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東浩紀「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」を、『戦後的思考』加藤典洋 講談社文芸文庫版の東氏の解説「政治のなかの文学の場所」を思い出しつつ読む。

 『ゲンロン12』の巻頭論文「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共について」、感想を書きます。長くなります。私の感想文はともかく、この論文、必読かと思いますので、下の下線部クリックするとAmazonのページに飛びます。

ゲンロン12 単行本 – 2021/9/17
東 浩紀 (著, 編集), 宇野 重規 (その他), 柳 美里 (その他), 楠木 建 (その他), & 22 その他


 少し前の大著、『ゲンロン0 観光客の哲学』の、「第一部 観光客の哲学」と「第二部 家族の哲学」がうまく接続していないと著者自身が感じて、増補改訂版のために書いたのが、この論文だということで、論は始まる。

 どういう問題かというのを、広告屋的ひらたい言葉で書いてみる。
 観光客というのは、住民ではない。無責任な立場で、地域にふらっときて、興味の向くまま関り、去っていく。同じように、ある地域の政治に関わり、去っていくものすごく開かれた立場で政治に関わる人=観光客的関りをOKと考える。そういう民主主義の可能性を考えた、という論だったわけだ。

 政治がカールシュミットの言う「友と敵」にあまりに鋭く分断、対立してしまうということを乗り越えるために、「観光客的連帯」というのを提案している。「開かれた」がキーワード。普通のリベラル思想よりも、もっと過剰に開かれて無責任で、出たり入ったりすることが自由なスタンス、お客さん的消費者的民主主義と言うのを、政治、民主主義の進化の可能性として考える、ということ。
 一方、「家族」というのは「閉じた」「親密な」というのがポイント。公的空間から「閉じている」家族、というのを、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」という概念=「家族性っていうのは、うまくいえないけれど、なんか似ている」ということで閉じている集団、として考える。国家とか国民とか言うのも「「なんか似ている」ことで閉じているわけ。そのことをベースに、政治を考える。これは、保守主義に近づいていく方向性として読めるわけ。「閉じた内部としての家族、部族」を優先して考えるというのが、保守主義なわけだから。


 この「観光客=より無責任に開かれていく」方向性と「家族=閉じている、親密な共同体」という方向性を、どう、論理的に結び付けていくか、そこに、どういう政治の、民主主義の進化する可能性を構築するか、という問題を、前回、うまく接着していないところを厳密に論じているのが、本論なのだな。


 で、後期ヴィトゲンシュタインとクリプキという哲学者の考察を参照しつつ論は進む。(以下、本文から引用)

〈新しい連帯=家族の基礎は、開かれた規則でも閉じられた参加資格でもなく、日々の実践における訂正可能性に置かれなければならない。つまり、決まった信条なりイデオロギーなりをただ守り続けるのではなく(そうすると共同体は閉じる)、かといって原理原則なしに新規参加者を受け入れるのでもなく(そうするとこんどは開かれるだけになる)、変化する状況に柔軟に対応し、「守るべきもの」をたえず「訂正」しながらも、それでも「同じもの」として再定義し続けるという逆説的な態度に置かなければらない。〉


と、結論だけ読むと、あいまいな感じがすると思うけれど、

〈本論で「家族」の名のもとに問われているのがまったく情緒的な話ではないということである。それは哲学的で論理的な問題なのだ。〉

  ということで、きわめて厳密に論理的に論じられています。興味がある人は読んでみてね。初めから読めば、難しくないと思う。このように、守るべきもの自体を訂正し続ける保守主義のこと、訂正可能性を備えた保守主義のことを「再帰的保守主義」とおいて、そのことで「観光客の哲学」と「家族の哲学」は接続される。としたわけだ。


 で、論はさらに進んで、まさに現在の、日本の政治状況の保守とリベラルについての分析考察、東氏の意見表明になっていく。東氏が最近、急激に保守化したとしてネットなどで批判されまくっていることとの関係というか、その状況とそれに対する反駁という内容でもあるように感じられた。

 という、ここからが、僕の感想の中心部分になります。


 そして、そういえば、と思い出すのが、昔、感想文noteを書いた「『戦後的思考』加藤典洋著 講談社文芸文庫版の、 東浩紀氏の解説「政治のなかの文学の場所」について。」というの。加藤典洋氏が『戦後的思想』を書いた状況と、東氏が今回、この論文を書いた状況と言うのは、あるいは書くことになった左右両方への批判をし、左右両方から総攻撃を受けている状態と言うのは、すごく似ている。僕のそのときのnoteの書き出し部分を引用すると。

〈私のFacebook上の友人には、左派リベラルの政治的立ち位置の人が多い。加藤氏の生前からそうだったのだが、亡くなられた後、私が加藤氏の著書の感想を投稿しても「左派リベラル系友人知人」からの反応が薄い。そういう人から見ると、どうも加藤典洋氏は、反動的保守的知識人ということになっているらしい。そういう評価になってしまった事情、それがいかに誤った、残念な、的外れな評価であるか、そして、加藤氏の論の核にあるものがどういうことかを、東浩紀氏が、このうえなく分かりやすく書いてくれています。kindle版『戦後的思想』には、東氏の解説が収録されていなかったので、中古でしか手に入らなくなっている講談社文芸文庫版を購入して、東氏の解説だけをさきほど読んだのですが、これが、予想を超えて素晴らしい文章でした。涙が出てきました。まさに、こういうことを僕は言いたかったのだ、ということを、東氏がもののみごとな文章にしてくれています。要約しようと思ったのだが、東氏のような超秀才の文章は、省く場所がほぼない。
ところどころ略すけれど、ほぼ全文引用紹介してしまいます。〉


 それは「家族、身近な人を優先する」ということと、「普遍的に開かれた公正さを求める事」の、「順序と関係」に関わる問題なのだな。
 
加藤典洋氏の『戦後的思想』は、その前著『敗戦後論』によって巻き起こった左右両方からの総攻撃、おそらく戦後政治思想史上、最も大きな論争において、孤立無援の状況で、左右両方に、知的能力の限りをふりしぼって、一人ぼっちで立ち向かった本だったのだな。


 その『敗戦後論』で最も問題になったのは、「二千万のアジアの死者にたいする追悼に先立って、日本の(戦争で死んだ、戦争の中ではアジアの被害者への加害者でもあった)三百万人の自国の死者への追悼をするべきだ」という主張なのだな。
 「家族」「身近なものを優先する」という家族の哲学と、「ニ千万のアジアの死者」という開かれた、普遍の立場にたった追悼の、どちらも大切なのは論を待たないのであって、まさにその追悼の「順序」の問題をめぐる加藤の主張が、大変な論争を巻き起こしたわけだ。

 このことと、東氏が今回、提示した「観光客の哲学」と「家族の哲学」の接着という課題は、まったくもって相似形というか、同じ問題をめぐる考察であり、その加藤氏の著書のこの上ない解説を、東氏はかつて書いているのである。

 そしてかつての解説でも、今回の「訂正可能の哲学」も、ともに、論は、アーレントの公共性をめぐる考察で論を締めているのである。東氏の問題意識が、この周辺に強くあるのがよくわかる。これは「公共」と「私的領域」を分ける、それが政治について哲学を行う基本である、というアーレントの立場なのだけれど、加藤氏の、東氏の立場は、それとははっきりと異なる。これは柄谷行人氏の、日本と欧米での受容のされ方の差異として東氏も言及しているように、文学の言葉、文学が扱う、「私」の領域の問題を、政治が扱う「公」の言葉の基礎に置いて政治哲学を考える、ということを巡る問題なのだな。


 加藤氏への解説の方の、「政治のなかの文学の場所」での東氏の文章を引用する。

〈ぼくはさきほど、文学の言葉は、共同体の手前にある「私性」と共同体の彼方にある「公共性」とを、論理の言葉とは違う回路で直結させるものなのだと記した。けれども加藤はここで、まさにその直結のメカニズムを、ヘーゲルとルソーの再読を通じて論理の言葉で記述しようと試みている。
 アーレントは公と私を分けた。言い換えれば政治と文学を分けた。そして公=政治から私=文学を排除しようとした。(実際にはこれはアーレントにかぎらず多くの社会思想家に共通する傾向である)。けれども本当の公=政治は、私=文学のなかからしか、すなわち私利私欲の徹底からしか出てこない。それがヘーゲルとルソーの発見であり、また近代の発見だったというのが、この二章で加藤が言おうとしていることである。〉

次に、「訂正可能の哲学」から引用する。

〈『人間の条件』は、長いあいだ公共性論の起源のひとつとして読まれてきた。そしてリベラルは公共性を開放性と同一視してきた。けれども、その起源のアーレントが、そもそもそんな単純なことは主張していなかったとしたらどうか。アーレントは公共性を開放性のみによって定義したのではない。開放性と持続性によって定義している。開放性としての公共性は活動(僕の註 政治的言論活動のこと、と単純化して考えても、ここでは問題ないと思う。政治的言説)によって可能になり、持続性としての公共性は制作(職人的ものづくりを一義的には指すが、作品として残る芸術家の行為も制作に含まれる。文学の言葉、小説の言葉もここに入るわけだ 僕の註)によって可能になる〉


 つまり、前回と今回の論文で、東氏のアーレント評価は、変化というか、進化している。アーレントは「公共性」を成立させるものとして、芸術の言葉、文学の言葉の必要性を認めているのでは、という新しい読み方の可能性を東氏は提示しているわけだ。それは柄谷行人氏や加藤典洋氏という、哲学・思想という公共性を論じる際にも文学の言葉をその基礎に置くという、東氏も含め、日本の政治思想と文学の関係を論じるスタンス、それを基礎づける発見というか、提言なのだと思う。


 僕は、東氏の書く文章にも、東浩紀氏という存在にも、深い尊敬と親近感を感じる。その一番の理由は、この「文学的言葉」と「思想・公共・政治を語る言葉」の間の関係について、柄谷氏がそうであったように、加藤典洋氏がそうであったように、きわめて自覚的に意識的に、つなげて掘り下げて考える人だからだと思う。


 「一番わかりやすい」と書いたが、それ以外にも、もうすこし微妙な、しかし、重要な理由がある。


 人間としての東浩紀氏に、親しみ、共感を感じるのである。それは抽象的な「家族」論ではなく、具体的な「家族」とか「生活感」のようなところでの共感である。


 私の子どもの1人が、早稲田文化構想学部在籍時期が、ちょうど東氏が同学部で教授をしていた時期であり、かなり深く教えを受けたこと、その後のゲンロン批評家再生塾の一期生としてお世話になったことなど、「我が子の恩師」ということからも、常に注目してきたこと。そして、東日本大震災の直後、私が子ども五人と共に京都に一時避難したときに、東氏も、お子さんと共に静岡まで避難して、そしてツイッターなどで批判されていた。このことは、実は単なる面白エピソードではなく、本論「家族の哲学」、家族と公共がどのような関係にあるか、保守とは何か、そういうことを考える上で、「危機に際して思わずどういうこと行動をとるか」に現れる、同じような価値観ポジションにあることを示す重要なエピソードだと思うのである。


 この論文の最後に、東氏は、アーレントの思想が「家族の哲学」とさらに深く関係する可能性に軽く触れている。引用する。

〈ここまでいちども触れなかったが、アーレントは、ひとがたえず新しく生まれ、新しい思考の可能性とともに参入してくることこそが、公共性の条件だとも語っていた。彼女は、子が生まれ、増えるという単純な事実が、思想的にはとてつもなく重要であることを理解していた数少ない哲学者のひとりである。〉


 と書く東氏自身が、そのことの重要性について、勇気をもって(なぜ勇気を持たないとこんな当たり前のことが発言できないのか、という現在の思想界というのが嘆かわしい限りだと思うのだが)発言する、数少ない哲学者のひとりなのである。アーレントについての註で東氏は自らのこの点についての思想こう書いている。

〈ハイデガーが典型だが、近代哲学は人間について各人固有の「死」から逆算して考える傾向がある。たいしてぼくは『観光客の哲学』で、それとはべつに「出生」の哲学が必要であり、それこそが「家族の哲学」なのだと記していた。僕はそのときアーレントの一節を意識していなかったのだが、彼女も同じ思想の必要性を方ているように思われる。ポリスは多数の人を必要とする。したがって出生を必要とする。そして出生はオイコス(家族)によってしか行われないのだから、結局はポリスはオイコスに依存する。これは当然の論理のはずだが、「国家」以来、哲学はなぜかポリスについてばかり考えてきた。だからぼくたちはいまオイコスの哲学を必要としており、それは★9で記したようにジェンダーの問題とも関係している。〉


 そして、友人や私のnote読者のみなさんはご存じの通り、私は六人の子供を、「できるならば、新しい文学的言葉を生み出す制作者として、少なくとも良き読者として」育てることをすべての思想と行動のもとにおいて生きてきた人間なのである。東氏の言う「出生の哲学」が、僕の人生の基盤なのである。そのことについて、真剣に、思想的問題として考え発言している哲学者思想家というのは、東浩紀氏しか、思い浮かばないのである。 

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