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『真夜中の子供たち』(岩波文庫 ) サルマン・ラシュディ (著),  寺門 泰彦 (翻訳) インド現代史と主人公の個人史が深く連動するという企みの傑作、というと大真面目な小説と思うかもだが、奇想天外なファンタジーと、下世話な愛と性の一代記でもある。深刻な問題で悪ふざけをする人なのだなあ。

真夜中の子供たち(岩波文庫 )
サルマン・ラシュディ (著),  寺門 泰彦 (翻訳)


Amazon内容紹介

上巻
「一九四七年八月一五日、インド独立の日の真夜中に、不思議な能力とともに生まれた子供たち。なかでも〇時ちょうどに生まれたサリームの運命は、革命、戦争、そして古い物語と魔法が絡みあう祖国の歴史と分かちがたく結びつき──。刊行当時「『百年の孤独』以来の衝撃」とも言われた、二〇世紀小説を代表する一作。」
下巻
「「貴君は年老いた、しかし永遠に若くあり続けるインドという国を担ういちばん新しい顔なのです」──ついに露顕した出生の秘密。禁断の愛を抱えつつ、〈清浄〉の国との境をさまよう〈真夜中の子供〉サリームは…。稀代のストーリーテラーが絢爛たる語りで紡ぎだす、あまりに魅惑的な物語。(解説=小沢自然)」


ここから僕の感想。


 マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』を読み終えて感想を書いたのが10月15日。そこから引用。

「ということで、過去50年のブッカー賞の中でも評価の高い一作なのだな。
しかしまた、「ブッカー賞の中のブッカー賞」というのもあってもこれは1993年にブッカー賞中のブッカー賞 (Booker of Bookers Prize) として、サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』(Midnight's Children、1981年受賞)が選ばれたのだそうだ。つぎは、これを読んでみようと思うのである。」


 と書いてから、まるひと月以上かかってしまった。
毎日一章ずつ読んで、30章あるから、そうか、何日かさぼった日があるのだな。


 この二冊、「どっちが歴代ブッカー賞でベストか」つながりでもあるのだが、実は「インド近代史」つながりでもあるのだ。


 僕は、大学受験を世界史・地理Bで受けたにも関わらず、インドの歴史、全然知らなかったのである。びっくりするほど何にも知らなかった、ということを、この小説を読みながら改めて思い知った。


『真夜中の子供たち』は、著者自身の前書きにもある通り、というか小説を素直に読めばそのままわかる通り、インド独立のちょうどびったりに生まれた主人公が、インドという国と、自分の個人史を重なるものとして描く、という、ものすごく分かりやすい基本構想で書かれている。で、インド現代史について、読者は基本的に知っている、ということを前提に書かれているのである。知らないことには、まったくチンプンカンプンなのである。


 (ちなみに、『イギリス人の患者』の方は、映画「イングリッシュ・ペイシェント」の印象だと、アフリカの砂漠を舞台にした英国人の大恋愛物語、みたいな感じで「どこがインドなの?」と思うかもしれないが、最終的には、インドのシーク兵、イギリス軍の工兵(爆弾処理のプロ)として、イギリス人の患者を看病するカナダ人看護師と恋愛関係になるインド人が、実は著者の立場にいちばん近い。(オンダーチェはスリランカ出身のカナダ人)。大英帝国周縁の、インド人やカナダ人の立場から、大英帝国の一員として第二次大戦に参加していった何人かの主人公たちの受難の体験を描いた小説なのである。その中でも小説終盤、中心的話者となるのは、インド人シーク兵なのである。)


 なので、いつもの通り、Wikipediaのインドの歴史を泥縄式に勉強し、グーグルマップのインドの地図をスマホで確認しながら、読み進めたわけだ。


 読んでいる途中に、思わず一回、Facebookに感想を書いた。ラシュディが『悪魔の詩』で大変なことになったのは、深刻な問題に対して、下品な悪ふざけをついついしてしまう、そのせいなんだな、ということが、この小説を読んでもわかった。いろいろ政治とか歴史とか真面目な感想を書いてしまうが、書かれているエピソードの1/3は荒唐無稽なファンタジー。1/3はかなり下品な恋愛と性的体験の告白。そういうもので、歴史と政治のインド現代史を綴っていくのである。


 Amazon内容紹介にも『百年の孤独』との比較が書いてあるけれど、一族の年代記であり、マジック・リアリズムの小説であり、奇想天外なのだけれど、国の歴史と一族の歴史が深くリンクするという点での「国民小説」であるという点でも共通点は多い。


 あと、時間がかかったのは、『イギリス人の患者』で、日本とインドの関りが、小説の展開に決定的な影響を与えていて、インド現代史と日本というテーマについて考えつつ読んだからでもある。この間、並行して岩波新書『パル判事 インド・ナショナリズムと東京裁判』中里成章著 というのを読んでいたのだが、インドの独立と日本との関係というのが、『真夜中の子供たち』では、それほど大きくは取り上げられていないのだけれど、そちらのテーマについても分からないこと知らないことを学習し、考えながら読んでいたので、えらく時間がかかったのである。


 このあたりのことについて、いくつか書くべきテーマとして、頭の中にぐるぐると考えが渦巻いているので、もうすこしはっきりしたら、noteに書いてみたいと思っている。


 小説としての完成度としては『百年の孤独』の方が上だなあ、とは思うが、現実の政治や歴史と主人公一族を連動される力業、それが大英帝国の植民地支配の終焉、インドとパキスタンの分離独立、つまりはヒンドゥー教とイスラム教の対立の問題、東西冷戦の中での両陣営の間にあってのインドの国内外の政治闘争(バングラデシュの独立時の印パ第三次戦争。その後のインディラ・ガンジーの独裁、非常事態宣言での恐怖政治など、荒唐無稽なファンタジーと現実の政治の深刻な問題が、ここまで一体のものとして、読み物として面白いものとして描くのは、それは「ブッカー賞の中のブッカー賞」だけのことはある。


 というか、この二作がそのように評価されるということは、イギリスと言う国にとって、インドの問題というのが、どれだけ重たいものなのかということでもあると思うのだよな。大英帝国の繁栄と衰退、その中心にインド植民地支配とその独立、というのがあって、そのことを文学として、ここまで真正面から、しかもインド人側の立場から描いた小説というのは、無かったんだと思うよな。インド人っていっていいのかな。イスラム教徒で、家族はパキスタンに移住したりしているから、どっちといえばいいのかな。


 ラシュディ作品は『悪魔の詩』事件の影響で(日本でも翻訳者が惨殺される事件が起きた)、その後に書かれたものも、あんまり翻訳されていないみたいで、英語で読む自信がないので、他の作品も読んで論じる、というふうにはなかなかいかなそうなのだが。


 しかし、この小説は、読むこと、おすすめである。


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