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『MiND 心の哲学 』ジョン・R. サール (著), 山本 貴光・吉川浩満 (翻訳) とても親切な入門書。先行する様々な思想・主義を批判的に検討しつつ、「生物学的自然主義」と言う立場を解説し、人間がこの世界の中にどのように存在しているか、それを考える入口まで連れて行ってくれます。

『MiND 心の哲学 』(ちくま学芸文庫) 2018/11/9
John R. Searle (原著), ジョン・R. サール (著), 山本 貴光・吉川浩満 (翻訳)


しむちょーん、読んだよー、ということで、読書師匠のしむちょんが教えてくれた本。

Amazon内容紹介

「よく知られている理論、しかも影響力のある理論が、そもそも全部誤っているという点で、心の哲学は、哲学のなかでも類を見ないテーマである」。言語哲学の大家であり、「中国語の部屋」などの思考実験や、デリダとの論争でも知られる哲学者ジョン・サールによる入門書は、この驚くべき断言からはじまる。「心」をめぐる議論がこれまで見落としてきたものとは、いったい何か。二元論、唯物論、機能主義、行動主義、髄伴現象説など従来理論の錯誤を次々に暴き、意識、知覚、志向性から自己、自由意志まで、ありとあらゆる心的現象を自然主義的観点のもとに明快に位置づける、このうえなく刺激的な入門書。


ここから僕の感想

  この近辺、心とか脳とかに関し、「古典哲学から現象学を経て認知科学とか心の科学、そして人工知能に至る」そういうテーマの本、しむちょん師匠はよく読んでいるのだが、僕は買っては挫折している。

 この著者、サールの論敵らしい、デネットの『心はどこにあるのか』も、途中でほっぼり出した。高校同期生、茂木健一郎の、(最近の儲けるためのいい加減なHOW TO本じゃなく)、初期にこのカテゴリーについて、本気で書いた『脳と仮想』も、なんやら、「この問題が難問、ハードプロブレムである」とか言うばかりで、何を言っているのか、ちっとも分らんかったしな。

 そんな中で、この本は、大学生・初学者のために書かれた「入門書」ということだったので、なんとか読めるかなあ、と手に取ったら、まさに「ぎりぎりなんとか読めた」書かれていることは、まあ7割くらいは、分かった。3割くらいは、きっと、大事にな難しいところは、理解不十分な感じ。


 こういう本が苦手な僕でも、なんとか7割理解できたのは

①このサールさんと言う人がとても親切だから。

②考えているスタンスが、私が考えていることとほぼ同じ立場だったから。


 ①著者の親切さについて。


 東浩紀氏の哲学思想関連の本を読むときに感じる「ありがたさ」に似た印象。頭が良い上に、読者が無駄な努力に人生の時間を無駄にしないように、という親切心がある。膨大なそのテーマ関連の人類の知の蓄積のうち、これから学ぶ学生にとって「要・不要」を仕分けしてくれる。親切心とその技量の高さ。「今や役に立たないことの研究に、学生さんが、間違って人生を賭けちゃったりしないように」という配慮。

 というのは、哲学、思想って、古代ギリシャ以来、同じような問題をめぐって、何千年か人類は考えてきているのだけれど、
ⅰ その時代の、科学的知見の不足 
ⅱ 宗教、神、霊などとの整合性や配慮(キリスト教神学が哲学よりも科学よりも偉かった時代が長いから)
 という理由から、今から見ると、無駄と言うか、考える必要、価値のない議論を、各時代、当時最高の知能叡智を持った人が延々と論じてきた歴史があるわけだ。
 今、読むと、ほとんど意味が分からない難解複雑な議論が何世紀も続く。そして、その影響が、意外にも、つい最近の議論にまで残っている。(デネットの本なんかも、「宗教的立場から批判する人」への配慮に、常に気を配らざるを得ない、そういう書き方になっていたりする。)

 意味が分からないから、負けず嫌いな秀才さんが、なんとか理解しようと、それを大学や大学院で専門、専攻したりして、結局、「今にしてみれば、あんまり意味のないこと」を理解するために、一生をかけちゃう学生さんもいっぱい出てくるわけなんだな。

 まあ、それが本人にとって楽しければ、それはその研究者にとっては、それでいいのだけれど。しかし、初学者たる大学生たちに、できれば人生の無駄はさせたくないという、親切さが、この、サールさんにはあるわけだ。


 「心の哲学」の歴史的発展と現在地から「こういう考え方とこういう考え方、こういう問いの立て方と・・・があるよ」というのを網羅して、

 それぞれ、こういう理由で、そういう考え方は、今や、追究しても意味がない、こういう問いの立て方は、問いの立て方自体がここで間違っちゃっているから、意味がないっていうことを、とりあえず、ばっさばっさと切って捨ててくれるわけだ。


 そのうえで、「このへんのことは脳科学とか認知科学とか、そういうのが、もうちょっと進まないと、今はよくわからないのよ」ということも、素直に分からないと言ってくれるわけ。


 それから、蛇足だけれど、一見科学的最先端に見えるけれど、怪しい、トンデモ理論ぽいやつも、「これはさあ、間違ってると思うよ」と注意してくれるわけ。人間の自由意志の根拠とか霊・魂・意識の存在を、素粒子が確率的にしか存在しないという素粒子物理学の最新知見と結びつける立場っていうのがある。去年、ノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズは、その受賞業績とは別に、そういう、わりとトンデモな本も書いているのだが、そういうのも、バッサリ、「違うと思うよ」と言ってくれる。


 あと、どう考えても不可知論になっちゃうタイプの議論も「意味がない」と切って捨てる。


 そうやって、著者がたどり着く立場が、②の、私にとって非常に受け入れやすい「生物学的自然主義」と言う立場。

②「生物学的自然主義」と言う立場。

 あとがきで翻訳者が紹介してくれている部分を引用。

〈なぜ「自然主義」かと言えば、この立場では心的なものは自然の一部だから。また、なぜ「生物学的か」と言えば、そのような心的現象を考えるさいに、たとえばコンピュータ的、行動主義的、社会的、あるいは言語的な説明ではなく、生物学的なやり方を採用しているからだ。〉

本書の中での、いちばん難解かつ中心的なテーマ、志向性についての第六章216頁から引用すると

〈いったん志向性の問題を、抽象的で霊的なレヴェルから具体的で現実的な動物を扱う生物学のレヴェルに引き戻して説き明かしたなら、動物がどのようにして志向状態をもちうるかについて、解決できない謎が残されているとは思えない。もし飢えや渇きのような簡潔で明確な事例から着手すれば、志向性はまったく説明に困るようなものではない。もちろん、信念、欲求、それに思考過程といった洗練された志向性は、知覚や飢えや渇きの感覚に比べてより複雑だし、環境からの影響による脳の直接的刺激からは隔たったものだ。だが、それらはまさに脳過程により引き起こされ、脳のシステム内において現実化するのである。〉

ということで、またあとがき、訳者の文章になるけれど

〈その探求とは、意識や感覚といった心的現象を人間がもつ生物学的性質として自然の中に位置づけなおそうという探求である。〉

 なんだけれど、それにとどまらないところも、またものすごく共感できるところが、この作者の主張にはある。「心の科学」ではなく、「心の哲学」と、副題がついているように、そういう本なのである。

あくまで、科学書ではなく、哲学書なのである。自然科学的に人間の心のありようを理解しながら、それがどこに届くかというと、それは、世界と人間の関りの根本的あり方なのである。

第11章「自己」から。

〈自己とは、一つの存在者が「自分は自由である」という前提に基づいて自発的な行為をするために、意識、知覚、理性、行為を遂行する能力、知覚と理由を組織する能力を備えているような、そんな存在者であるはずだ。〉
〈もしこれらすべてをロボットに備えつけたとしたら、それで一個の自己が得られたことになる。〉

そして、そこから導き出される、人間の性質について

〈いまや、自己の観念の他にも様々な人間の性質についての説明が可能になる。そのうちの二つはとくに人間の自己という概念にとって中心的なものだ。一つは「責任」である。私が行為を遂行するさい責任を負うわけだが、それにともなって、賞罰、非難、報酬、正義、賞賛、糾弾といった諸問題が、他の場合にはないような、ある種の意味を持つようになる。第二に、いまや理性的な動物が時間に対して持つ特有の関係を説明することができる。私は時間をやりくりすることができるし、未来のために計画を立てられる。なぜなら、計画を立てることができるまさにその自己は、その計画を実行するために未来においても存在するだろうと考えられるからだ。〉

そして、本書、最後の一文。

 私たちは複数の世界に生きているわけではない。また、二つの異なった世界ー心的な世界と物理的な世界、科学的な世界と日常的な世界ーにまたがって生きているわけでもない。そうではなく、ただ一つの世界があるだけだ。そこは私たち全員が住む世界である。私たちには、自分たちが世界の一部としてどのように存在しているのかを説明する必要があるのだ。

 何を言っているのか、7割しかわからない本でした。ただ、今、並行して、三島由紀夫の『金閣寺』を再読し、新しい『金閣寺』論に着手していて、それと、この本が、深く、僕の頭の中で呼応しあっていることは、分かる。志向性の問題と、この、最後に引用した部分が、『金閣寺』と直接関係していることは、まだ説明できないが、よく分かる。

 ということで、『金閣寺』に再び取り組みこのタイミングで、この本を教えてくれた しむちょんに、ただただ深く感謝なのである。

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