見出し画像

『抱擁』A.S. バイアット (著)栗原 行雄 (翻訳) ハーレクインロマンスみたいな装丁とタイトルだけれど、1990年ブッカー賞の傑作本格小説。「ヴィクトリア朝時代詩人男女、それぞれを研究する現代の男女、二組の男女をめぐるスケール大きな、そして精妙に組み上げられた傑作。小説を読んだーという満足感あり。

『抱擁』 (新潮文庫)  Ⅰ・Ⅱ 二巻
 A.S. バイアット (著), A.S. Byatt (原著), 栗原 行雄 (翻訳)

Amazon内容紹介

「ヴィクトリア朝の女流詩人、クリスタベルの研究を続けるモードは、ある日同時代の桂冠詩人ヘンリー・アッシュの調査をしているローランドと出会った。彼はアッシュの書きかけの手紙を発見していた。ロマンスから遠ざかり、恋の煩雑さを避けていた二人の現代の学者は、共に過去を遡り、許されない恋を辿り、しだいに情熱的なロマンスになだれ込んでゆく。ミステリタッチの恋物語。」

ここから僕の感想

 ここ半月ほど、この本に、ほぼかかりっ切りだったのだが、まあなんと濃厚な幸せな読書体験だったことか。

 やっぱり僕、小説が好きだ。(♪僕、パンクロックが好きだ~♪ の、ブルー・ハーツのメロディーに乗せて叫びたくなるくらい。) ほんとにね。語りたいことは山ほどあるが。とにかく、優れた純文学の小説こそ僕にとっては何より価値のある大切なものなのだと改めて思ったわけでした。

 読み終わった直後に忘れないうちに思ったことを書いておこう。

 まずはタイトルのこと。

 原題は「POSSESSION    A Romance」なんだわ。
直訳すると「所有… ひとつのロマンス」だよね。これがなんで『抱擁』になっちゃうわけ。

 翻訳者の栗原行雄さんによるものすごく長い「訳者あとがき」がついているのだが、本当はPOSSESSIONの多義的な意味があって、作者バイアットも、その3つの含意について自ら解説を書いていている。「抱擁」はその3つの中のひとつを、さらに遠く意訳しちゃったような感じで、栗原さんも不満そうなのだよな。「訳者あとがき」から引用しますね。

「原題に対応する言葉が見当たらないので、含意がすくなくとも一つは重なる多義的な日本語を求め、編集部の提案をそのままいただいて、この題に決定した。」

 不満そうでしょ。栗原さんは1933年生まれの早稲田大法学部教授さんで、すごく真面目で細かいあとがきを書いてくれています。分析としてはこの訳者あとがきが完璧だと思う。

 編集的には、「抱擁」ってタイトルにした上で2002年に映画化されたときの写真を使って、なんか「ハーレクインン文庫」みたいなラブロマンス小説みたいな装丁して売らんかなだったんだろうな。編集としてはマーケティング的に「抱擁」推しです。っていうことだったのだと思う。

 いやー、でも、内容は、そういうんじゃないから。

 ROMANCEの方も、ロマンスっていう言葉もね、日本だと「ラブロマンス、恋愛小説」の意味でしか使われないから、『抱擁」で副題が「ひとつのロマンス」なら、もうハーレクインじゃんってなっちゃいそうなのだが、

Wikipediaの「ロマンス」の項から引用。

「中世ヨーロッパでは、正式な古典文化を意味する「ラテン」に対し、俗ラテン的という意味で「民衆のもの」という意味合いがあり、そこから以下のような意味が派生した。
1 空想的で大衆向けの小説、物語。
現在[いつ?]では特に恋愛小説を指す。
2 中世騎士物語
3 史詩 - 中世スペイン文学の一ジャンル。
4 民族叙事詩 」

 そうなんだわね。この1~4全部を満たすような、ロマンスなんですよ、この小説。恋愛小説ではあるけれど、聖杯探しの騎士物語で、詩と一族の歴史の話で、ブルターニュ/ケルトの伝承・神話・童話をめぐる物語でもある。

ちょっと話は飛びますね。

 ヴィクトリア朝時代の男女の恋愛と、現代の男女の恋愛を重ねてて描く、というと、映画『フランス軍中意の女』(映画は1981年)を思い出すわけですが。原作のジョン・ファウルズの小説は1969年で、小説の方は、「現代の男女」の構造は無し。あれは映画化において付加されたアイデアなんだよな。

 で、この小説の出版が1982年。とはいえ構想は1960年代から温めていたというから、ふたつの間に直接的影響はないと思うのだけれど。ちょっと連想して思い出した。

 ヴィクトリア朝(先日亡くなったエリザベス女王の次に在位期間の長かったヴィクトリア女王の治世1837~1901)のイギリスというのは、大英帝国全盛期だし、文学的にはブロンテ三姉妹とかジョージ・エリオットとかの女性作家が大活躍する時代だし、ダーウィンの進化論で世の中の価値観が大きく動いたりとかまあ、ものすごい時代だったわけだ。夏目漱石がロンドンに留学したのもヴィクトリア朝時代。日本の幕末から明治の時代なわけだ。

 で、ジョージ・エリオットが、女性でありながら男性名で小説を書いたように、社会的にも文学的にも、女性が活躍する時代でありつつ、まだ男性中心の時代で女性が苦労した時代でもある。『フランス軍中尉の女』も、この『抱擁』も、その時代の女性のあり方(フェミニズムの先駆者のような)を描きつつ、それと現代の男女の恋愛を複雑に対応させて描くという共通点は、確かにすごくあるのである。

 ちなみに作者A・S・バイアットについて、Amazonから引用

「1936年英国生れ。典型的な知識階級の家庭に3人姉妹と弟の長女として誕生。幼時喘息のためにベッドで過すことが多く、読書と創作に親しんだ。ケンブリッジ大を優等で卒業後、学者兼作家として活躍、現代イギリスの最高の知性として愛されている。作家のマーガレット・ドラブルは3歳年下の妹」

 ヴィクトリア時代のブロンテ三姉妹同様、バイアット三姉妹も全員作家詩人など文学者になっているのだな。1936年生まれというのは僕の母親と同世代で、この小説のヴィクトリア朝の方の主人公クリスタベル・ラモット(1820年生まれくらい)と、現代の主人公モード・ベイリー(1950年生まれくらい)の、間の世代なわけだな。

「フェミニズム」だけが主題なわけではないけれど、フェミニズムの100年にわたる変遷、というものを丸ごと視野に入れた小説でもある。ものすごくスケールの大きいフェミニズム小説、としても読めると思う。(脇役として登場する、アッシュ研究をしたかったのにまだ女性研究者の地位が低かったために、アッシュの妻の日記研究をさせられているベアトリスという老齢の女性研究者が出てきた、主人公二人に挟まれたフェミジズム発展過渡期の女性の立場を表しているようで、なかなか切ない人物であった。)

 それにしても、このA.S.バイアットという小説家のすさまじいまでの文章書き分け力。どれだけの人物の、どれだけの種類の文章を、この小説の中で書き分けていることか。

 過去の方のカップル、男性文豪と女流詩人、その往復書簡、それぞれの作品、詩や論文や童話やケルト、ブルターニュの神話伝承。それぞれの妻や友人の手紙や日記、はては親戚の作家志望女子の日記まで、様々な文章表現。

 現代の方だと、主人公カップルは二人とも文学研究者。その他人物も、英米男女の年齢や学派も様々な文学研究者で、その書いた論文がたくさん出てくる。学派立場ごとに、いかにもそれらしい論文である。

 つまり、バイアットさんは、これだけの時代と性別と年齢と職業特性の違う人の書いた、様々な文章を、全部、書き分けるわけ。詩人も学者もモデルはいるようだが、全部架空の人物だから、その作品も手紙も日記も論文も、全部、バイアットさんが書き分けるわけだ。すごい力業。

 ポゼッションには「取り憑かれる」という意味がある。憑依されちゃうということ。バイアットさんはあらゆる人を自らに憑依させているようでもある。

ポゼッションの意味分類に話を戻そう。

 ポゼッションというのには、まず、物理的に、法律や経済の用語としての「所有・占有」という意味が一義的にあって、Amazon内容紹介にもある通り、現代の文学研究者である主人公や周囲の人物たちが、研究対象である過去の方の主人公の手紙の「所有」をめぐって騒動になる、というのがのず「ポゼッション」の意味なわけだ。男性現代主人公、しがない研究補助員の仕事しかない、非正規で、中の下の階層の出身で、背が低くて地味なイけてない研究者ローランドが、たまたま図書館の古い資料に挟まっていた過去の側の男性主人公・大文豪アッシュの手紙下書きを、つい「占有」(自分のものにしてしまう)してしまうことから小説はスタートするわけだ。

 そして物理的に「占有」したい気持ちになるほど、研究対象に取り憑かれた状態になるという、「過去の文豪や詩人」と「その研究者」の関係というのがポゼッションの第二の意味。「取り憑かれる」POSSESSEDということ。詩や小説という文学表現を通じて、作者に取り憑かれているのか。自分が作品に取り憑いているのか。というPOSSESSION。

 で、その手紙の受け取りて、過去の女性主人公ラモットを研究していたのが、現代の女性主人公、モード・ベイリーなわけ。この人は大学で教授の地位を得ている長身金髪上流階級の出のフェミニスト。あまりにきれいな金髪を同じフェミニスト女性研究者仲間から「男にこびるために金髪に染めている」とあらぬ批判を受けたことから、いつもスカーフで髪を隠してしまっている、という設定なのね。

 この下流非正規貧乏研究者ローランドと、上流美形金髪フェミニスト・モードの二人が出会って。というのが現代側。現代のフェミニズムと男性の下流問題をうまく取り込んでいると思う。

 過去の側は男性はヴィクトリア時代を代表する文豪詩人のアッシュ。女性は父親が神話研究者としてやや有名ではあったが、本人は詩人・童話作家として本は書いていても無名の存在のラモット。

 それまでの研究では、アッシュはごく堅実なの結婚生活を妻と送ったとされている。ラモットは同性愛関係にあった画家と、女性二人で暮らしたフェミニストにして同性愛者であり、男性とは一切縁が無かったとされていた。

 ところが、この二人の間に何かあったみたい、のという手紙を、それぞれの研究をしていたローランドとモードが見つけてしまう。

 ふたりがどうもそういう手紙を見つけたらしいということを、ローランドの上司の大学教授ブラックアダー,アメリカ人の富豪蒐集家クロッパー、二人ともアッシュに取り憑かれた研究者・蒐集家なのだ。一方、ラモット研究者側では、アメリカ人でバイセクシャルでフェミニストの、豪快な性格の研究者レオノーラという女性が登場する。(彼女はラモットとも同性愛関係にある?とほのめかされる)彼女もモードが何かを隠していることをかぎつける。

 主人公現代カップル、過去のカップル。それぞれ別の同来異性のパートナーを始めは持っている。恋愛と性的関係というものが、それぞれ他者を「所有・占有したい」という気持ちや行動を含んでいる。そういう恋愛、性愛、結婚生活の中にあるPOSSESSIONが第三の意味。

 というわけで、POSSESIONも、ROMANCEも、多義性をもった言葉として、そのまるごとを、ふたつの時代の多様な人物のあらゆる言語表現を駆使して構築しているという小説なのである。

 こう書いてくると、「そんなのややこしくて難しくて詰まらんのでは」と思うでしょう。しかし、これを、作者は「探偵小説」として「面白くなきゃ小説じゃない」という気概でもって書いていくわけ。いやもちろん「恋愛小説」としてもしっかりとエンターテイメントになっている。

 上流イギリス人というのは京都人に近くて、思ったことを直接言わずに、遠回しにいろいろと気持ちを伝える、という説があるけれど、特にヴィクトリア朝時代の手紙は、そういう婉曲遠回り表現だらけだし、たいていの章に詩がたくさん出てくるし、唐突に童話や神話が語られたりするので、そのペースに慣れるまで、ちょっと苦労したけれど、しばらくしてこの作品世界に頭が慣れてくると、もう面白いことこの上なし。エーコの『薔薇の名前』を意識したようなことを作者自身が書いているけれど、そういう、本格的純文学なのにものすごくエンターテイメント、という小説なのでした。

 この前2002年のプッカー賞って書いちゃったけれど、1990年の間違い。2002年は映画の公開でした。ブッカー賞受賞作に外れなし。

 これだけの大傑作、なぜかAmazonでは古本しかありません。僕も古本で買いました。版元品切れぽい。新潮文庫さん、増刷お願いします。

いやほんとに楽しい読書体験でした。

映画DVDはちゃんとある。

プライムビデオでも見られます。

https://amzn.to/3BKnP84



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?