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うぇいの哲学

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哲学みがある記事のまとめ
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#人生

人生の意味とは?人生の意味についてざっくり解説します

「どうしたら人生に意味を感じられるか」についてざっくり考えますこの note では「人生の意味とは何か」という問いにざっくり答えます。 そもそも「人生の意味は何か」と問う際には大きく二通りの考え方があります。一つは「人生を丸ごと外側から解釈する」という考え方で、もう一つは「人生の内側から自分の人生を解釈する」という考え方です。 人生の意味を人生の外側から与えても、現代人としては納得しづらい一つ目の「人生を丸ごと外側から解釈する」というのは、伝統的な宗教でよくある捉え方で「

哲学とは何か──住むこと、語ること、問いかけること

ここに「すべて」を書いたつもりです。 1. はじめに 哲学とは何か──この問いを、全くの無前提な状態で問うことはできない。哲学とは何かという問いに答える(応える)ためには、その問いに答える者(応える者)が既に有している「哲学」に対する理解がなければならないのである。哲学とはある種の思考活動だと⾔うことができるが、何について、またどのように考えれば「哲学的な思考」と⾔うことができるかは、思考する者の哲学への態度にかかっているのである。つまり、哲学をしつつ、当⼈はどのように世界

呼吸とは生命の営みであり、そして世界を開示する──テッド・チャン「息吹」から

このページを目にした「あなた」も(つまりこのページを読もうと意識した人だけでなくタイムラインで一瞬このページを目にした人も)、この記事を書く僕にも、現にいま、ある場所で必ず呼吸をしている。人間の生には、不可避的に呼吸という運動が含まれる。 人間は、意識的存在者ないし理性的存在者である前に、呼吸する存在としてまず存在していなければならない(眠っている間、物心つく前などは、自己意識がなくとも呼吸する存在者として存在しているだろう)。 けれども、おそらく多くの人は「呼吸」をふだ

開いている門には入ることができない──フランツ・カフカ「法の前で」(原題:Vor dem Gesetz)──

何か思い悩んでいる人の話を聞くと、実は本人が既に解決策に気づいているということがあります。そのことを指摘すると、 「そう、わかってるんだけど」 という言葉が漏れるのです。 「当人がわかっているにもかかわらず、行為できない、言い換えれば今いるところから進むことができない」という事態は、一見「不合理」であるように思われます。 けれども実は、彼(彼女)は、法(道理)の前で立ちすくむという仕方で、論証的思考の限界の経験をしているのです。 この、「法(道理)の前での経験」を、

プロポーザル(提案)としての哲学

「わー、ずっと悩んじゃう😥」という思考の沼に陥ることが誰しもあると思います。例えば、自分の進路を決めるとき、突然不幸に襲われたとき、また漠然とした不安を抱えたときなどです。 解決の糸口が見えない難問(アポリア)に直面したとき、哲学で提出された議論を参照して何らかの立場を採用してはどうか――これが、本記事の結論です。つまり、哲学者たちの概念や議論に触れることで、一見何も手掛かりがなさそうな問題に対してうまく「付き合える」かもしれないという話です。 1. 哲学は思考の整理に「

生きること、死ぬこと、応えること

昨日、バイトの同期の一人が亡くなったことを知った。死因は、不整脈による心停止であるらしい。突然の死だ。 彼とは知り合って2年以上経つが、雑談をするようになったのはつい最近のことだ。というのも、彼は深夜で僕は早朝のシフトであり同じ時間に一緒に働くことはほとんどなく、事務的に仕事を引き継ぐことが多かったからである。 1か月ほど前になってようやく、砕けた話をするようになった――そんな矢先の出来事だ。 現代における「信仰」僕を含めて多くの現代人は、「明日以降もしばらく生き続ける

コロナ vs 長寿社会 死について考える学問「死生学」

1. なぜ外出自粛しないといけないのかなんでいま外出自粛しないといけないんですかね? もちろん、感染拡大の防止というのが一般的な理由でしょう。でも、もっと根本的な理由があるのです。 一言でいえば、死にたくないからでしょう。今回の自粛は、「人々が生きたいと思っていること」が前提なのです。 コロナが示したものの一つに、死の観念が人々を強烈に不安にさせるということがあります。みんな、なんだかんだ「命は大事だ」って思っているんですよ、やっぱ。 生きていないと何も始まりませんから