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松本友記について

池田弥三郎編『日本民俗誌大系 第10巻 (未刊資料 1)』(角川書店、1976)に掲載された著者は、巻末で紹介されるが、松本友記の紹介はなかった。
そのため、あちこちで見かけるこの松本友記という人物について、これまで情報を整理することがなかったが、現在解る範囲で、情報を整理しておく。

松本友記は、熊本県生まれであるが、生年月日は不明である。
確実な情報は、昭和2年4月、宮崎高等農林学校農業科入学である。

『宮崎高等農林学校一覧 自昭和2至3年』

当時の学制は下記の通りであるが、熊本の中学校を卒業し16歳で高等学校に進学したのか、17歳で専門学校に進学したのか、判然としない。

松本友記の初投稿は、昭和5年(1930)8月の「河童の話」『民俗学 2(8)』 で、『民俗学』ヘは昭和7年まで頻繁に投稿する。宮崎高等農林学校の恩師と思われる日野巌は『民俗学』には投稿しておらず、どのような経緯で中央の雑誌へ投稿したのか気になるところである。

昭和6年1月、日野が創刊した『日向郷土志資料』にも松本は創刊号から投稿している。

昭和6年3月に宮崎高等農林学校を卒業することになるが、昭和17年、鹿児島県庁に勤務するまで、その後の状況が解らない。昭和13年まで『日向郷土志資料』に投稿していることから宮崎に滞在したものと思われる。

昭和6年9月には、「蟲送り」を『旅と伝説 第4年(9)(45)』(三元社)に投稿している。こちらも日野巌は関わっていなかったがどのようなルートで投稿できたのだろうか?

松本友記の単著としては、昭和37年『南風帖』、昭和45年『続南風帖』の2冊があるが、宮崎時代の民俗研究については触れていないようである。
松本は、昭和17年、鹿児島県庁大島本庁へ赴任後、鹿児島県、熊本県、鹿児島県、そして退職後は出身の熊本市に戻っている。

民俗研究の経験をしていながら鹿児島県奄美大島に着任していれば民俗調査にも手を出していそうだが、何か理由があるのか、まったく民俗学には触れることが無くなったようである。

宮崎県と違って、鹿児島県には多くの研究者がいたため、特に奄美大島には地元研究者がいたこと、方言が難しかったことなど考えられようが、資料がなければ解らないことである。

以下に文献目録を掲載する。

松本友記関連文献
執筆者 論文名 編者著者 著書 出版社 出版年
松本友記 河童の話 民俗学 2(8) 民俗学会 1930-8
松本友記 河童の話(續篇) 民俗学 2(10) 民俗学会 1930-10
松本友記 高千穂夜神楽に就て 日向郷土志資料 1 日向郷土会 1931-1
松本友記 江田の五穀成就踊 日向郷土志資料 3 日向郷土会 1931
松本友記 河童の話(三) 民俗学 3(1) 民俗学会 1931-01
松本友記 熊本縣飽託村西里村の正月 民俗学 3(2) 民俗学会 1931-02
松本友記 子供遊び集(一) 民俗学 3(2) 民俗学会 1931-02
松本友記 子供遊び集(二) 民俗学 3(3) 民俗学会 1931-03
松本友記 「たなばた樣の着物」を觀て 民俗学 3(7) 民俗学会 1931-07
松本友記 日向の村八分に就て 民俗学 3(7) 民俗学会 1931-07
松本友記 日向初等教育史話 日向郷土志資料 4 日向郷土会 1931-9
松本友記 刺なきイバラと片目の魚 日向郷土志資料 4 日向郷土会 1931-9
松本友記 蟲送り 旅と伝説 第4年(9)(45) 三元社 1931-09
松本友記 日向地名伝説(一) 日向郷土志資料 5 日向郷土会 1932-1
松本友記 鹿児島県垂水町の正月慣習 日向郷土志資料 5 日向郷土会 1932-1
松本友記 刺なきイバラと片目の魚 郷土風景 1-2 郷土風景社 1932-4
松本友記 佐土原の夏祭に於けるダンジリの社会学的考察 日向郷土志資料 6 日向郷土会 1932-6
松本友記 阿蘇谷の農業神事 民俗学 4(7) 民俗学会 1932-07
松本友記 江田の五穀成就踊 日向郷土志資料 再販2・3 日向郷土会 1932-8
松本友記 河童の話 日向郷土志資料 7 日向郷土会 1932-10
松本友記 霧島山の紅葉 日向郷土志資料 8・9 日向郷土会 1932-12
松本友記 阿蘇谷の俚言と民俗に就て [日本放送協会九州支部]放送講演集 : 九州郷土講座 日本放送協会九州支部 1933
松本友記 熊本縣阿蘇地方 旅と伝説 第6年(新年號)(61) 三元社 1933-01
松本友記 阿蘇の「嫁盜み」の覺書 旅と伝説 第6年(新年號)(61) 三元社 1933-01
松本友記 阿蘇谷の年占い 岡村千秋編 郷土研究 7-4 1933-4
松本友記 阿蘇谷の農業土俗 旅と伝説 第6年(4月號)(64) 三元社 1933-04
松本友記 「チヽンブヨ[ブヨ]」の惡い爺さんの話 旅と伝説 第6年(5月號)(65) 三元社 1933-05
松本友記 熊本縣阿蘇地方 旅と伝説 第6年(7月號)(67) 三元社 1933-07
松本友記 熊本縣阿蘇地方 旅と伝説 第6年(7月號)(67) 三元社 1933-07
松本友記 知識伝承の一形式としての俚言 日向郷土志資料 10 日向郷土会 1933-3
松本友記 門松もらひの手紙に就いて 旅と伝説 第7年(2)(74) 三元社 1934-02
松本友記 麥の嶢穗に就て 旅と伝説 第7年(4)(76) 三元社 1934-04
松本友記 をこぎ小屋を覗き見るの記 日向郷土志資料 14 日向郷土会 1934-5
松本友記 鬼八伝説 日向郷土志資料 14 日向郷土会 1934-5
松本友記 佐土原夏祭に於けるダンジリの社会学的考察 日向郷土志資料 16・17 日向郷土会 1938-4
松本友記 佐土原の民俗 日向郷土志資料 16・17 日向郷土会 1938-4
松本友記 大豆品種の地方的分布に就て 育種研究 第1輯 養賢堂 1942-6
小林政明・松本友記 稗品種の播種期の早晩に依る出穗日數の移動に就て 育種研究 (2) 養賢堂 1943-10
松本友記 産業南日本 3(3) 南日本新聞社 1948-03
松本友記 肥後平野における動力耕耘機の普及 富民 農業の技術と経営 26(3) 富民協会 1954-03
松本友記 南風帖 鹿児島県農業改良普及研究会 1962
松本友記 南風帖 続 1970
松本友記 薩摩に於ける熊本農法 日本談義 復刊285(昭和49年8月号) 日本談義社 1974

『日本談義』についてtwitterを通して情報をいただいた。

『日本談義』について熊本県立図書館のレファレンスで下記の情報をご教示いただいた。『日本談義』への松本友記の記事は以下の通り。

①小池俊三先生へ(葉書通信) 14-4
②麦打台のことから 14-6
③芝縞 14-10
④土の感情 15-2
⑤早夕立 15-9
⑥農事暦 16-1
⑦野みち三里 16-9
⑧津奈木海岸 17-1
⑨田無しの里 17-4
⑩6.26泥水害種々相(アンケー卜) 28-8
⑪雁信抄 38-5
⑫馬耕の碑-南海の離島の熊本人- 40-7
⑬勧農事蹟 45-4
⑭農業巡回講師 47-4
⑮農業指南録 48-1
⑯薩摩における熊本農法 49-8

更に井上 智重『言葉のゆりかご 』(熊本日日新聞社、2015)に記載があるとのことで早速入手した。

松本友記(まつもとともき 1908~1994)
 松本友記は戦後初の県農業改良課長を務めたが、若いころ、寒冷地試験地の技師として阿蘇にいたことがあり、阿蘇地方の民俗について『旅と伝説』に多くの寄稿をしている。柳田国男は松本の報告をヒントに「トビの餅・トビの米」をまとめた。その後、奄美大島で農業振興を進めるが、敗戦、熊本県に戻る。農家のことを思い、頑固で自説を曲げず、知事の機嫌を損ねることも。同僚に「君は政治性が足りない」といわれ、「君が言う政治性は何か」と反問したという。
 やがて鹿児島県に転じる。かつての上司、寺園勝志が知事になっており、精いっぱい仕事に打ち込み、アメリカ視察研修にも。県農村センター。青年の家館長に。鹿児島県の農家に親しまれた。晩年、熊本市に戻り、家庭菜園を楽しんでいたが、減反政策を境に農に対する心が急激に色あせていく自分を嘆いていたという。平成6年12月5日、86歳で死去。

更に追加情報がありました。2022年10月27日

雑誌『研農』(熊本県農業試験場)の6巻1号(通巻61号)~6巻12号(通巻72号)に松本友記「阿蘇農業小誌」(1)~(12終)の連載あり。

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