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うぇいの哲学

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哲学みがある記事のまとめ
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祈りの「効用」——自己の関心の明確化と願いを遂行しようとする意志の強化

「ご利益」ばかり気にする利己主義者の皆さまこんにちは😆 うぇいです。 本記事ではお祈りの「メリット」について考えたいと思います。というのも、最近神社に行ってお願い事したりおみくじ引いたりしたときに、そもそもなぜ人は祈るのかを疑問に思ったからです。 「祈っても何も変わらない!」と言う人もいますが、祈っている当人には何かいいことがあるから祈っているのでしょう。ほんとに何の役にも立たないもの・単なる時間の無駄だったらすぐにその習慣はなくなるはずだからです👍 本記事は、世俗的な

プロポーザル(提案)としての哲学

「わー、ずっと悩んじゃう😥」という思考の沼に陥ることが誰しもあると思います。例えば、自分の進路を決めるとき、突然不幸に襲われたとき、また漠然とした不安を抱えたときなどです。 解決の糸口が見えない難問(アポリア)に直面したとき、哲学で提出された議論を参照して何らかの立場を採用してはどうか――これが、本記事の結論です。つまり、哲学者たちの概念や議論に触れることで、一見何も手掛かりがなさそうな問題に対してうまく「付き合える」かもしれないという話です。 1. 哲学は思考の整理に「

「豊か」でいるための思想——「満たされてる感」のレベルを下げること。過剰であることに喜びを感じること。

豊かさとは何か?——この問いを抜きにして、「豊かな人生」や「豊かな社会」を語ることはできないように思われます。 なぜなら、豊かさについての意味内容を曖昧にしたままでは「豊かな〇〇」に向けた具体的な行動を「あなたがする意味」を考えることができないからです。 例えば、「これが豊かな社会を実現するための仕事だ」と言われる仕事はたくさんありますが、その中であえて「あなた」が特定の仕事に従事する意味は何なのでしょうか。すなわち、社会貢献できる仕事がたくさんある中である特定の仕事を選

言葉は世界を切り分ける刃である。その意味で、言葉には暴力性が本質的に含まれる。言葉は世界を取りこぼす。

「言葉には暴力性がある」――この命題について本記事では考察したい。すなわち、人間が普段何気なく用いる言葉には本質的に暴力性が内包されているというスキャンダラスな内容を提示することが、本記事の目的である。 「言葉の暴力」というフレーズでまず想起されるのは、いじめやハラスメントであろう。けれども、私が言いたいのはそのような社会問題の一部という程度を超える、最も根本的なことなのである。(もちろん、それら社会問題が些末なものだと言っているわけではない。本記事での議論が、根底のところ

賢者とは誰か?

賢者といえば、髭をはやした老人男性がまず想起される。(このイメージはもちろん、今まで触れてきた物語に影響されているのだろう。) 経験を積み思考を巡らせることで、人は老成する。そのような人が、賢者と一般に呼ばれてきたのであった。 だが、いま僕たちが生きる現代社会にあっては、賢者=髭をはやした老人男性ではないだろう。場合によっては、賢者だと思われていた人のアドバイスが役に立たない、さらには害になってしまうということも見られるようになった。 なぜだろうか。理由を挙げるとすれば

素朴に生きている人々の人生を擁護できるか?

僕の創作活動の目的の1つに、泥まみれで、つまり素朴に苦労して生きている人の人生を学問の知見から応援するということがある。 少なくとも、学問には大きく2つの力があると思われる。すなわち、学問の知識が個人の思い込みを事実でもって破壊するということ。そして、地域や時代や文化を横断することで、他なる視点を身につけられるだろうということだ。 学問は、直接的に人生をより良くさせるものではない。けれども学問は、人生を間接的な仕方で豊かにしてくれるのではないかと僕は考えている。 さまざ

「とりあえずビール!」を哲学する。また、ドイツビールのおいしさを回顧する。

ビール(Bier)が苦手な若者が最近増えてきているらしい。僕は飲み会で「とりあえずビール!」と頼む人間なのだが、他人も「とりあえず」なのかはきちんとヒアリングする必要がある。 ここから大きく2つの事柄が取り出せるだろう。1つ目は、昔(?)の「最初は絶対にビールを頼む」という暗黙の常識が常識でなくなったということ。2つ目は、自分がビールを好んでいるからといって相手がビールを好んでいるわけではないので、そのことを配慮すべきだということだ。その配慮が新たに常識となりつつある。

「人生の意味」を問うてしまう人のための、5つの考え方

僕の記事で一番読まれている記事が、以下のものになります。今回は、下の記事を加筆したよというお知らせです。 要約です ↓ 人間社会は非常に複雑ですが、その根本には生殖=再生産という事実があります。社会や共同体のルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためと言えます。では、人類の生存と繁殖の先には何があるのでしょうか?... そもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように思われるのです。 生き

大衆はどこにいるのか?

哲学を学ぶと、現代の”常識”と呼ばれるものがどれだけ一時的なものかが感じられるようになります(そして捻くれていきます)。それで、「現代人は~なところがバカだよね」とか考えたり言っちゃったりします。 けれども、哲学を学ぶ自分もふつうの現代人として日常生活を過ごしているわけですから、自分で自分に説教しているとも言えます。 哲学を学んでいる自分は特別だぜ!と僕は思っているけど、実情は凡庸な大学生の一人です。僕が専らやっていることと言えば、YouTubeの再生数1を刻むくらいのこ

「もう誰も信じられない!」「どんな言葉も信じられない!」と病まないための技術

「あんないい人がこんなひどいことするなんて、もう誰も信じられない😭」、こんな思いを抱く人が少なからずいるように思われます。他者を信じては裏切られ、信じては裏切られということが繰り返されると、他人を信用できなくなってしまう。このように他者に裏切られ続けた人々は、人間嫌い(ミサントローポス)になってしまっているのです。 それでは、この人間嫌いの原因とは何なのでしょうか。 このことについて、古代ギリシアの哲学者プラトンの著作である『パイドン』で描かれるソクラテスおじさんに教えて