一番シンプルな社会貢献は、「好き」に生きること

こんばんは。Kateです。この頃在宅仕事が忙しくて体が参っており、今日はお休みいただこうかなと思ったけれど、なぜか朝から暴風🌀が続く一日。東京から九州へ出戻りして、日常の地震から逃れられたものの、子供の頃から怖かった大雨、暴風、台風はやって来るから、トレードオフ。ブルブルしながら過ごしていましたが、ああ、やっと風が収まったみたい…。

今日の1曲は、惜しくも亡くなったデイヴィッド・サンボーンのAin't No Sunshineです。私は映画「ノッティングヒルの恋人」劇中歌の印象が強いこの曲、歌ってるのはスティングですね!決して前に出過ぎないサンボーンのプレイが良いです。謹んでご冥福をお祈りします。

よく、人の役に立つことをしなさいとか、社会に貢献したいですとか、言いますね。そこには、日本人が陥りがちな功罪を感じるのです。

私自身、「人の役に立ちたい」と強力に思っていた人間で、父母からもそのように期待されていました。けれど新婚の頃、会社を辞めて社会貢献的なNPOに転身したまでは良かったものの、荷が重すぎて心身ともにバランスを崩してしまい、それから今に至るまで持病とつき合う日々が続いているのです。

そこで、私なりに何がいけなかったかを考えました。自分を大切にすることを怠って、24時間、仕事モードで暮らしてしまったからです。仕事のクオリティを下げたくなく、多趣味だったのに趣味を全て投げうったことが失策でした。

やはり、他の人の役に立つ前に自分のことを満たしてあげないといけないんだなと、今はよく分かります。この、私のような滅私的な考え方が、よく日本では美徳と見做されがちで、そこに怖さを感じます。

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翻って近年,仕事やプライベートでいろんな方とお会いして交流するうちに、感じることがあります。

あ、この方は、ご自分の仕事を心から好きで好き放題やっているな。年甲斐もなくてカッコいい!とか、

あ、この方は推し活を語る時に、ばあっと血色が良くなって、目まで潤ませて…こんな表情する人だったなんて可愛い!
とか。

かと思えば、同窓会で久しぶりに会った高校同級生。

え!いつから通信制大学に通ってたの?学び直し?それで、今は外国人の子供に英語で日本語を教えてるの?

もう、なんだか驚くことばかりです。

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私が元気を分けてもらえたり、また会いたいなーって思える人はそうやって、自分が溌剌と輝くような「好きなこと」に打ち込んでいます。逆を言えば、私は悪口や愚痴を言う人が嫌いで、そんな時間が苦痛でならないので、そういう人とはつき合いをフェイドアウトするようにしています。

強力に「好き」なことがある人は、嫌なことを考える暇もないくらい、気持ちが「好き」で満たされています。そんな人が次々に繰り出す言葉の多さに圧倒されながらも、気づいたらこちらまですっかり話に引き込まれてしまい、時間も忘れるほど聞いてしまうのです。まるで、ヒーロー映画を観て映画館を出た時に、自分も強い人になったように錯覚するのと同じような爽快感をもらえますね。

それほどに「好き」のパワーには浄化作用があるように思えてなりません。つまり、自分が好きなことに邁進しているだけで、まわりを自然と元気づけていたり、「私も見習わなきゃなあ」と誰かが新しいことを始めるのに背中を押しているとすれば、それは立派な社会貢献ですよ!と言いたいのです。

自分の好きなことならば長続きするし、無理がありません。一方、人のために…というベクトルだと、どこまでやれば十分やったことになるか測定しづらく(他人軸だから自分が満たされない)、その結果、体に無理がかかっていても歯止めが効かないのです。

ですから、もし目指したいことが直接的に人の役に立つ職業などだとしたら、ご自身がいかに楽しんで取り組めるかが重要だと思います。例えば、親御さんを看取った経験から介護業界に転職した同級生が4人もいるのですが、彼女たちは芝居や音楽などのステージパフォーマンスが趣味で、人を楽しませるのがとことん好きな子たち。楽しくやり甲斐を持って仕事してるなと話していて伝わります。

最後になりますが,ひとつ前の記事で岡村靖幸さんについて書きました。岡村さんは社会の役に立ちたくて音楽をやってはいないと思います。ただ、ご自分の好きなことを極めた結果、ファンが大勢つき、そのファンを楽しませることが彼の天職となり。それもまた立派な「社会貢献」と呼べるのではないでしょうか。

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