東大王なら、新型コロナウイルス対策を、どうするだろう。


「東大王」っていうテレビ番組がある。現役・東大生のクイズ王が、芸能人のクイズ自慢たちと対戦っていう番組。

 出演者の「東大王」の中心スターというのは、もともとは「頭脳王」っていう、おそろしく難しいクイズ問題で大学生の天才たちが戦う、年一回開催される特番の勝者。
「頭脳王」で問われるのは、それは単なる暗記、物知りなんていうレベルではなく、とてつもなく面倒な物理の計算を伴う問題から、AIコンピュータと立体オセロのようなゲームを競うものまである。「クイズ王なんて、単なる物知り、暗記バカだろう」みたいな、普通の人のやっかみ固定概念を根底からぶち壊すような、本当に知能指数が極端に高い人たちの、驚くべき能力を競う番組なのね。その「頭脳王」の初代王者、水上君という東大医学部の男の子を中心に、東大生の中でも、そういう、特殊に頭のいい子たち、かつクイズに強い子たちが集まって、驚くべき常識外れの頭の良さを見せつける、というレギュラー番組化した番組が「東大王」なわけ。

 話があっちこっち行くけれど、サリンジャーの小説として、コアなファンの多い、グラース家サーガ、というのがあって、村上春樹が翻訳したことで有名になった『フラーニーとズーイー』というのは、そのいちばん最終作で、『バナナフィッシュに最適な日』『大工よ、屋根の針を高く掲げよ』というような連作になっているので、サーガなの。主人公の兄弟姉妹は、揃って、ものすごく知能指数の高い天才少年少女として、子供のころ、テレビのクイズ番組で有名人という過去を持つ。その子たちが大学から青年期を迎えた時に直面する様々な精神的危機についてのお話が「グラース家サーガ」。クイズ王の天才少年少女の抱える問題、という「グラスサーガ」の生身日本版、という感じが、「東大王」にはある。

 東大王たちにしても、グラース家の子供たちにしても、勉強=暗記、天才=物知りなだけで使えない、みたいな、勉強できない人たちの「頭がいい人」固定観念とは違って、彼らは、膨大な知識はもちろんのこと、知識を組み合わせてなんらか最適解を導き出す恐るべき速度、論理的思考力、構想力を持っているし、さらにそれだけではなく、音楽や美術、文学など芸術的分野についてもびっくりするような能力を持っている。「世の中には本当にとんでもない能力の人間がいるなあ」という驚きがある。しかしまた、なんというか、「生きづらそうだなあ」というナイーブさを併せ持っている。

 僕は、いつも、この番組を見ながら、子供たち、とくに水上君キャアってなっている我が家の長女なんかに、こんなことを言う。

「これだけ文系理系を超越した、幅広い知識と、問題解決に向けた驚くべき能力を、クイズ番組クイズ王になることに使うのは、それはこの学生時代のちょっとのお小遣い稼ぎにはいいけれど、本質的にはもったいないというか、むしろ、ダメなことだよね。本当にこの能力を何に使うのか、そのことについて、東大王くんたちには、水上君には、本気で悩んでほしいよね。」

 水上君の一年先輩の伊沢くんと言う東大王OBがいるのだが東大王を卒業して、いったいどんな進路に進むのだろうと楽しみにしていたら、、なんと「クイズで金を稼ぐ会社を設立」して、いつまでもダラダラと「東大王」に出演し続けている。本当に心の底からがっかりした。その卓越した能力を、結局、クイズで小金を稼ぐために使うのか。本当にバカなのか。やっぱり東大王はバカなのか。クイズが強いだけのバカなおこちゃまだったのか。

 目の前に与えられた難問に対してなら、誰にもできないような速度で正解を導き出す能力はあっても、「その能力を、どのようにつかうべきか」という問題には、そんな答えしか出せなかったのか。「その能力は、何に使うべきか」というのが、東大王くんたちにとっての、最大の難問なのだと思う。

 グラース家サーガの主人公の兄弟姉妹たちも、極端な頭の良さと感じやす過ぎる心をもって、どうやって生きていくのかに、人生の入り口で、悩んでしまうのである。

さて、ここで、話は、コロナウイルス対策の話に飛びます。

 まず、中国、南京における、新型コロナ対策の、びっくりするような記事がある。

「街中で体温検査 「新規感染者ゼロの街」新型コロナ封じ込め徹底する中国・南京を歩く 竹内亮
記事より
「自宅待機中は、マンションの管理人が私たちが指定した食材をスーパーに行って購入し、マンションの入り口まで届けてくれるという、徹底ぶりだった。
新規感染者をゼロに抑えるため、南京市は厳しい隔離政策を行っている。動画でも紹介したが、弊社スタッフが私の家に入る際、南京市が新しく開発した「感染情報管理アプリ」に、氏名・身分証番号・武漢渡航の有無・何月何日どこにいたのかなど細かい情報を登録し、各誓約書にサイン、体温を測り、いろいろな手続きをへてようやく私の家に入ることができた。市当局はとにかく人の移動・出入りを徹底的に制限しているのだ。「人と接触しない」飲食店。マクドナルドもスマホで予約して受け取るだけ。「非接触安心カード」がついている。地下鉄では体温検査が義務付けられている。さらに乗車後は、窓に貼ってあるQRコードから南京地下鉄が開発したサイトにアクセスし、何時に何号線の何号車両に乗ったのかなど、乗車情報を登録しなければならない。
1月下旬に新型コロナが蔓延し始めるとすぐ、南京市は全ての学校の休校を決断し、素早くオンライン学習に切り替えた。休校が始まってからおよそ1週間後の2月中旬にはもうオンライン学習が始まったのだが、その内容もまたすごい。南京にいる何千人もの教師が持ち回りで授業動画を制作し、毎日たくさんの授業動画が更新されていく。授業動画は市が開設するクラウドサーバーにアップロードされる。子供達は好きな時にアクセスし、授業を受ける。」

この記事を読むと、標準的反応としては「基本的人権を無視していい一党独裁国家だから、こんな無茶ができるんだ」という方向が多数になると思うのだが。しかし、SF小説のような「やったら良さそう」な施策を、システム、テクノロジーごと、あっというまに実現し、実行するスピード感には、正直、驚く。

 「人権が、独裁が」という観点ではなく、「やったらよさそうなことを実現するスピード感」について、ここから考えて行きたい。もちろん、独裁体制の方が、それをやりやすいことは確かだ。しかし、中国本土だけでなく、民主政体を持つ、香港の対応、台湾の対応、韓国の検査と情報公開の在り方などを見ると、各国とも、きわめて柔軟に、本質的に必要な対応をしている感がある。比較して、東アジア諸国の中でも、日本が危機に際して「反応が鈍い」国であるなあ、という感想は否めない。何が鈍いって、専門家と言っても、「じいさんたち、権威の人たち」を集めるのが専門家の声を聴くことで、「ITを活用した斬新な施策を、次々実施」みたいなことには、絶対にならないところが、なんか、がっくりである。

 日本の役所にも、若くて優秀な人はいるのだろうが。いや、やはり、いないのかもしれない。ここ10年くらいの傾向を見れば、東大卒の本当に優秀な人たちは、役人になっていない。外資金融、外資コンサル、GAFAの類に就職している。
 いまどき、お役人になっているのは、(高い志を持っている人も中にはいるだろうけれど)「試験点数でとりあえず就職のところはクリアできる。その先も、そういう能力で対応可能な世界に進もうとする保守的な人間」が多いのではないか。
 日本のお役人と言うのは、「こういうことはこういう理由でできません」ということを仕事の基本にしていて、「新しい何かをしようとすると、法律、制度、組織を全体としてじっくり整えないといけません」ということを仕事の基本にしている。 だから、このような非常事態に、新しいアイデアを出したり、それを無理やりでも実行しよう、という仕事の仕方になっていない。あるいは、そういう無茶をする人を評価するような評価システムになっていない。

  今、中国と言う国は。台湾は香港は韓国は、東大王になるような若者たちが、自分の能力を、お金儲けしつつも社会の仕組み、世の中、世界の在り方を変えるようなアイデアとして、考えて実現していける状況なんだろうなあ、ということが感じられる。ITだ、AIだということを駆使して、この問題を解決するシステムを、技術を、デバイスを、開発したら、それがどんどん実現していく。

「ドライブスルー型で検査をしよう。そうすれば病院にこなくて済む」「国民全員に14万円くばろう。がたがた言わずにそうすることが、経済活動にブレーキのかかるその先の景気停滞に対して、必要。一歩先を考えれば絶対に正しい。」「移動経路をスマホで記録して、感染したときに追跡できるようにしよう」「警察官の暗視ゴーグルを改造して遠隔赤外線型、体温測定器にして、パトロールしながら、発熱者をチェックしちゃおう」

どのアイデアも、日本でだと「できない理由」「してはいけない理由」を言い出すジジイが山ほど出てきて、ぜったいすぐにつぶされてしまうと思う。そういうアイデアが、実現まですっと行く社会、政治の仕組み。東アジアの、日本の周りの国と言うのが、そういう国なのだということが、今回のコロナウイルスへの対応で、ものすごくはっきりとわかった。

 中国だけなら、それは「一党独裁・人権無視だから」と言うことなのだろうけれど、台湾でも、韓国でも、香港でも、柔軟なアイデアがどんどん実現される。それは、社会の柔軟性、若いアイデアを吸い上げで実現する社会の若さの問題だと思う。

 東大王が、自分の能力を、結局「クイズで儲ける会社を作る」でしか活かせない社会と言うのは、これは、かなり絶望的だ。東大王たちが、まっすぐ普通に社会に入ったら、彼らの能力を生かせるまでに、下積みの何十年かが必要、という社会だったら、それは本当に絶望的だ。

 かれらようなの、超絶、優秀な頭脳に、「新型コロナウイルス対策のためのアイデアを、固定観念にとらわれず、どんな突飛でもいいから、出してみて」と、発注する人たちと言うのはいないのかなあ。

 日本社会の老化脳梗塞状態について、今回の、コロナウイルスへの対応について、思ったこと。おしまい。

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