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手ってなんでこんなに安心するんだろう。

飲食の仕事を始めてから、水仕事をすることが格段に増えた。毎日毎日米を研いだり皿を洗ったりしている。

続くと、手が荒れる。
今まで生きてきて、手が荒れたことなんて1度もなかったのに、毎日の皿洗いによってそれが崩されてしまった。

手荒れが始まって数週間たった頃、ようやくハンドクリームを塗り始めた。今では水を触るたんびにクリームを擦り込んでいる。

先週、いつものようにハンドクリームを塗りながら思った。あれ、この手、なんか見覚え(触り覚え?)があるぞ。

しっとりして、ふわふわで、少し硬い。

なんとなくお気づきの方もいるかもしれないが、
そう、母の手だ。

母の手はもちもちでしっとりしていた。だけど私とは違う。
今更気がついた。毎日の家事をこなしていると、手が荒れる。そしてクリームを塗るのだ。

しっとりふわふわで、大きな手なのだ。

私は小中高と、母に頼りきりだった。
学校への送り迎え。今日あったことを早口でペラペラ話す。金銭的にもそう。

私は中学の頃から、学校に行くのを渋るようになった。
母は怒りはしたものの、無理やり連れていくわけでも無く、帰ってきたら普通に接してくれた。

母はよくこんなことを言う

「みづほを育ててると、普通ってなんだろうって思う。」

私は、世間一般の普通に学校に行けるような子ではなかったのだ。そんな私のことを理解しようとし、寄り添おうとしてくれたからこその言葉だったのだと思う。
私を高校まで卒業させたのは、凄いことではないか。

演劇部に入りたいからと選んだ高校だけど、行けなくなる時があった。そういう時は部活だけでもと放課後に着くように連れていってくれたこともある。

正しいことでは無いのかもしれない。
だけど、少なくとも私は、救われた。

勉強も、部活も、「あなたがやりたいなら」と何も言わずに見守ってくれた。

だからこそ今の私がある。

卒業後、私は母に酷いことを言ったことがある。

それでも母は変わらずに家に住まわせてくれた。

親にお年玉をあげられなかった。

初任給でプレゼントも買えなかった。

仕事を辞めたばかりの時、死にたいと言ってしまった。

こんなにも親不孝の私に、

「ずーっと居てもいいんだよ。」

と言ってくれた。

あ、そうそう、手の話だった。

先日、母の手をマッサージした。
ハンドクリームを付けて、疲れてそうな所をグリグリと押しながら。

変わってたのだ。手が。

しっとりふわふわなだけでは無い。

今までよりももっともっと大きく、固くなっていた。

車の運転や妹のテニスを見に行ったりで少しやけた手の甲や、少しだけガサツいた親指、全てが大きかった。

すごく愛だと思った。

1人で娘二人を育てていくという覚悟を感じた。

私は今も、今までもずっと幸せだ。
それは、母がずっと守ってきてくれたのだ。

ご飯を食べさせてくれ、服を綺麗にしてくれ、
おかえりと言ってくれていたからだ。

母は楽観的でいつも適当に笑っている。

本人すらも気がついていないかもしれないけど、とんでもない愛が、その手には詰まっているのかもしれない。

(母へのラブレターのようになってしまった。母も見てるって言うのに。いつもありがとうってことだよ。だいすき。)

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