「目的」と「目標」と「手段」を言語化すると、景色が変わる話
社会人になって仕事をしていると『それって、手段が目的化していない?』とか『目的と手段を履き違えている』などと、上司や同僚から指摘されたり、逆に自分が誰かにこの言葉を使った経験、1度や2度があるのではないでしょうか?
「手段の目的化」は、賢い風の便利な言葉なので、私も何気なく使っていましたが、改めて考えてみると、どうやら使い方を注意する言葉のようです。「景色」を変えてみたい方はお読みください。
「目的」とは、 意思を持ち、何を狙うのかを決めること
最初は言葉の定義の確認から。
目的という言葉は「弓矢(ゆみや)」に由来すると言われています。
的(まと)を目で追うことが「目的」なんですね。
また目的には、的を目で追って選ぶという行為はもちろんなのですが、その的(まと)を選んだ理由(Why)、人による「意思」が含まれています。
「目標」は、 選んだ的のどこに当てるかを決めること
続いて目標。目標の「標」という漢字の成り立ちご存知でしょうか?
この漢字は、木の幹や枝の先端を意味し、転じて高くて目につく「しるし」「めじるし」の意味も表すようになったと言われています。
ですので、たとえば的に当てることが目的だとすると、10点を狙うのか、8点を狙うのか、5点を狙うのかの「めじるし(Where)」を具体的に決めるのが目標になります。
「手段」は、 目標を実現させるために選んだ方法
手段とは、目的・目標を実現するための「行為」「方法」です。的に当てる競技であれば弓矢を使うのか、ボールを用いるのかなど、手段は複数の選択肢があります。ルールの範囲内で、どんな道具・手段・順番で目標を達成させるかは創意工夫の領域です。
(仕事における「ルール」は、会社や組織によって暗黙知になりがちで注意が必要なのですが、今日の本論から逸れるので割愛)
「目的」「目標」「手段」をまとめるとこんな感じです。
なぜこんな使われ方をするのか? その理由は・・・
「手段」と「目的」は言葉の定義の上では明らかに別の言葉で、履き違えたり、入れ替わったりするはずがないのに、なぜ「手段が目的化している」とか「目的と手段を履き違えている」などと違う意味(多くの場合は悪い意味)で使われるのでしょうか?
4つ理由がありそうです。
理由
1、何気なく使っている
2、上手くいっていない状態を表す言葉として使っている
3、目的が複数存在することで、目線があわなくなる
4、目的と手段が入れ子構造のため、目的≒手段となる
1、何気なく使っている
そのままですが、他の人が使っている言葉を、自分も何となく、無意識に使っている。賢い風の言葉の罪ですね。振り返ってみると私も上手く言っていない状態に対して何気なく使っていることがありました・・・汗
2、上手くいっていない状態を表す言葉として使う
2番目は、言葉の本来の定義を超えて別の意味として用いるパターンです。
たとえば、手段に固執している(ように見える)状態を指して、「手段が目的化している」と使われることがあります。
ここで少し脱線。
手段に固執することは悪いことじゃない
「目的」と「目標」が明確に決まっていて、互いに認識が合っている状態であれば(この前提が重要!)、実現にむけて試行錯誤するのは当然です。むしろ手段にとことんこだわることは賞賛されるべきです。
「手段が目的化している」と指摘された際に、ムッとすることがあるのは、目標実現のために頑張っている行為を否定された気持ちになるからですね。
もし手段が間違っているのであれば「その手段は○○という理由から上手くいかない、△△がよいと思います。その理由は・・」という感じで、別の手段を提案してあげればよいわけですね。
3、目的が複数存在することで、目線があわなくなる
ここからが本題。
「目的」は連続的に複数存在しているため、話し手と受け手が違う目的を見てしまうケースが有り得ます。「え、なんのこと?」と思うかもしれません。説明します。
たとえば、ある男性がダイエットを考えます。
「ダイエットしたい!」という個人的な欲求が最初の目的です。その目的が満たされると、次は体重を落とすだけではなく「筋肉をつけながら格好よく痩せたい!」という目的が発生。さらに格好よく痩せることができるようになると、より高次の欲求である「人に教えたい!」「トレーナーを育成したい!」「健康にすることで医療費問題を解決したい!」といった具合に、目的というものは達成する毎にさらに大きな目的が発生する性質があります。
目的が一つではなく連続的に複数存在することにより、発言をした人と受け手の指している目的が一致していない状態が生まれ、目線があわなくなるのです。
4、目的と手段は入れ子構造のため、目的≒手段となる
最後4つ目。個人的にはこれが核心だと思っているのですが、目的と手段は入れ子構造になっており、目的は時には手段にもなるのです。
たとえば「日本の医療費膨張問題を解決したい」という大きな目的のもとでは、一つ下の目的である「格好よく痩せる方法を人に教えたい」は「格好よく痩せる方法を人に教える」という手段になります。
そう、大きな目的の下では、その下の目的は、大きな目的を達成するための「手段」の一つになるのです。
まとめ
3のケースでは話している目的が互いにずれる現象が発生しやすくなり、4のケースでは目的と手段が入れ子の関係になるため、相対的には「手段と目的を履き違える」という表現自体が成立しちゃうのです。
うん、注意が必要ですね。ではどうしたらよいのでしょうか・・?
目的に目を向けよう。
あなたがこの言葉を発する側であれ、受け取る側であれ、「目的」に目を向けましょう。対象となっている目的は何かを明確にして、相手と一致させて話を進めましょう。
長々と書いてきましたが、じつは言いたかったことはこれだけ。シンプル。
アインシュタインさんも、こんな言葉を残しています。
手段が完成して目的が混乱していること、これが私の意見では現代の特徴です。A.アインシュタイン
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