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もうセクシャリティなんて「目玉焼きに何かける?」的なノリでよくない?

どうも、最近ナウピークな推しは「刀剣乱舞」の蜻蛉切のはらまきです。
来世は誠実で強くてかっこいい武人ヒーローになりたい。

ふざけたタイトルこと、目玉焼きのくだりは後半に語ります。

私は、セクシャリティのカミングアウト自体には抵抗ない人間です。
AセクとかAロマだと、伝えた相手が恋愛対象とかにならないからっていうのもあるかもしれませんが。

でも、打ち明ける人は選びます。

物事を受け入れる相手の器のでかさ。


これが、一番厄介なところなんですよねぇ。

私は、「全人類よ、私たち少数派なセクシャリティを手厚く保護してください!!!」なんて、

思ってません。


言い出したらキリがないし、逆差別とか分断とか非常にめんどくせぇです。いらん争いが増える。

ただ、存在は認知してほしい。
選択肢として最初から除外しないでほしい。
「いてもいいじゃん」って。


なんかもう、迫害以前に存在していることすら知られていないんですよね。
「そんな人間いるの? ははっ(乾いた笑い)」みたいな。

いるよ。


例えば、「人生において恋愛は大切?」って質問があったとして。あたかも「はい・いいえ」式で問いかけてるくせに、結局答えは決まってるみたいな。

●(当然言うまでもなく)はい
●(自分モテたことないけど、おそらく世間的には)はい
●(いいえ。一人で生きていけますから。……嘘。本当は誰かに愛されたい……素直に甘えられる相手が本当は欲しい……言えないだけだから)はい

以上。

……待てや。

実質「はい」一択しか用意されてねぇじゃねぇか。
YES or はいじゃねぇか。
「いいえ」の人権どこいったんだよおい。


と、口も悪くなります。

ぶっちゃけ、もうセクシャリティ以前の問題かもしれません。
間違いとしてではなく、「違い」としていかに認識できるかどうか。
人として、その器の広さや深さが問われているのではと思います。

「表裏一体」っていうんですかね。
私は、表と同じだけの量や質、裏も存在していると思ってるんです。

イメージとしてはこれ。


善があるから悪がある。
光があるから闇がある。
有があるから無がある。

対になるものって、片方だけじゃ絶対存在できないんですよ。
だからこのマークのように、どちらも絶妙にバランスが保たれてる。

だからこの説に無理矢理当てはめると……

「いいえ」の考えもあって当たり前。
恋愛も性愛も分からんよっていう「無」があって当たり前。

でも、「いいえ」と言うと変人扱いされる。そんな現実に直面した時、

「陰陽のマーク見てみ。
世の摂理に逆らってるのはどっちだよ」

という私のような過激思想が爆誕するわけですね!!!

まあもちろん、全部が全部二元論で語れるほど、世の中は単純じゃないと思いますけどね。

実際、デミセク・デミロマは「心から信頼した相手になら惹かれる」って傾向もありますし。
白〜灰〜黒のグラデーションの濃度・段階・基準というか、人それぞれですからね。

①世の中は白だけでもなく、黒だけでもなくて、どちらも存在する
②よく見ると、実は白と黒の間にもいろんな灰色が存在する


的な。両方の感覚を持って、お互いを理解し合いたいものです。

だからたまにはね、ろくに話も聞かずに否定するんじゃなくて、自分と相反する存在について考えてみてもいいんじゃないですかね……と、【価値観アップデートせずに自分こそ正しいと思い込んで生きている人々】に対して思います。ははっ。

逆に、世の中にはいろんな価値観があることを知っている人になら、私は軽いノリでセクシャリティについて話せます。共感できなくても理解はしてくれるから。

打ち明けたいけど言えない人は、まずセクシャリティ抜きにいろんな価値観を柔軟に受け入れる人を見つけるところからスタートですもんね。

見つけるのは大変だけど、まず自分がいろんな価値観を受け入れる人間になれたら、「類は友を呼ぶ」方式で波長が合う人と出会えるかもしれません。

与えられるのを待つより先に与えてみる、的な。

ここからは、「目玉焼き理論(今名付けた)」について話します。
まず私の個人的な意見としては、

「セクシャリティなんて、人口80億人いたら80億通りの組み合わせあるだろうな」

とゆるーく思っています。だから、全員違って当たり前。
価値観は人それぞれだから、受け入れても受け入れなくても自由。

なので、「目玉焼きに何かける?」くらいのノリで

「私は塩こしょう! でも割と何でもかけるよ!」
「俺はソース一択」
「ぼくは砂糖かな〜」
「うっそマジで? 私無理だわ、甘いの苦手だから。でも好きにしなよ」
「自分、納豆かけるんすけどマイナーですかね…ははっ…」
「いいんじゃね? ウチ、もはや何もかけねぇけど」
「誰か、七味かける人おらん?」

って、各々が自由に好きなものを選んで、合わないと思った相手は静かに放っておけばいいと思うんです。

私は納豆苦手なので一生かけませんが、それが好きな人もいます。
「納豆が一番好きならどうぞ〜自分には搭載されてないけど、君には納豆を味わえる味覚あるんだね〜いいじゃん〜」で終わりです。

「納豆かけるなんてありえない!」なら別にそれもよくて、嫌って離れることも自分らしい価値観として大事なわけです。

でも、「納豆かけるやつなんて万死に値する!」と言って迫害するのはだめです。相手の命や心身の安全を脅かすのは人権侵害ですから。何事も迫害するくらい憎しむなら距離を置きましょう。

向こうが迫害してきたらーー専守防衛で戦いますがね(過激派)

セクシャリティも、生き方も……目玉焼き理論で良くない……?
みんな、迫害しない程度に好きに生きろよ……

なんて、個人的には思います。おしまい。

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