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『出会いはいつも八月』ガブリエル・ガルシア=マルケス (著), 旦敬介 (訳)  今、話題の作者の未完の遺作を読んでみた。「未完」の意味を考える。

『出会いはいつも八月』
ガブリエル・ガルシア=マルケス (著), 旦 敬介 (翻訳)

◆Amazon内容紹介

 ひとりの女性がある島で営む、秘密の行為とは――。圧巻のラストに息をのむ、ノーベル文学賞作家が最期まで情熱を注いだ、未完の傑作!
 音楽家の優しい夫との間に二人の子宝にも恵まれ、愛にあふれた結婚生活をおくるアナ。だが、アナには誰にも打ち明けられない秘密があった。年に一度、母親が埋葬されているカリブ海の島をおとずれるアナは、現地の男と一晩限りの関係を結ぶことを心待ちにしているのだ。アナが刹那的な関係から、そして男たちから得たものは――。

Amazon内容紹介

◆ここから僕の感想

 いやいやAmazon内容紹介、「未完の傑作」なのに「圧巻のラストに息をのむ」って矛盾してるだろ。そう思いますよね。説明しますね。

 遺作で未完というと、夏目漱石の『明暗』みたいに、えーこれからいいところじゃーん。二人はどうなるの?するの?しないの?みたいないいところで小説がぶっつり終わって、作者は死んじゃったから永遠に謎、みたいなイメージを持つよなあ。
 でもね、遺族が書いた「はじめに」と、編集者が書いた「解説」に詳しいけれど、ガルシア=マルケスは、ちゃんと最後の章、結末まで書いているのだな。ひとまず筋書きがわかるものを書いたうえで、推敲して完璧主義的に磨いていくという小説の書き方をしていたのだな。ところが、老化で記憶もあいまいになり、知的活動もなかなか困難になり、最後の章について満足できず、家族には「この小説はだめだ、破り捨てるしかない」と伝えていた。

 のだけれど、家族が読んでも、編集者が読んでも、たとえ最後の方がガルシア=マルケスのOKが出ていなくても、出しちゃったわけだ。「はじめに」では、本人は知的能力が衰えたことで、これがどんなにいいかの評価が出来なくなったんだと家族は判断した、と書いているのね。

 まあ、そういうわけで、「圧巻のラストシーン」までちゃんと書かれているけれど、もう知的能力の衰えギリギリのところで書かれた最後の小説なわけなんだな。

 でね、これは翻訳者、旦敬介氏の「訳者あとがき」でも書かれているけれど、ガルシア=マルケスらしくない新しい挑戦というか、①現代のカリブ海の島で。②40代後半の女性が、という内容なんだけれど、これはたしかにほんとにガルシア=マルケスらしくないのである。

 マジックリアリズムでもないし、ガルシア=マルケスはずっと老人のことを書いてきた、特に晩年の他の作品だと「老人の愛と性」に、それこそ70代後半、80代になっての愛と性に真正面取り組んだ感じはあるのだけれど、これは、知的で美しい人妻、46歳から49歳の間のお話なんだわね。

 この前、クッツェーの『ポーランドの人』という、これも、49歳の中年人妻の恋の話だったんだけど、インテリで何不自由なく、平穏な結婚生活を送っている女性が、という話で、高名な音楽家が相手(あちらは浮気相手が、こちらでは夫が)だったり、いろいろ共通点がある。

 というわけで、遺作なのだが、相当にガルシア=マルケスらしくない、現代的な中年女性の性と愛について書かれた小説なんだわね。

 昨日、『百年の孤独』文庫が話題なのに便乗して、「ガルシア=マルケスの小説の感想文だけ集めたマガジン」というのをnoteに作ったので、さて、手元にある彼の小説で未読のものは読んじゃおうと思って、これは薄いしすぐ読めるかなと読んだわけ。

「らしさ」を求めて読んでも肩透かしかなあ、とは思うけれど、この前読んだウィリア・トレヴァーーの『ラスト・ストーリーズ』という遺作短篇集もトレヴァー88歳の死の直前まで書いていたもので、小説家というのはその命の限界まで書こうとするものだし、その年になっても、若い時の恋愛とか性愛について、いや80代からすると40代50代の性や愛というのは「若い時」なんだろうなあ、そういうものをみずみずしく思い出して、その記憶を小説の形にしたいという気持ちになるのだなあ。

ここからは「未完の」ということの意味を考察します。 

 この小説、母の墓参りに年一回8月16日にだけ、母の墓のある島、カリブ海のリゾートホテルがいくつかある、それ以外にはあまり何もない島に行くのだな。で、46歳の時にはじめてホテルのバーで知り合った見知らぬ男と一夜を過ごしてしまう。人生で初めてそういうことをしたわけ。で、その後毎年、そういうことを墓参りで島に行くたびに期待して、うまくいったりいかなかったりする、その心の機微と、そのプロセスを詳細に描いていくのだな。そしてそのことによる夫との関係の変化とか、ラストの章は母がその島に墓を作ることを望んだことの意味を考える(生まれ故郷なわけではないのである)。唐突に、日本で言う「墓じまい」みたいなことを、主人公女性がするのね、で、おそらくこのラストのあたりが、『愛その他の悪霊について』のような、あれと通じるガルシア=マルケスらしい現実と幻想が交錯する、そういう小説に昇華させようという、そういう目論見でこの小説のアイデアは生まれたんだろうことがわかる。のだけれど、それをそういう衝撃にまで磨く前に、知的活動能力が低下しちゃって「これはダメだ」になったんだろうなあ。

 そういうことがいろいろ想像できちゃうので、「みなさんにおすすめ」という小説ではないけれど。そこの「最後に到達しなかった理想形」というのを想像しながら読む、という意味で、「未完の傑作」なのだな。

ガルシア=マルケス作品を読む順路としては、

 『百年の孤独』が面白かった人は、

 文庫の筒井康隆氏のあとがきお勧め通り『族長の秋』に進むのがいいと思うし、

『百年の孤独』が重すぎて挫折した、という人はいったん短篇集『エレンディラ』に進んで、身体を馴らすのがいいと思うしな。

村上春樹『街とその不確かな壁』で気になった人は『コレラの時代の愛』を読むのがいいと思うよな。

 この小説は、あれこれ全部読んだ後で、大作家の最後の境地まで知りたい人が読めばいい、そういう小説でした。

 と、えらそーに書いたけれど、僕、まだ『迷宮の将軍』を読んでいないのだな。まずは買わなきゃな。うん。


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