怒るということ②
※先日投稿した怒ることについての続きになります。まだ読んでない方は前回の投稿へ🙇
前回の投稿を読み返しながら思った。
いらいらならまだしも、怒りに変わってしまったものを自分の中で消化するのはとても難しいのではないか。
まぁ、当たり前なんだけどね。
高校時代(というか最近まで)、私は怒りっぽかった。
わかる人は分かると思うが、私は自分へのいらだちを周りに発散していたのだ。
高校3年の冬、大会に向かうバスの中で言われた。
「松藤ってさ、丸くなったよね。」
えへへ、そうかなと軽く返したものの、思い返してみると酷いものだった。
なんでこうならないの、と自分の思い通りに人が動かないとすぐに怒っていたのだ。
もちろん、人として大切なこと(時間を守ることやメリハリをつけること)はきちんと守ってもらった方が物事は上手く進む。
だけど、自分が出来ないことは特に努力もしないまま、他人には変わって欲しいと声に出していたのだ。
それが一概に悪いことだとは思ってない。
だけど私は、周りの"できない部分"に目を向けてばかりで、いい所を見逃していたように思う。
そういう意味で、「丸くなったね」と言われたのかな。
「自分ができることをまずやろう。それを見た後輩たちが学べるものを勝手に学んでいくだろう。」
そういう思考に変わったのも、一つの理由かもしれない。
とにかく高校を卒業して、自分以外のことを考えるようになった。
自分本位ではなく、周りのことを常に見るようにした。
この人にはこういう事情がある、こういう趣味がある、こうやって仕事を続けてきた。
私が見た数ヶ月で全部が見える訳では無いけれど、ちゃんと考えようとすることで、"許す"ことが出来るのだ。
人にはそれぞれ事情がある。
怒る理由もある。
少しづつ噛み砕いて見ることで、本当に理解出来るかもしれない。
理解出来れば、改善もできる。
ただなおすのではなく、理由も込みでなおすことが出来る。
人の価値観はそれぞれだ。
タバコを吸う人も吸わない人も、
吸わないけど周りに吸ってる人がいてもなんとも思わない人も。
たくさんの人がいて、たくさんの価値観がある。
見て知って、擦り合わせること。
それこそが怒りがうまれない、丁寧に生きることなのかも。
私や、私の周りの人達が、少しでも幸せに思えるように
自分がここに居ていいのだと自分自身が肯定できるように
私は努めようと思う。
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