好奇心から使命感へ。iPS細胞の可能性を広げるために挑戦する。京都大学 iPS細胞研究所 特定研究員 佐藤美子 先生[研究者インタビュー]
京都大学 iPS細胞研究所の佐藤先生に、ワトソン営業の藤本がインタビューさせていただきました。
後編はこちら→https://note.com/watson_japan/n/n839e1f22fd5f
京都大学iPS細胞研究所 山中伸弥研究室で遺伝子解析と基礎研究。
ー今、どんな研究をされていますか?
佐藤先生:山中伸弥先生の研究室でNat1という遺伝子の解析をしています。iPS細胞作製技術を用いて、新しい治療法の開発、病気の原因の解明や、再生医療への応用を実現するための基礎研究をしています。
これまで多くの時間、再生医療用iPS細胞のストックを作製するプロジェクトに関わっていたので、その流れで現在でも再生医療学会が携わる臨床用の細胞製造に特化した認定制度の試験問題作成のワーキンググループにも入っています。臨床、再生医療系のことにも携わりながら、基礎研究に携わっています。
ー研究の魅力は何ですか?
佐藤先生:好奇心を揺さぶられるんです。サイエンスは、目に見えないものが見えたり、研究や実験を進めていくうちにわからないことがわかっていくものです。そのプロセスがすごくおもしろくて、サイエンスの虜になりました。
再生医療のプロジェクトに入ってからは、別のフェーズに入り、使命感が強いです。日本人の大多数の人達に使ってもらえるようなiPS細胞を作ることが私の使命です。
やりたいことが見つからなかった。流れのままにサイエンスの道へ
―幼い頃から理科や科学の分野に興味をお持ちでしたか?
佐藤先生:いえ、もともとはライフサイエンスには興味がありませんでした。大学でも栄養学を専攻し、まったく生命科学やその研究活動には関わっていませんでした。やりたいことがなくて、入った大学に栄養学科があったという感じです。親族に銀行員が多かったので、銀行員になろうかな、と思っていました。ある銀行の面接まで取り付けて、前日に受けるのを辞めました(笑)。
大学のアドバイザーの先生が、生化学の先生で、ライフサイエンスに関わる研究にチャレンジするよう励ましを受け、医学部の研究室に入り、その後に大学院に行くことになりました。
大学院修了後は、県の研究機関に就職しました。そこでは県のプロジェクトをただやるだけで、自分のしたい研究はできませんでした。モチベーションも上がらず楽しくなかったので、転職先を探していたところ、たまたま京都大学を見つけ、応募すると採用されました。
山中先生との出会い。持ち前の責任感と使命感で、再生医療チームの製造を任される
ーそこで山中先生との出会いがあったのですね。
佐藤先生:そうです。山中先生と知り合ってから10年以上になります。
4年前に一度研究所を退職して、アメリカのバイオベンチャー企業に転職しました。その中でも、やっぱりサイエンス、研究をやりたいなと思っていました。
去年、山中先生がまた研究室を立ち上げることになり、呼んでもらって研究をしています。
ーサイエンスについて好奇心から使命感に変わるターニングポイントはどこでしたか?
佐藤先生:再生医療用のiPS細胞ストックを作製するプロジェクトに携わることになったことですね。最初はPIの先生たちについていましたが、担当の先生たちが外れたんです。私はプロジェクトの製造部分を任されました。
ー山中先生のプロジェクトに入りたいと思っていましたか?
佐藤先生:プロジェクトへの責任感はありました。
―幼い時から使命感が強かったのでしょうか?
佐藤先生:父親が警察官なんです。それもあってか、正義感や使命感は強かったです。あと、幼い頃から人より手先が器用で自信がありました。
細かいものを直したり、魚を食べるのがきれいだったり。それは、今の仕事、実験するときはすごく大事だなと思っています。
つながる同世代との交流。三重包装シリーズ "粋"の誕生秘話
ーワトソン営業の藤本との出会いはどんなものだったのでしょうか。
藤本:初めて佐藤先生と話したのは、2009年、佐藤先生が再生医科学研究所にいた頃です。一方的に佐藤先生のことを知ってはいましたが、その当時は別の者が佐藤先生の担当だったこともあり、話をしたことはありませんでした。その当時は、担当以外の人がコンタクトをとらないという習わしがあったからです。
ある販売代理店の人を通じて初めて話をしました。それからその担当者が辞めたので、それからはもっとコミュニケーションがとれるようになりました。
ーそんなルールがあるんですか!
その当時から、佐藤さんは使命感や熱量にあふれていたのですか?
佐藤先生:当時はまだ再生医療のプロジェクトはしていなかったですね。その時は、普通のメーカーさんと代理店とでした。
藤本:代理店の人と、佐藤さんと僕とが同い年なんです。
佐藤先生:それで仲良くなりました。同い年の人には、興味をもつんです。どんなことしているのか、とか、今までどういう仕事してきたのかとか、なぜここに行きついたのかとか。
代理店の人も、結婚して子どもができてだんだん偉くなりました。
藤本:僕にとっては、佐藤さんはただただ、すごい人でしかないですけどね(笑)。
ー様々な分野や立場の人々との交流を広く持っているとのことですが、その理由や動機は何でしょうか。
佐藤先生:色んな分野の人と話すのが好きですね。何かにつながると思うから、好奇心は持っておきたいタイプです。
ー色んな業者やメーカーがいる中で、なぜ藤本に声をかけてくれたのかなと思いました。
佐藤先生:同い年というのが私としては大きかったです。それに藤本さんは、めちゃめちゃ真面目ですよね。
藤本:ありがとうございます。消耗品を使ってもらっていただいたことから、お付き合いがあります。高い清浄度を保つ作り方がわからなくて、教えてもらっていました。初めは特注品で作って、そこで佐藤さんがいるストックグループに色んな人たちがやり方を覚えに来た時に、その特注品の消耗品も含めて知ってもらい、帰ったときに同じように使ってくれることが増えてきました。
これだったらラインナップしてうちも製品化したほうがいいんじゃないかとなり、一般のカタログに三重包装シリーズ "粋"が載りました。
あまり、お客さんと作っていくというパターンがなかったので、一から作るというのを教えてもらいました。
佐藤先生:今は結構出てきてますけど、あの頃は再生医療に必要なツールや装置などはほとんど市場に出回っていませんでした。ぴったりのものがない中から使えるものを選ぶのが最初の流れでした。これ使いにくいよね、とかこれあった方がいいよねとか、それをお願いしたのは初めてでしたね。
何よりも嬉しいのは、再生医療で人が元気になっていくこと
―研究においての印象深いエピソードはありますか?
佐藤先生:iPS細胞ストックができて、再生医療に使われて、人が治っていく、ということですね。一番最初に高橋雅代先生のところで目の見えない患者さんに使われて、目が見えるようになったことはかなり衝撃的でした。。
iPS細胞がなかったらできなかったことです。
ー医療の現場に立ち会ったり、患者さんにお会いすることはありますか?
佐藤先生:ありません。
ーリアルでお会いできるからモチベーションも上がるのかなと思ったのですが。
佐藤先生:再生医療に使われるものを作るのが、私たちのパートです。もちろん材料がないとできないし、iPS細胞という技術がなかったらできないし、患者さんも治りません。iPS細胞の製造をしている人は、新聞やTVなどのニュースを見て、離れたところから、患者さんの治療に想いを馳せ、自分の仕事の貢献をしみじみと感じることしかできないと思うんです。
私達は医者ではありません。ただ、iPS細胞を再生医療に使えるようにします。その先は別の人の手に委ねます。それが、私達の仕事です。
前編はここまでです。後編もぜひご覧ください。
後編に進む→https://note.com/watson_japan/n/n839e1f22fd5f
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?