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『女のいない男たち』「ドライブ・マイ・カー」を再読した後、『ねじまき鳥クロニクル』三巻だけを引っ張り出した。ついで「MOZU」を観たくなった。のはなぜかというと。

※小説についてはややネタバレありです。映画は観ていません。

 『女のいない男たち』は、出版されてすぐ読んだが、「木野」の気味悪さだけが印象に残って「ドライブ・マイ・カー」がどんな小説だったか、まったく覚えていなかった。昨日から今日にかけて、「ドライブ・マイ・カー」だけ読んでみて、ああ、そうだったと思い出した。


 最近の村上春樹小説は、どれも、「ああ、これって、あの小説の、あれだ」というふうに思えてしまう。村上春樹のせいなのか、僕が年をとったせいなのか。

 新しい小説を読んでも、何かに似ている、ああ、これはあれと同じテーマを、ちょっと衣装を変えてみたやつだ。すぐ、そう思ってしまうのだ。


 「ドライブ・マイ・カー」は、『ねじまき鳥クロニクル』から、「ノモンハンと満州国」という大げさなトッピングを取り外したら残る「妻が他の男と寝ていること、妻を理解できないまま失うこと」という惧れと苦しみ「妻と性的行為をしていた男を殺してしまいたい」という願望を描いた小説だ。それを中和解毒してくれる、救ってくれるのが、主人公を適度な距離から気にかけてくれる若い女性、というところまでそっくりそのままだ。


 同じことをもう少しポジティブに言い直すか。


 小説、「ドライブ・マイ・カー」の功績は、『ねじまき鳥クロニクル』が発表された当時の、「村上春樹がはじめて具体的な歴史的事実、ノモンハンや満州国というテーマに取り組んだ、戦争の悪に対峙した」みたいな大げさな興奮で見えなくなっていた本質だけを、つるりと短編にして掴みやすくしてくれたことにある。


共通して描かれていること。 妻を性的に汚した他の男に対する自分の中の、なんともいえぬ気持ち。妻がいなくなったことのやりきれなさを、その相手のせいにしたくなる気持ち。それが殺意、相手を傷つけてやろうというところまでになること。しかし、自分を本当に苦しめているのは、妻のことを理解できていなかったという苦しみなのだ。

 
 それまでの村上春樹の小説では、主人公がそういう苦しみから回復する過程で、他の女性登場人物と、ほいほいたくさんセックスしてしまう。妻が他の男と性的行為をしている(と直接書かないで、失踪するというパターンが多いのだが。でも、本質はそういうことだ。)に苦しみ煩悶するわりに、「え、そこで、その相手と、しちゃうんかい」と、ツッコミをいれたくなるじゃあありませんか。そういう展開がすごく多かったんだけれど。


 『ねじまき鳥クロニクル』では、隣人、笠原メイは高校生だし、「ドライブ・マイ・カー」では、ドライバー渡利みさきは「器量にめぐまれない」「娘ほど年の離れた」女性だから、しない。やっと村上春樹も「そこはしないほうがいい」ということを理解したか。よかったよかった。

 あ、でも、別に「ドライブ・マイ・カー」を批判しているのではないよ。

 ポジティブに評価するならば、二作の間の変化には、村上春樹の成熟・成長が見て取れる。

 『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公、岡田の暴力は、正義の暴力であり、仮想世界、異世界での暴力として扱われるから、暴力なのにどこか「正当なもの、肯定すべきもの」みたいなニュアンスがある。それは綿谷ノボルやノモンハンや満州国での暴力が「絶対悪」であることと対置されるから。

 これに対して、「ドライブ・マイ・カー」では、政治や歴史を持ち込まない=「絶対悪」が設定されないから、浮気相手が、善良だがつまらない男として描かれるから(主人公がそう思いたがる様が描かれるから)、主人公の復讐心、主人公の心の動きの中に「小さな悪意」が含まれていることがきちんと描かれている。(それは育てば暴力になる)。

 ノモンハンとか満州国とか戦争の絶対悪、のようなことを扱ったから上等な本格小説で、妻の浮気を受け入れられず右往左往することを描いた小説がちっぽけだ、とは僕は全然思わないのである。「絶対悪」を導入しちゃうことで見えなくなるものがあり、大作大長編ゆえに見えなくなっちゃうことがある。「ドライブ・マイ・カー」の主人公のほうが、自らの中に悪や暴力の種を持ってしまっていることを、村上春樹がちゃんと描いているということが、結構大事なポイントなんだよな。

 と気づいてみて、映画のことを考える。映画は観ていないんだけど、西島秀俊なんだな。うん。それはいいかも。「MOZU」のあの主人公と、実は「政治サスペンス」という背景を捨象すると、同じ状況と情念だもんな。監督も「これ、MOZUじゃん」と思って西島さんをキャスティングしたんじゃないのかな。あの西島さんの中には、狂気も暴力もすごくあるからね。




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