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『飛ぶ夢をしばらく見ない』山田太一 (著) もちろんテレビドラマもたくさん見たし好きだったけれど、 山田太一氏の訃報を聞いて、真っ先に思い浮かんだのがこの小説なので、再読して、感想文書きました。

飛ぶ夢をしばらく見ない

山田太一 (著)

Amazon内容紹介

時間を逆行し生きる女性と中年男の愛の日々。

数ある山田太一の小説作品の中でも、初期の最高傑作。骨折で入院中の主人公・田浦の病室に列車事故にあった患者が運び込まれる。衝立ごしに出会った女性患者・睦子との不思議な一夜から、信じられない物語が始まる。主人公が再会した彼女は「若返って」いたのだ。老女から少女、そして幼女へ、さらには……。彼女は自らの若返りを止める術を持たない。二人はいつか訪れる関係の終焉を予感しつつも、互いを愛おしみ、逢瀬を重ねる。

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ここから僕の感想。というか思い出話半分。

 山田太一氏の訃報を聞いて、この本があるはずのあたり、三階の廊下に妻が後から据え付けてくれた背の低い本棚のあのあたりに走った。大学生活から20代の頃に買った本はだいたいあの辺にあるのだ。すぐ見つかった。家じゅう本だらけ本棚だらけなのだが、それでも「あの本はこの辺にあるはず」というのは分かっているから、散らかっているようでいじってはいけないのである。

 山田太一氏の1980年代前半のテレビドラマ脚本家としての多作充実ぶりは恐ろしいほどで、僕が記憶にあるものだけ列挙するが、Wikipediaを見ると、僕の覚えていないものがこれと同数くらい同時期にある。異常な多作かつどれも傑作、山田太一氏のキャリアのピークだと思う。
 76年にスタートしたNHKの「男たちの旅路」はシリーズ化して82年まで続いていたし、80年に大河ドラマ「獅子の時代」を書くと、81年9-12月には森昌子、古手川祐子、田中裕子の三人を主役にした「想い出づくり。」、笠智衆との「ながらえば」が82年11月、「夕暮れて」が83年1-2月、代表作といっていい「早春スケッチブック」が83年1~3月、「ふぞろいの林檎たち」が83年5~7月、今井美樹がデビュー作で女子プロレスラーを目指す女の子を演じた「輝きたいの」が84年5月、「ふぞろいいの林檎たちⅡ」が85年3-6月。

 僕の大学生活が、その山田太一氏のピークの時期である81年4月~85年3月。一人暮らしをしていたのが81年8月から。一人暮らしを開始するとともに、宮崎駿の「未来少年コナン」再放送があって、それを録画保存するため、ビクターのhi-fiVHS、298000円を36回ローンで分不相応にも買った。それで、山田太一ドラマも軒並み録画して繰り返し繰り返し観た。宮崎駿と山田太一、どっちにより影響を受けたかはわからないなあ。僕が映像作品から受けた影響の大きさでは、二人が双璧であることは間違いない。

 大学生主人公の「ふぞろいの林檎たち」の時期に、僕も大学生活を送っていたのである。エリート東大生・国広富之に共感していたかと言うとさにあらず。イケメンたちの中で一人チビでブサイクなラーメン屋の息子・柳沢慎吾は、これまた女性陣ではひとりだけひどく太った中島唱子とドラマの中で後に結婚するのだが、僕は、高校でクラスでいちばんチビで、そして同級生女子でいちばん(かなあ、ごめん)太っていた妻と結婚したので、あのカップルに自分を重ねながら見ていたのである。柳沢慎吾が出かける時におしゃれシャツにこだわって、ラーメン屋おかあちゃん吉行和子に「アイロンかかっていない」みたいに文句を言うシーンがあって、吉行和子に「あんたみたいなの、何着たって一緒だ」みたいなことを言うのに、柳沢慎吾が口答えてして「おれみたいなチンチクリンはせめてシャツだけでもおしゃれじゃないと」みたいなことを言うシーンがあった。札幌に帰省していた時に母親と一緒に見たのか、それとも母親と電話していた時にそう言われたのか、「あんたのことを思い出しちゃったよ」って言われて、なんだか恥ずかしかったのを覚えている。当時のドラマには今みたいなLGBTQの人物はあんまり登場しないのだが(今どきのドラマはどこかに必ず、メインの人物でなくてもそういう人物が登場するようになっている。)、山田太一ドラマだと、単にチビとか単に太っているとか、単にあまり美しくない容姿に恵まれないという、「容姿差別だー」みたいな形ではあんまり表立って扱われないけれどそれはそれでけっこうきついのよ、という地味なつらさについて、山田太一のドラマはちゃんと目配りされていた。「ふぞろい」ってそういうことだから。「男たちの旅路」の「車輪の一歩」のような、明確な差別や社会問題を扱った名作もあるけれど、「普通の人の中の微妙な生きづらさ」みたいなことにも、とても敏感な人だった、そういうことをドラマとして掬い上げてくれる人だったと思う。

 話がズレちゃったけれど、そういう恐ろしく多産多作のキャリアピークにいた1980年代半ばころに、山田太一は小説も書いていて、この『飛ぶ夢をしばらく見ない』は、1985年、「小説新潮」昭和60年10月号に掲載されて、僕が持っている単行本は、1986年7月10日の第7刷である。

 同じ雑誌「小説新潮」昭和62年1月号に掲載され、単行本が出て山本周五郎賞を受賞し、後に映画化され大ヒットしたのが『異人たちとの夏』。小説としても映画としても『異人たちとの夏』の方が有名なのだが、僕は小説としては『飛ぶ夢をしばらく見ない』のほうが好きなんだなあ。こっちも後に映画化されたらしいけれど、ほとんど話題にならなかった記憶がある。

 あれほどテレビドラマをたくさん書いていた85年に、小説をわざわざ書いた意味と言うのが、この小説にははっきりあるのだよなあ。

 「岸辺のアルバム」なんかはわりと性的な関係がいろいろと描かれていたけれど、やはりテレビドラマでそのことを描く限界というのはあって、この『飛ぶ夢をしばらくみない』は、テレビでは絶対描けない、いや、ほんとうは映画にだって絶対できそうもない、そういう性的表現を通して、でもそのこと自体がテーマなわけではなくて、人の老いと死と愛と別れについて、この上なく痛切な物語を創造しているのだよな。

 Amazon内容紹介にある通り、初めに出会った時、主人公男性は47歳、女性は67歳。なのに、一年間の間に、女性がどんどん会うたびに若返ってしまうのである。その結末は。

 今日、もういちど読み直したけれど、小説終盤、もうやはりいたたまれない気持ちに何度もなって、立ったり座ったりうろうろしながら読んだ。

 山田太一氏のドラマは、クライマックスで、普通だったら言わないようなことまで、台詞で、登場人物がはっきりと言葉で何か大切なことを言うわけだ。普通、それは言葉にしないよ、出来ないよ、言わないよということを、言葉にしてしまうということは、それはこの小説でも大切なシーンで何度もあって、そこは本当に山田太一なんだよなあ、小説でもと思う。そして、テレビでは言えないこと、描けないこと、小説でしか書けないことを、とことんまで追求したのがこの作品なんだよなあ。

 変な話だが、宮崎勉事件が起きたのが1988~89年で、あれがあった後ではこの作品は世の中に出すのがためらわれただろうなあ、という表現場面もあったりするのだな。だって、女の人、どんどん若返っていくわけだから。

脱線思い出話

 またまた話は飛ぶのだが、この小説のことを考えると、必ず思い出すことがある。そのエピソードがあるので、この本を実際に読んだのは1988年から90年の間くらいだろうなあ、と確定できるのだな。

 僕は大阪の電通をやめて相模原に帰ってきた後、東京の青山表参道骨董通りのマンション数室でマーケティング会社をやっていた社長さんに声をかけられて、そのオフィスの中にデスクを一個かしてもらって居候をしていた。それが1988年から1992年くらいまでかしら。そのオフィスには、会社の社員の人だけじゃあなくて、社長さんの昔からの知り合いや、僕のように声をかけられてデスクを借りているフリーのライターの人とか、いろいろ謎の人物がたくさんいた。

 ある日のこと、ちょっとだけ年上の女性のライターをしている方となんとなく雑談をすることとなった。僕が当時25~27歳くらいで、その方は30代前半くらいだと思う。今もFacebook上でも友人なのだが、もちろん年齢は直接きいたことはないが、ちょっとお姉さまである。
 その方に「最近、どんな本を読んだの?」と聞かれて、答えたのが、この本だったのだな。そしたら、そのお姉さまはとても気さくで親切な方なのだが、後にだんだん分かるのだが、何事にも正統派でクラシックな趣味をお持ちの方なので、「あら、ごめんなさい、私、現代の日本の小説ってあんまり読まないので、わからないわ」と、おっしゃられたのですね。で、僕は、「あ、山田太一とか言ったから、テレビドラマの脚本とか思われちゃったかな」と思って「あ、山田太一だけれど、これドラマの脚本とかじゃなくて、ちゃんとした小説なんですよ」なんて一生懸命、しどろもどろになりながら説明しようとしたのだけれど、なんだか、話が通じない。「いやまさか、ドラマ脚本家としての山田太一のことまで知らないわけはないよなあ」と思ったのだが、なんだか話が通じなくて、困ったなあ、というそういう不思議な思い出がある本なんですね、
 小説の内容を説明しだすと、どこが凄く良かったかを説明しようとすると、だってすごく性的な話だから、まだ全然知らない女性にそういう話をするわけにももちろんいかないし。

 そうやって思い出すと、宮崎事件との同時期にこの小説はかなり危うい内容だったんだなあ、と今にして思うとそんなことも考えてしまう。

作者の年齢、僕の年齢

 それにしてもこれを読んだときの僕は27歳くらいで、この小説は男性主人公47から48歳の一年間を描いていて、書いたときの山田太一氏は50~51歳くらいである。そして今、僕は60歳になっている。

 主人公の年齢も、これを書いた頃の山田太一氏の年齢も10歳くらい超えてしまってから改めて読む、という体験を、今日、したわけである。あの当時の僕は、この小説のどこに、あんなに惹かれたのかなあ。

  今の僕ならば、自分の性的な衰え限界とか、「恋愛」みたいなことがかろうじて可能な限界年齢を迎えちゃったんじゃないかという危機意識に襲われる50歳くらいに、仕事の上での衰えも重なる、そういう男性の人生の危機と、女性を愛することと別れることの痛切さを際立たせるための設定としてすごいなあ、なんて思うわけだが。

 『異人たちとの夏』は親子の、というところに主眼があったから、性的なテーマも内包しつつも、国民的大ヒットになったのだけれど、この『飛ぶ夢をしばらくみない』の方は、言って見れば95年の渡辺淳一の『失楽園』ブームを10年も先取りしつつ、『失楽園』の、リアルなああいう「おっさん性的ファンタジー」ではなくて、もっと本当にありえないファンタジーな設定を取ることで、なんか、性的なことなんだけれど、おっさんの話なんだけれど、すごく純粋な、美しい、切ない話になっているところがいいんだよなあ。でも、『異人たちとの夏』みたいな広い支持は集めなかったんだよな。

 山田太一という人のこういうところ、テレビドラマの中でも、ときどき垣間見えはするのだけれど。でもあんまり表立っては出さないところ。小説だと、特にこの小説だからこそ、赤裸々な性的なことの中にピュアな美しさを求めてしまうところが際立って描かれているのだよな。

 現代のフェミニズム的視点からすると、古くさくて男性中心的な女性観、女性に自分の性的ファンタジーを投影されている、とかみたいにひどく批判されちゃいそうな気もするのだけれど、いやそんだけじゃなく、小児性愛嗜好者なのかよ、とか、いろいろ大批判かもしれないけれど。(宮崎駿もそういえば、その視点から激しく批判されたりするなあ)、
でも1985年という今から38年前に、山田太一が「テレビドラマでは書けない、小説でしか書けない、自分の心の深い所に隠していた切実な気持ち」を書いた小説なんだから。そういうものとして、大切に読むべきなんじゃないのかなあ。

  山田太一氏の訃報を聞いて、真っ先に思い浮かんだのがこの小説なので、読み直してみての感想、おしまい。


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