見出し画像

『帰りたい』カミーラ・シャムジー(著), 金原瑞人,安納令奈(訳) 現代イギリスを舞台にした対照的な二つのパキスタン系移民家族。イスラム国に参加した弟を救おうとする姉二人という貧しい家族。イスラムに背を向け内務大臣となった政治家とその甘ちゃん息子という金持ち家族。シェイクスピア悲劇のような読後感でした。

『帰りたい』カミーラ・シャムジー(著), 金原瑞人,安納令奈(訳) 2022/6/28

Amazon内容紹介から抜粋(本の帯要素)

 イギリスで暮らす対照的なムスリムの家族を襲う悲劇が、われわれには想像もつかない状況で展開します。
そして最後には、その悲劇が異文化という壁を大きく揺さぶります。ここ数年間で出会った翻訳作品のなかで最も衝撃的で、切なく、心を打たれた作品です。――金原瑞人

 ロンドンで暮らすムスリムの3人姉弟の末っ子が、ジハード戦士だった父に憧れ、イスラム国に参加する。姉たちは弟を救い出そうとするが……。

 ブッカー賞最終候補、女性小説賞受賞作! BBCが選ぶ「わたしたちの世界をつくった小説ベスト100」(過去300年に書かれた英語の小説が対象)の政治・権力・抗議活動部門で10作品に選ばれた傑作長編!

本の帯の表紙側

英米各紙で「ブック・オブ・ザ・イヤー」の話題作!
「どうして急進派になる人が出るのだろう?この答えが知りたくて、私はこれまで専門家と意見を交わしてきた。でも、小説のほうがいいヒントをくれそうだ。ソフォクレスの古典ギリシャ悲劇『アンティゴネー』に着想を得たカミーラ・ジャムジーの力作は、まさにそれをやってのけた」英オブザーバー紙(2017年「ブック・オブ・ザ・イヤー」選者コメント)
「エレガントでスリリング。現代における社会と家族と信仰の対立を力強く描いた作品。まさしくこの葛藤をかつて取り上げた古典ギリシャ悲劇への見事なオマージュ」英ガーディアン紙
「これまで読んだ21世紀の小説の中でも、最も忘れがたいラストシーン」米ニューヨーク・タイムズ紙

本の帯の裏表紙側

ここから僕の感想

 いや、もう、ほんとに各紙の書評通り。初めは現代の「身分違いの恋」の物語かと思って読んでいたら、それがもう、ギリシャ悲劇のように、あるいはシェークスピア悲劇のように、もうどうしようもない運命、どんどんとそれぞれの人物が、どうしようもない状況に追い詰められていき、ニューヨークタイムズの言う通りラストシーンの、なんともまあ。

 21世紀の、今の世界を描き出す見事な小説でした。一気読みしてしまいました。

 さて、この小説が描いているのが、どういう意味で「21世紀の、今の世界」なのか。最近よく考えている「イギリスという国、そこの人の特質」みたいな話題、テーマとも深く関係していて、いろいろな角度から語れると思うので、ここから、クライマックスのネタバレはしないように注意しながら、この小説の描く「21世紀的状況」について、考察していきたいと思います。

、著者について。

【著者】
カミーラ・シャムジー Kamila Shamsie
1973年、パキスタンのカラチ生まれ。米国ハミルトン大学創作科卒業後、マサチューセッツ州立大学アマースト校でファインアート修士号を取得。98年に In The City by the Sea で作家デビュー。2007年、英国に移住。13年に英国籍を取得。

本のカバー折り返しから抜粋

 そう、パキスタン出身の人で、まずアメリカに留学してはじめハミルトン大学というニューヨーク州の(ニューヨーク市ではない)かなり北の方にある大学を卒業後、マサチューセッツ州立大学アマースト校大学院を出て、そこから2007年にイギリスに渡ってイギリス国籍を取るのだけれどパキスタンとの二重国籍だということなのね。この著者の経歴と本書の内容は深く関連しているのだな。解説から

この本が生まれた経緯については、カミーラ・シャムジーはこのように語っている。きっかけは、国籍だった。イギリス国籍を取得する以前は、アメリカに渡航しようとするたびに空港の別室に連れて行かれて、取り調べを受けていた。それが、イギリス国籍のパスポートが取れ、これでもう、イギリスにおける法的立場が保証されたと思った矢先、ふとあることに気づき、自分の身分がまだ安全とは言い切れないことにショックを受けた。
 イギリスの国籍法では、二重国籍が許されている。だから、カミーラ・シャムジーはパキスタン国籍も保持する西重国籍者となった。ところがその法律には、政府は二重国籍者のイギリス国籍を剝奪できるという規定がある。この規定は、2005年の7月7日にロンドンで起きた、56人が死亡し700人以上が負傷した同時爆破テロを受け、2006年に設けられた、内務大臣が治安維持の観点から国籍剥奪の判断をし、なおかつ当事者が無国籍者とならない場合(世界人権宣言では、すべての人に国籍を持つ権利があると謳われている)、イギリス政府は市民のの国籍を剥奪できると定められたのだ。

訳者あとがき P322


 つまり作者は、現在はイギリス在住イギリス人作家だけれど、もともとはパキスタン生まれで、大学教育はアメリカで受けていて、そこからイギリスに渡ってイギリス国籍を得たのでイギリス・パキスタン二重国籍だ、ということ。この経歴を、順序や立場を様々アレンジしながら、主人公、登場人物たちに反映させていっているのである。

 この小説、ふたつの、対照的なパキスタン系イギリス人の家族の間のお話なんだけれど、

 ひとつは、ロンドンのウェンブリー近くの、パキスタン系移民やその他東欧などからの移民などが住むあんまり豊かでない地域の、あんまり豊かでない家庭の姉イスマと、二卵性双生児の妹アネーカと弟パーヴェイズ。(双子のあいだではアネーカが姉・パーヴェイズが弟みたいである。)
 両親は死んじゃっていて、姉が少し年の離れた妹弟二人を守りながら暮らしてきた。お勉強のすごくできる姉妹で、姉はLSEロンドン大学政治経済学院で社会学を勉強し、小説冒頭では、そのときの恩師がいるアメリカのアマースト大に留学が決まり、出国する空港でテロリストを疑われて厳しく出国取り調べをされるシーンから始まる。お父さんがジハード戦士としてアフガンで捕まり、グアンタナモで死んでいるので、特に厳しく調べられてしまうのである。
 妹アネーカも18歳になり、姉と同じLSEで法律を専攻する大学生になっている。
 このLSEという大学、私の友人(東大⇒電通で同期)も、在社中に大学院に留学していたので調べたことがあるのだが、文系学問分野、経済・経営、法学など、分野によってはオックスフォードやケンブリッジをしのぐNO1評価の超名門である。オックスブリッジが東大だと置いたときの、一橋大学みたいな位置づけかなあ。いや、もともとはオックスブリッジがイギリス国教会信徒だけしか入学できないという宗教色のある大学だったので(今はもちろん入学者に宗教規定はない)、そうではない大学という設立経緯を持つのだそうだ。wikiから引用する。

ロンドン大学の際だった特色は「人々のための大学」という伝統である。この伝統は、ロンドン大学の基礎団体のUCLが、英国国教会の信徒にのみ進学が許されていたオックスフォード大学ケンブリッジ大学に対抗して、人種、宗教、政治的信条に関わりなく広く学問への門戸を開くため設立されたことに起因する。また、イギリスで初めて女性に学位を授与したのもロンドン大学 (UCL) である。

Wikipediaから

ということだ。
 だから、主人公家族がロンドンに住んでいるということもあるけれど、パキスタン系移民でイスラム教徒で女性であるこの姉妹がLSEで学んでいるというのは、そういう背景があるということなんではないかと思う。極めて優秀な姉妹である。
 それに対して、弟は、音についてとても鋭敏な感性を持っていて「音・録音」ということにだけ興味があって、そういう「音響エンジニア」みたいなことを仕事にしたいなあと考え、大学には進まず、近所の八百屋さんでバイトしながらぶらぶらしているのだな。そういう家族である。父がジハード戦士であったことで、例えば、ネットを検索したりすることでさえ、当局に監視されているだろうなあと警戒し、少しでも変なことをしたら、大学で学んだりましてや海外に出たり、そういうことができなくなるのではないか、ずっとすごく警戒しながら暮らし続けている家族なのだな。
 サッカーの聖地ウェンブリースタジアムの周辺が、モスクもあったりして、パキスタン系移民が多く住む地域なんだなあ、ということも初めて知ったことでした。

 もうひとつの家族は、同じパキスタン系移民なんだけれど、小説スタート時点ですでに保守党の国会議員で、小説が進む中で内務大臣になり(さっき引用した国籍法で二重国籍を剥奪する判断ができる、その立場に立つわけだ)、いずれはパキスタン系初の総理大臣になると目されているカラマット・ローンと、その家族。彼は偉くなってい行く途中で、イスラム教を捨てて、イギリスの伝統的価値観擁護の立場を選んでいる。イスラム教徒、パキスタン系移民のコミュニティからは「裏切者」と思われているが、国民全体の支持を得て偉くなっていくには、そのほうが得と判断した男なわけだ。
 妻はアイルランド系アメリカ人の世界的インテリアデザイナーである。子どもは二人いて、姉はアメリカの投資銀行で活躍している出来のいい自慢の娘だが、息子エイモンの方は良心に甘やかされて育った甘ちゃんで、大学を卒業して、コンサルの仕事をしていたものの、なんとなくすぐにやめてしまって、でも親からの援助でぶらぶら暮らしている。ぶらぶら途中でアメリカのアマーストで暮らしていて、貧しい家庭の方の姉、留学して来たイスマと知り合う、というのがお話のスタートなわけである。

 「エイモン」というこの甘ちゃんおぼっちゃまの名前自体が、このお金持ち政治家家庭の微妙な立ち位置を表している。小説本文から引用

エイモン。それがこの青年の名前だ。ある新聞がその名前のルーツを説明して、一家の写真も載せたとき、ウェンブリーの人たちがどんなに嘲笑したことか。ムスリムの名前をアイルランド風に綴り、誤魔化していたからだ。つまり「アイマン(Aymon)」を「エイモン(Eamonn)」にして、父は移民を積極的に受け入れるという人種差別撤廃論を支持していると世に知らしめようとしていた(妻がアイルランド系アメリカ人というのもまた、息子の名前の説明というより、人種差別撤廃論者の男が小細工をしている証拠だと見られた。)

本書p-22~23

 「イスラム教徒の移民」というと、僕は、なんとなくすぐに「中東の」とイメージしてしまっていたのだが、違う違う、イギリスの場合は「パキスタン系移民」がその中心にいるようなのだな。歴史背景を考えれば、東インド会社からインド植民地支配、そして第二次大戦直後のイギリスのインドからの撤退、それに伴う英国植民地のパキスタンとインドへの分裂独立(パキスタンの方が独立国家としての成立はほんの少し早い)、という長い歴史的経緯からのものだからなあ。もちろん中東系や北アフリカ系の移民もいるのだけれど、歴史と社会的背景からすれば、イギリス社会の中に大きな地位を占める「インド系」の影響や地位のすぐ隣に「パキスタン系」がいる、というのは言われてみればそうだなあ、と思ったわけである。
 今のイギリスのスナク首相がインド系移民(l両親は1960年代に東アフリカからイギリスに移住したインド系の移民、複雑だな)の子どもでヒンドゥー教徒なことからも分かるように、(インド系の人への差別は全くないわけではないけれど)、最も大きな植民地だった旧植民地系のインド系&パキスタン系の人たちは政治や経済の世界でのエリート層に普通にある一定割合を占めている社会なのだな。イギリスって。
 インド系だけでなく、パキスタン系でも政治中枢の地位を占める人は現実に出ている。解説から

これは現実になりつつある。この作品が発表された翌年、2018年には、四大閣僚の一つである内務大臣に、まさしくパキスタン移民の子孫で、保守党所属のサジド・ジャヴィドがアジア系イギリス人として初めて就任したのだ。また、2016年には、ムスリムでパキスタンにルーツを持つサディック・カーンがロンドン市長に選ばれた。労働者階級出身のパキスタン移民の子孫であるイギリスの政治家では他にムスリムとしてイギリス初の女性閣僚になったサイーダ・ワシルがいる。

解説 p324

  同じパキスタン系移民の家族でも、片やジハード戦士として死んだ父、その困難の中で生きる姉妹弟、片や保守党の政治家として内務大臣になり、イスラム社会からは距離を取る、超お金持ち上流の家族。

 初めのうちは、その姉妹二人と、政治家の甘やかされた息子、エイモンの三角関係的恋愛とかなんとか、そういう話かと思って読み進めていくのだが。しかし弟パーヴェイズに、父を知るという若者が近づいてきたところから話は不安な方向に急展開していき。

 いやもう後は、読んでみてね。視点人物が変わる五つの章で構成されていて、イスマ(留学するおねえさん)⇒エイモン(政治家の息子)⇒パーヴェイズ(双子の、音響エンジニア目指す弟)⇒アニーカ(18歳の双子の女の子のほう)⇒カラマット(内務大臣)と進むのだが、アニーカの終わりあたりからパーヴェイズの章へ、物語はもうどんどん不穏な展開となっていき、その後は読んでのお楽しみ。楽しいというよりもうすごい。

21世紀の今の世界を反映しているとはどういうことか。

 移民を通じて、世界の情勢が、国内の普通の人の暮らしに内包されている。その状況がまず21世紀的である。
 その内包のされ方というのは、その国の歴史や現在の世界の中での活動のありようによって異なるのだが。そして、ひとたび「イスラム国」のようなことが起きると。普通に暮らそうとしている国内の「移民」が、いやおうなくその影響で大変なことになる。いやまあそういうことは20世紀にもあったわけだが。しかし先進国の国内的テロとその監視と、国際情勢の緊迫が、普通の人の暮らしのレベルまですぐに呼応して影響しあってしまう。

 世界で大変なことが起きるとそこから逃げる形で難民・移民が世界の他の地域に移動して、増加する。そして、移り住んだ先の国、社会を変質させる。平穏な時には、そうした変化となんとか折り合いをつけて人々は暮らしていく。国も、そうした変化をなんとか受け入れようとする。しかし、ひとたびどこかで有事が起きると、それは国外の戦争とかイスラム国のような勢力の台頭かもしれないし、国内のテロかもしれないし。どちらが先行し、どちらがその影響で起きているのか、それは相互的なものだ。
 
 そして、そうしたことを取り締まろう、抑え込もうという各国政府の対応も、状況によって強弱硬軟変化をし、それが国民に肯定的に受け入れられることも、人権抑圧として批判されることも、どちらもある。状況にもよるし、そうした両側の立場で、国内的に分断・対立が深まっていく。

 移民・移民ルーツの新しい国民、国籍はとっていないけれど住んでいる在留外国人。そういう人たちを、社会がどう受容するか、あるいは拒絶、排除するか。国・政治、行政という立場でどう対応するかと、一緒に暮らす市民としてどう対応するか。

 そうした移民のほとんどは、できるだけ平穏に暮らし、移民した国になじもうとするけれど、しかしまた独自の宗教や生活習慣も維持したいと思うのは自然なことだ。そういう生活習慣や宗教が違う人たちではあれ、その多くは「対立とか抗争」を持ち込もうとしているわけではない。

 しかし、そうした人たちの中に、この小説で言えば、イスラム国のリクルーターが入り込んでくる。知人、幼馴染みの友人、近隣の人、そういう中に、ごく自然にそういう人物が紛れ込んでくる。それは避けようがない。

 国は、権力はそうした危険人物を発見し監視しようとする。とはいえ、そういう人物だけを監視することはできない。まずは危険人物を発見するために、この小説で言えば、パキスタン系の、イスラム系の人たちは、幅広く、ネット履歴など行動を監視されている。解説によるとイギリスは世界有数の「監視社会」なのだという。

 たしかに、過去に読んだイギリス小説には、「家族の1人が知らない間に、実は諜報部員だった」というのがわりと翌出てくる。娯楽スパイ小説ではなくて、純文学の作家の純文学小説でも、僕もいろいろ読んだ。マイケル・オンダーチェの『戦下の淡き光』とか、イアン・マキューアンの『甘美なる作戦』とか。

 映画007で有名なMI6は国外諜報活動機関だが、国内の諜報活動をするMI5というのが、本当にふつうの人の生活の中でごく普通に活動をしている。

 それが、インターネットの時代になって、特にイスラム系の人に対しては厳しく監視を行っているのだという。これが21世紀的、という意味でとても大きい。本文中にこういう会話がある。双子妹アニーカとエイモンとおばさんの会話だ。

「けど  気を付けた方がいい、GWMなら、そうじゃない?」
「どういうこと?」
「『ムスリがググる(Googling While Muslim)』ってこと。(中略)」

本書p80

これに対し、註がついている。

もともとGoogling While pregnent.という定型句がある。「妊娠中にGoogle検索すると体に悪い」という意味。アニーカはこれをもじった。世界有数の監視国家であるイギリスでは、ムスリムはインターネットでの検索内容も気をつけないと、身に危険が及ぶと言っている。

本書p81

 余談ですが、いつものようにグーグルアース、ストリートヴューで舞台となったロンドンやアマーストやそしてパキスタンのカラチの「カラチ 英国特別弁務官事務所」なんて検索しながら街並みをうろうろしつつ小説を読んだのだが、もしかしてテロリストだと思われて監視対象になってしまっていないか、読み終わった後、不安になりました。

  話は戻って、この小説の、他の近似テーマの小説といちばん異なる点は何かというと、「監視し差別され抑圧される弱い立場のムスリム(弱者で善)と、それを監視し抑圧する国家(強者で悪)」という単純な対立としてはこれを描いていないということなのだな。監視し抑圧する側の代表、内務大臣カラマットも出自はパキスタン系の移民であるという人物として創造し、その彼にも家族がいる、その家族である息子エイモンと、被害者側の家族、イスマとアニーカを恋愛感情、関係で結びつけることで、その構造を、抑圧される側だけではなく、抑圧する立場、つまりは国家権力を行使する側についても家族と感情がある人間としてもきちんと描いているという点が、この小説のいちばん優れている点だと感じた。

 選挙で選ばれ、世論の動向で人気が左右され、スキャンダルや失言が命取りになる。そういう政治家が、移民問題、宗教イスラムの問題、テロ、女性問題そういうことに細かく気を配りながらでしかいろいろな決断ができない。カラマットはそういう中で綱渡りのように、やっと内務大臣まできて、首相の座まであと一歩なのである。政治家としてのそういう悩みと家族の問題が複雑に絡まり合った難題に、カラマットは直面する。その苦悩もまた、よく描かれている。そういうところが、なんというか、シェイクスピアの国だなあという感じがするのである。

とはいえ、ということをおまけにちょっと書いておこう。

女性小説賞(Women's Prize for Fiction)を受賞ということから、一言

 もうひとつ、この小説「女性小説賞」というのを取っているそうなんだけれど、これってどういう賞なのかしら。というと、英語で書かれた女性によって書かれた小説を、ジャッジも全員女性によって毎年、1996年から賞の名前はいろいろ変わっているのだけれど選んでいるのだそうだ。

 で、この小説、女性がとても魅力的に描かれているか、というと、それよりも印象に残るのは、男性がかなりトホホなんだな。エイモンも、パーヴェイズも、カラマットも。若い二人は、姉妹に比べて、幼いし、考えが浅いし、衝動的だし。そのせいで物語はどんどん思いもかけない方に進んでいくのである。内務大臣カラマットも、家庭人としても政治家としても、なんとなく頼りなく弱い人である。
 彼らの未熟さ、思慮の浅さ、人間的弱さは、物語を転がす推進原動力としては、これはとても機能しているのだけれど。でもなあ。女性から見て女性作家から見て、男性というのは、男子と言うのは、ここまでなんというか頼りないものなのだろうかな。この点は、みなさんに読んでもらって、感想を伺いたいものだなあ、と思いました。

 ラストに向けての盛り上がりという意味では、ここ最近読んだ小説の中でも最もドラマチック。映画化されて観たとしたら、しばらくは席から立ちあがれない、そういう小説でした。そんなに長くないし文章も翻訳もとても読みやすい。おすすめです。

これは感想文書いてなかったな。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?