マガジンのカバー画像

アート、あるいは、藝術と呼ばれるものたちについて

19
藝術(アート/art)と呼ばれるものたち、あるいは、そのような名前で呼ばれないものたちでありながら、藝術(アート/art)でしかありえないものたち、についての文章。藝術(アート/… もっと読む
運営しているクリエイター

#アート

『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』は〈映画〉ではない。///、、あるいは、〈饗宴〉、…

2024/05/17/19:03 //2024の春の記憶//..否定と肯定の『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』//その…

21世紀の言葉のルネサンス/Renaissance生の形式としての、色彩としての言葉 /.失われ…

/2024/02/11/18:17//生の断片を保存する魔術として、そこに、それが//招喚される、〈そこにあ…

〈受肉する光/ひかり/抽象の向こう側の具象〉デイヴィッド・ホックニー/David Hockney…

/2023/10/30/19:27//ありえないことがありえること// デイヴィッド・ホックニー/David Hockne…

燃焼する垂直の言葉/音楽。螺旋形の階梯を、生成する白い光の言葉、あるいは、四方田…

/2023/8/24/19:17/ /書かれてはいけないこと、書いてはいけないこと/燃焼する螺旋形の階梯と…

深呼吸のための余白に。//遠い向こう側の場所に辿り着く準備として。///8つの名前の人…

/2023/6/21/19:02/ /8つの名前/ジャン=リュック・ゴダール、蓮實重彦、アンリ・マティス、安…

恥辱、それ以外の何ものでもない。川上未映子「黄色い家/SISTERS IN YELLOW」音楽の失…

/巨大な洪水のような言葉たちに飲み込まれる前、今の時刻を外すことなく、今の時刻の瞬間の時…

ゲルハルト・リヒター//絵画の終決者Ⅹ絵画の黙示録//〈積層流体色彩論序説〉のための短いメモ書き/〈泥の光の色彩Ⅹ色彩の光の泥〉のランドスケープ

ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)の絵画 ゲルハルト・リヒターのそれは絵画ではない。何度でも繰り返さなければならない。ゲルハルト・リヒターのそれは絵画のようなものですらない。ゲルハルト・リヒターの絵画は絵画ではない。それは絵画の終焉の向こう側に存在する燃え上がり燃焼した後の絵画の灰の塊りであり、絵画がわたしたちと離別するその最後の瞬間にわたしたちに見せることになるその後ろ姿だ。わたしたち人間はゲルハルト・リヒターの絵画を前にして絵画と決別することになる。

水溶性の悪夢//「生存の迷宮」シモン・ストーレンハーグ////世界は接合され、ラビリン…

シモン・ストーレンハーグ(Simon Stålenhag)のそれはシモン・ストーレンハーグのそれとし…

Casa:日本の現代美術100人:現代美術は美術ではない。/美を超越するもの。/物質と言…

No.1:現代美術とは何か?現代美術、それは美術ではない。 物質と言葉と時間と空間の自由につ…

内的な光の写真/森山大道「写真とは記憶である」/世界は内的な光を浴び、レンズによっ…

写真についての短いメモ書き(ver.02/07/2022)/森山大道の写真について 目を閉じる。記憶…

線と形と色彩の闘争、サイ・トゥオンブリーの絵画のための幾つかの言葉の 断片

1:線と形の闘争、そして、横たわる線と形の残骸、あるいは、サイ・トゥオンブリーの絵画の始…

映像としてのドナルド・ジャッド   ミニマル・アートとしてのライフゲーム の宇宙

No1:(ドナルド・ジャッドの組み立てられた正方形としての立方体の世界、そして、動き、浮き…

ヴォルフガング・ティルマンス あらゆる時間とあらゆる空間の透明な色彩

ヴォルフガング・ティルマンスの光の中に、全ての時間と全ての空間の光が飲み込まれる。あらゆ…

わたししか知らない場所のひかり。小林孝亘作品集「ひかりのあるところへ」

木漏れ日。葉と葉の間からこぼれるひかり。葉と葉を透かしたひかり。葉と葉を通過したひかり。そのこぼれたひかりが地面にまだら模様をつける。ゆれる白と灰色のひかり。白色のひかりが灰色のひかりのまわりを回る。白色が灰色の中を泳ぎ、灰色が白色の中に潜り、ゆれながら二つのひかりが重なり形を失い溶け合う。そのひかりはわたしの外にあるのだが、そのひかりはわたしの中にある。わたしの中にある木漏れ日。わたしの中に木がありそこに陽ざしがふりそそぎ木漏れ日が生まれる。犬がいてミツバチの巣箱が置かれ、