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『パライソ・トラベル』 ホルヘ・フランコ (著), 田村 さと子 (訳) 貧乏人は携帯電話を持っていない時代、ニューヨークに不法入国したその日に警察に追われて恋人とはぐれたら、もう会えない、完全迷子。パスポートもお金もなくて英語も分からない若者は、どうやって生き延びで、恋人を探したか。

『パライソ・トラベル』 単行本 – 2012/8/18
ホルヘ・フランコ (著), 田村 さと子 (翻訳)


Amazon内容紹介

「ラテンアメリカ文学新世代を代表する作家のアドベンチャー・ラブ・ストーリー。故国コロンビアを捨てアメリカに密入国した若者が、はぐれてしまった恋人を探しながら経験する過酷な旅路。」

ここから僕の感想


 読書師匠、しむちょんが教えてくれた本。日本とコロンビアは豊かさとか治安とか暴力の存在の露骨さとか、全然違うけれど、実は同じように、実質、アメリカの属国としての境遇にある国で、だからアメリカに入ったコロンビア人が感じる惨めさ生きづらさは、日本人も敏感な人ならば、アメリカとの関係の中で感じざるを得ないことなのだ、というような意味のことを、しむちょんは書いていて、それは世界を股にかけて演奏旅行をしたしむちょんだからこそ分かることだと思う。


 ものすごく国内専用型の人生を生きてきた僕にも、この主人公の、居場所が底辺にしかなく、いろいろな意味で迷子になって、そこでなんとか自分に向き合ったり自分をつかみ取ろうとする若い主人公のあり方は、身に覚えのある感覚だ。


 この小説、2001年に発表されていて、貧乏な移民、ましてや密入国者、誰も携帯電話を持っていない。恋人同士が会えなくなってしまう、というのも、この携帯電話がない時代ならでは、ではある。


 コロンビアの、未来の見えない貧しく暴力に溢れた状況を抜け出そうと若い二人は無謀なアメリカへの脱出をする。高校を出てもお金もないしコネも学力もないので大学に行けないでバイト暮らしをしているマローン、唯一の良いことは、アメリカに行くことを夢見る、魅力的な女の子レイナが、マローンを彼氏として選んでくれたこと。コロンビア人は麻薬犯罪組織との関りを疑われるために、アメリカ入国ビザが、まず取れない。無職で金もなくコネもない二人は、怪しげな旅行者パライソ・トラベルに、親戚から盗んだ大金を払って、グアテマラ、メキシコ経由で密入国の旅に出る。途中で金もパスポートも何もかも捨てさせられたり巻き上げられたりして、二ュ―ヨークに、パスポートもなし、何もない状態でたどり着いた二人。その夜、タバコを吸いに外へ出たマローン、たばこの吸い殻を道端に捨てたのを警官にとがめられ、パックになって走って逃げるうちに迷子になり、一文無しパスポートなし何もなし英語も読めない話せない。そして、当然当時は貧乏人は携帯電話なんて持っていない。完璧な迷子。そのまま、二人ははぐれたまま、マローンは浮浪者のようにニューヨークを、正気を失いさまよい歩くことに。
 ここから、コロンビアの同胞に拾われ助けられ、なんとか生き延びながら、レイナを探す、その経緯が語られていく。


 「自分を見失う」「愛する人を見失う」「家族と祖国は捨ててきて帰れない」「言葉も分からない」「金もない」「パスポートもない」ので「大使館にも警察にも頼れない」という絶望的状態で、それでもなんとか生き抜いて、すこしずつ人間らしさを取り戻しながら、レイナを探し続ける。


 ちょっと前にネットフリックスで、コロンビアの麻薬王を描いた連続ドラマ「ナルコス」というのを見て、その続編がメキシコの麻薬王を主人公にしたものだったのだが、同じスペイン語をしゃべる麻薬組織の人でも、メキシコ人とコロンビア人はえらく仲が悪かった、もう仇くらい憎みあってていた。基本的にニューヨークで困り果てた主人公はコロンビア人ネットワークにひっかかることで、かろうじて生き延びる。


 さて、二人は会えるのか。二人はどうなるのか。という何重にも「ロードムービー」的な移動するシーンが重なりながら、物語は進む。本国でも映画化されて大ヒットしたというのも納得の、実にいろいろ映画的な、ドラマチックな小説でした。この小説家の作品、これから何作か続けて読んでみようと思います。


 この小説の主人公、それだけ悲惨な境遇なんだが、出会う女の子、女の人に、やたらモテるのである。生き延びられた理由は、この、なんでだか、やたらにモテる、映画化してもヒットするのも、やたらにモテるに、理由があるのかも。そうとう悲惨でも、人間、女の子にモテれば生きていける。いろいろ恵まれていても、女の子にもてないと、生きていくのはつらいなあ。そんなことも、ちょっと思いました。

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