的な事例をいくつか紹介し、「難しさ」についての探求がアクチュアルな(現実的な、実際的な)意義を持つことを示します。

本記事で示される内容が学術的な「難しさ」の概念分析に貢献するものであること、また読者の皆さんが直面する「難しさ」へ対処することに貢献しうる内容となることを願っています。

「難しさ」の多面性

「難しさ」の定義をめぐって

「難しい」という言葉が指すものは一体何でしょうか。一般に、この言葉は何か特定の活動や課題が容易に達成できない状況を指す場合が多いです。しかしこの「難しさ(困難さ)」という概念は必ずしも一様なものではありません。難しさには大きく分けて「客観的な難しさ」と「主観的な難しさ」という二つの側面があると言えます。

客観的な難しさ
「客観的な難しさ」とは、課題そのものが持つ困難さを指します。例えば大学入試の数学の問題が高度な計算能力を必要とする場合、その問題は「客観的に難しい」と言えるでしょう。

主観的な難しさ
一方で「主観的な難しさ」とは個々の人が感じる困難さを指します。同じ大学入試の数学の問題でも、数学が得意な人にとっては「簡単」である場合もあれば、得意でない人にとっては「難しい」と感じる場合もあります。

異なる分野での「難しい」

「難しい」という概念は数学やその他諸科学だけでなく、様々な分野で用いられます。言語学では文法の複雑さや語彙の豊富さが「難しい」とされる場合があります。またスポーツでも特定の技術の習得が「難しい」とされることもあるでしょう。例えばゴルフのスイングやバレエの特定のポーズなどです。

人によって「難しさ」が異なる理由

何を「難しい」と感じるかどうかは、人それぞれ異なります。これは個々の認知能力、前の経験、教育水準、そして時には文化的背景までもが影響しています。後述する認知的負荷、モチベーション、自己効力感(ある事柄を自己がコントロールデキているという感覚)など、多くの心理学的要素も関与しています。

※やや硬い表現で補足すると、「難しさ」は”感受”されるものであり、同じ注射の痛みでも人によってその「痛さ」を大きく感じたりほとんど感じなかったりといったように、受け手に依存する感覚だと言うことができよう。ただ「難しさ」を感知し、その帰結として主体が身体の外部に反応を表出するのであれば(腕を組むとか額に汗をかくとか貧乏ゆすりをするとか)、量的に、すなわち”気持ち”ではなく”数値”として「難しさ」を測ることもできるとも言えるかもしれない。つまり、数十〜数百人を同一の「困難を感じる課題」に直面させ、その際の身体運動を計測し統計学に基づいた数理処理にかければ「難しさ」は計測できるかもしれない、ということだ。

「難しさ」とは「認知的負荷」?

認知的負荷(Cognitive Load)とは何か?

「難しい」という概念を認知科学の視点から探ると、"認知的負荷(認知負荷)"という概念が中心的な役割を果たしていると思われます。「認知的負荷(Cognitive Load)」とは、「ある課題を解決または処理する際に必要な精神的なエネルギーのこと」です。(←ちょっとスピリチュアルっぽい表現w)

認知的負荷が高い問題に直面すると、パフォーマンス、学習効率は低下してしまいます。逆に認知的負荷が適切に管理されていると、より効率的な学習と高いパフォーマンスが期待できます。

外部負荷と内部負荷

認知的負荷(認知負荷)は、外部負荷と内部負荷に大きく分けることができます。

外部負荷(Extraneous Load)
外部負荷とは、課題解決や学習に必要ではない情報処理や活動に関わる認知的負荷を指します。例えば複雑な数式を見てその構造を理解する際、数式自体とは関係ない装飾や余分な情報があると、それが外部負荷となり得ます。この外部負荷は基本的には不必要なものであり、できる限り排除するべきです。教材設計やプレゼンテーションの構成においてはこの外部負荷を最小限に抑える工夫が求められます。

教育的コンテキストでの外部負荷の例としては、多くの情報が同時に提示されるスライドや関連性の低いサイド情報が多い教科書があります。これらは学習者が本来集中すべき情報から注意をそらし、学習効果を下げる可能性がありるのです。

内部負荷(Intrinsic Load)
一方で内部負荷とは課題そのものの複雑性に起因する認知的負荷です。この内部負荷は、個々の課題や問題が持つ固有の「難しさ」に直結しています。例えば簡単な足し算は低い内部負荷を持ちますが、複雑な微積分の問題は高い内部負荷を持つと言えます。

内部負荷は、その性質上簡単に排除することはできません。ただし教育的アプローチや訓練によって、この内部負荷に対処するスキルや戦略を身につけることは可能です。この点では、内部負荷は教育や訓練の質に直接関わる重要な要素となります。

外部負荷と内部負荷という2つの区分によって「難しさ」に対する理解が深まったのではないでしょうか。

デカルトに学ぶ認知的負荷を軽減するコツ

認知的負荷を管理する考え方は、17世紀の哲学者René Descartes(ルネ・デカルト)の思想にも拠ることができます。デカルトは『方法序説』において、真理を探求する一連の方法論を提示しています。この方法論は以下のような四つのステップからなります。

 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意深く即断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。
 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
 第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから初めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見通しをして、なにも見落とさなかったと確認すること。

デカルト『方法序説』28-29ページ

つまり端的に言い換えると、以下のような規則です。

①曖昧な認識を排し、明晰かつ判明なもののみを判断の根拠とせよ
②難問に直面した際はそこに含まれる要素を可能な限り分解せよ
③認識が容易な、単純な事柄から順序立てて推論せよ
④最後に、推論に必要な諸要素をすべて列挙していることと、その妥当性を確認せよ

特に「問題の分解」は認知的負荷を減らす効果的な手段として現代の教育心理学や認知科学でも用いられています。デカルトの方法論が示すように問題を小さな単位に分解することで、それぞれの小問題に対する認知的負荷が低減され、全体として課題が容易になる可能性があります。

認知的負荷を軽減する方法

先ほどデカルトから認知的負荷を減らすポイントについて学びましたが、以下ではプレーンな観点で(特に誰か特定の哲学者が提唱した観点ではない)認知的負荷を減らす方法についていくつか見ていきましょう。

知識の整理と整頓

認知的負荷を軽減する最も効果的な方法の一つは、既存の知識を整理・整頓することです。認知心理学分野の研究では、関連する情報をグループ化することで記憶と理解が向上することが示されています。例えば異なるジャンルの書籍を読む場合でも、共通のテーマやキーワードに注意を向けることで情報の整理が効率的に行えます。

※心理学や情報科学では知識のまとまりや体制は「チャンク」や「スキーマ」と呼ばれたりしている

スキルの分解

何か新しいスキルを習得する際にはそのスキルをさまざまな部分に分解し、それぞれを独立して学習する方法が効果的です。例えばピアノを弾く技術を習得する場合、手の動き、譜読み、リズム感を別々に練習することで全体としての技術が向上します。

複数の情報ソースの活用

認知的負荷を軽減するためには情報源を多角的に参照することが有効です。テキストだけでなく、動画、インタラクティブな教材(ゲーム的な要素がある教材、AR/VRを用いる教材など)、実践的な練習など、多くの情報ソースから学ぶことでより深い理解を得られます。

実践と反省

言語で明示された理論的な知識(形式知)だけではなく実践を通じて得られる「暗黙知」も認知的負荷の軽減に寄与します。例えば自転車の乗り方を学ぶ場合、言葉だけで学ぶよりも実際に乗ってみることでより速く習得できるでしょう。その後の反省やフィードバックを通じて次回の学習効率も上がるでしょう。

ここまで神経科学の「認知的負荷」という概念をもとに「難しさ」について考えてきました。以下では経済、社会、文化、教育、技術といった個々の領域の観点から多面的に「難しさ」について見ていきましょう。

経済(学)的側面における「難しさ」

まず「経済」という領域において「難しさ」はどのような影響があるかについて簡単に見ていきましょう。

市場の中の「難しさ」と報酬の関係

経済学でも「難易度(難度)」は重要な観点です。
労働市場において専門的なスキルや高度な教育が必要とされる職業(投資家、士業、エンジニアなど)は、その「難易度」が高いとされることが多いです。これらの職業は高い報酬が期待される職業でもあります。

需要と供給による価値の決定

「難しい」とされる仕事の成果物やその製作に高度な技能が要請される製品は、しばしば高い価格が付けられます。これはそのような成果物や製品の生産には高いスキルが要求されるため、供給が限られることが多いからです。

逆選択と情報の非対称性

「難易度」が高いとされる分野の場合、情報の非対称性や逆選択が問題になることがよくあります。例えば高度なスキルや知識が必要な仕事では、雇用者がそのスキルを正確に評価するのは「難しい」です。このような場合には信用や評判によって「能力」が見積もられてしまい、見積もられた能力と実際の能力と乖離してしまってしまう場合があります。


経済格差と「難易度」

「難易度」が高い職業やスキルに対するアクセスが限られている場合、それが経済格差を生む一因ともなります。教育やトレーニングが必要なスキルは、資源が豊富な人々によって独占される可能性があります。

『ケーキの切れない非行少年たち』という本が2020年にベストセラーになりました。『ケーキの切れない非行少年』では認知能力が低い少年・少女たちが認知能力が低いゆえに非行に走ってしまう様子が描き出されています。例えば、他者の考えを汲み取ることができないためにけんか腰な態度をとりがちになってしまったり、暴力をふるってしまったりといったことです。

その後筆者はシリーズの続編として『どうしても頑張れない人たち』というタイトルの本も出版しますが、認知能力の低さは成人の経済的な待遇のみならず青少年期の過ごし方から大きな影響を与えていると言えます。子どもは教育活動によって社会化(socialize)され成人になり生産活動に従事するようになりますが、認知能力が低ければ”どう頑張っても社会化されない”と言えるのではないでしょうか。ここで述べた内容は現代社会に深い問いを投げかけていると言えます。

次章では教育という切り口から「難しさ」について見ていきましょう。

教育という観点での「難しさ」

教育様式によって変容する「難しさ」

教育の目的によって「難しい」とされる基準も変わります。例えば多くの伝統的な教育体系では暗記と試験による評価が中心であり、このようなシステムでは一般に記憶している情報の量が「難易度」を左右する要素となります。しかし新たなスキルとして「批判的思考」や「問題解決」が重視されるようになった昨今では、単なる知識の保有だけでは意味をなさないとも言われるようになりました。このように教育の評価基準に応じて、何が「難易度が高い」とされるかは大きく変わるでしょう。

教育方法と認知的負荷の関係

教育方法、特に教材や教育技術の設計は認知的負荷に大きな影響を与えます。例えば情報が過多なテキストブックや複雑すぎるWebサイトは、学生が必要な情報にアクセスする際に認知的負荷を高める可能性があります。また教授法も重要であり、同じ情報でも話し手が明確で理解しやすい説明をする場合と複雑で理解しづらい説明をする場合とでは、学生の感じる「難しさ」は天地ほど違います。(←「天地ほど違います」はGPTの原文ママですw)

学習者のモチベーションに影響を与える「難しさ」

評価方法や基準も「難しさ」に影響を与える重要な要素です。例えば厳しい評価基準や競争率の高い環境は、学生に「これは難しい」と感じさせる一因となります。このような環境では評価に対する恐れやプレッシャーが認知的負荷をさらに高める可能性があります。負荷のかかる状況が学習者のモチベーションにネガティブな影響を与え、モチベーションが低下してしまい一層課題が「難しく」感じられるという悪循環が生じることもあります。

テクノロジーと「難しさ」の関係

これまで神経科学、市場経済、教育といった視点から「難しさ」について考察してきました。以下ではこれまでと違った角度から、すなわち近年ますます発展を遂げているテクノロジー「難しさ」の関係について見ていきましょう。

人と機械の「難易度」

コンピュータやAIは高度な計算能力を持ちますが、人間が「難しい」と感じる課題は必ずしも機械にとっても「難しい」わけではありません。例えば複雑な数学的計算はコンピュータにとって容易でも、人間社会で日々生じる問題や曖昧な主題に対する理解力はまだ不足しています。このように「難易度」の基準が大きく異なるため、人間とAIの共存や協働には多くの課題があります。

AIの認知能力

近年のAIの進展、特に深層学習(Deep Learning)は、人間に近い認知能力を持つ機械を実現しています。しかしながらその認知の様式は人間とは大きく異なる点が多く、この違いがどのように「難易度」に影響するのかは興味深い研究テーマです。例えば人間は多くの経験と文脈を用いて「難しい」問題に対処しますが、AIは大量のデータと高度な算法に依存しています。

※ここでちょっと”原理的な”コメントをしておくと、データとは過去の経験の蓄積であり、そういう意味ではデータとは徹底的に過去の産物である。(とはいえこの世に現存しているモノで未来で産出されたものは現在という時間において存在するかと言われれば存在しないのでデータだけことさらに過去の産物だと強調する必要もないかもしれない。”革新的な”、”クリエイティブな”アイデアでも、結局はそれを成り立たせている諸要素の組み合わせが”革新的”、”クリエイティブ”と呼ばれているに過ぎない。)

テクノロジーの進化と認知的負荷

作業の自動化とスキルセットの変化
諸々の技術が進歩することで、かつては「難しい」とされていた多くの作業が機械によって簡易化、自動化されています。例えばデータ解析、製造、通信など多くの分野ではAIやロボティクスが日々活躍しています。このような効率化・自動化はビジネスパーソンに求められるスキルセットを変化させるものです。特定の専門性が不要になる一方で、新しいスキルが求められつつあります。この「望ましいスキル像」の変化は、個々の認知的負荷にも影響を与え、何が「難しい」かという基準も変わりつつあります。

テクノロジー依存と認知能力の低下
テクノロジーが進歩すると人々はその便益を享受できる一方で、特定の認知能力の低下を招いてしまう場合もあります。例えばGPSの普及によって地図を読む能力が衰えたという事例があるようです。またスマートフォンが普及したことで即座に情報を調べられるようになった反面、集中力が低下してしまったとも言われています。このような認知能力の変化が新しい形での認知的負荷を生み出しています。

デジタル疲労と情報過多
テクノロジーがもたらす認知的負荷の一つに、デジタル疲労や情報過多があります。スマートフォンやコンピュータを用いる時間の増加によって、目の疲れや集中力の低下が引き起こされる場合があります。またSNSやWebサイトで容易に大量の情報にアクセスできる現代においてはその情報の取捨選択や優先順位付けといった新たな「難しさ」を生み出しています。

インタフェースとユーザビリティ
テクノロジーの進歩はUI(ユーザーインタフェース)やユーザビリティ(使いやすさ)にも影響を与えます。使い勝手の良いインタフェースは認知的負荷を減らす可能性がありますが、逆に複雑で使いにくいインタフェースは使用者にとっては非常に「難しい」ものと感じられる場合があります。

以上のように、テクノロジーの進歩が人々の認知にどのように影響を与えているかは注目されるべきトピックです。

「難しさ」を理解するための4つの事例

ここでは現代的な「難しさ」に関する事例を紹介します。

マテリアルデザインの重要性

教育の場において教材や授業のデザインが認知的負荷にどれだけ影響を与えるかが明らかにされています。例えば複雑な数学の問題を解く際、視覚的なサポートがあると認知的負荷が軽減され、理解が深まるとされています。このような事例から、単に「難しい」問題に挑戦するだけでなくその「難しさ」にどうアプローチするかが重要であるという点が浮き彫りになります。

行動経済学で注目される「ナッジ理論」

経済学の一分野である行動経済学においては、消費者が多様な選択肢の中でどのように決断を下すのかが研究されています。ナッジ理論はちょっとした仕組みで人々の選択をガイドすることで、より善い結果を導こうとする理論です。この理論が示すように情報の提示の仕方や選択肢の設定が「難しい決断」を簡単にする可能性があります。

参考:大竹文雄『行動経済学の使い方』岩波新書、2019年
↑ちなみにこの大竹先生は現日本経済学会の会長です。権威を感じますね!そんだけナッジが注目されてるってことっすね。

ゲームは「難しい」からこそおもしろい?

人気のあるビデオゲーム「ダークソウル(Dark Souls)※」は、その高い難易度で知られています。プレイヤーたちはこの難しさを楽しむためにゲーム内の構造やメカニズムを深く理解することで認知的負荷を管理していると言えるでしょう。このゲームが示すように「難しさ」は必ずしも避けるべきものではなく、それを楽しむこともできるのです。

※GPTがなぜかダークソウルを例に挙げたw

チェスプレーヤーから学ぶ「熟練」の重要性

チェスは計算量が多く非常に高い認知的負荷がかかるスポーツです。しかしプロのプレイヤーは、特定のパターン認識や戦略によってその認知的負荷を有効に管理します。「難しい」問題に対処するための一つの方法が「熟練すること」であり、認知的負荷を軽減する練習やテクニックが存在することを示しています。

以上のようなケースからもわかるように、「難しさ」の学術的な探求はアクチュアル(現実的な、実践的な)意義を持つと言うことができるでしょう。

おわりに:「難しさ」の多面的な理解のために

本記事では"難しいとはどういうことか"という問題に多角的な視点でアプローチしてきました。認知科学、心理学、教育学、経済学、そしてテクノロジーなど、多様な領域における「難しさ」の存在と、それとの向き合い方について考察してきました。

認知的負荷は「難しさ」の理解のための優れた神経科学の用語であり、認知負荷の管理と調整こそ「難しい」問題に対処する鍵であることが明らかにされました。デカルトの思想にも見られるように問題を分割し、順序立てて考えることで、認知的負荷は軽減することができるのです。

テクノロジーが急速に進歩している現代社会において、今後「難しい」ものや状況がどのように変わるのか、そしてその変化にどう対応するのかは、今後ますます重要な課題となるでしょう。テクノロジーがもたらす便利さと認知能力の低下のバランス、新しい形での認知的負荷とその管理方法など、これから対処すべき問題も多いです。

とはいえ「難しさ」の有する多面性を理解し管理することこそ、あらゆる問題解決の、さらには豊かな人生の経験に資するものであると筆者は考えます。本記事が読者の皆さんの「難しさ」との向き合い方にポジティブな影響を与えることができたならば、非常に嬉しく思います。

※本記事はGPT-4との対話によって生み出されました!
(GPTが新しい専門用語っぽいものを勝手に言うときがあるので、そういうのは困りましたw 専門用語を使用する際はなるべく書籍やWebの論文も参照するようにしました。)

使用・関連文献

鈴木宏昭『教養としての認知科学』東京大学出版会、2016年
──『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』講談社ブルーバックス、2016年

ルネ・デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年

DOES London - チームトポロジと認知負荷

寺澤悠理・梅田聡「内受容感覚と感情をつなぐ心理・神経メカニズム」Japanese Psychological Review4,Vol. 57, No. 1, 49-66

アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』ちくま学芸文庫、2010年 

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』新潮新書、2019年

松尾豊『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』KADOKAWA、2015年 

最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

記事をお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、YouTubeの活動費や書籍の購入代として使わせていただきます。