合唱部(怖い顧問とギャルの話)

共学の田舎の公立中学の、女子だけの合唱部だった。特徴的だったひとを紹介すると、学年で1番成績が良いメガネをかけた真面目な女の子、テニプリにはまって青学ジャージを見せびらかしつつも自分をレズだと公言してキスを迫ってくる女の子、大成功した万引きや他校の女子を病院送りにした喧嘩や最近したセックスを動き付きで説明するヤンキーギャルなどがいた。例に挙げた子たちはとても極端だが、とにかく「各学年15〜25人くらいで、偏りが無いように各種取り揃えました」みたいな集団だった。

私は入学時に既に身長が165cmくらいあり、本当はバスケ部に入ってみたかった。母がそれを許さなかった(「ピアノ教室の娘が突き指でもしたらどうするの!?」)。仕方なしに文化部を色々見学して、合唱部の歌が素晴らしかったので入部した。家が近くて一緒に登下校している女の子2人も一緒に入部した。

様々なタイプの女の子が集まるには理由があった。当時のうちの合唱部の、顧問の先生が非常に個性的だったのだ。ディズニーのリトル・マーメイドに出てくる海の魔女アースラみたいな、すこぶる太っていて、短髪で、アイシャドウの濃い30代くらいの女性だった。彼女は音楽の先生で、誰もが震え上がる怒号の持ち主だった。その威圧感や歯に絹着せぬ物言い、ヤンキーだろうが内気な生徒だろうが分け隔てなく接する指導方針などから、生徒たちの中である種のカリスマ的な存在になっていた。

顧問や部員が特殊であることに気付いたのは入部してかなり経ってからだった。私が無心で校歌腹筋や声出し外周(走り込み)をしている間に、ヤンチャなソプラノと大人しいアルトの対立構造が完成していた。顧問は「合わせ」のときにしか来ないので、「パー練(パート別練習)」のときは生徒たちだけで進めるしかなかった。ヤンチャなソプラノが練習もせず大声で騒ぎ立てているのを、アルトの大人しい子たちはちらちら見ることしか出来なかった。ヤンキーギャルが「何見てんの?」ってそういえばちゃんと言ってた気がする。マンガのセリフみたいだけど、本当に言っていた。

また厄介なことに、ヤンチャ度合いが1番激しいヤンキーギャルが最も歌が上手かった。みんなが顧問から言われる「喉を開けて!」も、この子は言われたことがなかった。強弱や歌詞の解釈では叱られることもあったが、根本的な声の出し方から違っていた。それはみんなわかっていた。持っている体が違う。その使い方も、本能的に彼女はわかっている。

私は中1から中3の引退までにアルト、ソプラノ、メゾを1年ずつまわらされた。部活動には熱心なのに、ギャルやヤンキーと普通に喋れたのでバランサーとして便利だったのだと思う(部活の話というよりクラスの話になるので割愛するが、私は当時スクールカーストや女子の派閥に無関係な人間だった)。3年になって顧問から部長に任命され、あの手この手でギャルたちに練習させようと奔走した。輪になって練習するときには、並び順をこちらで決めて、サボる子たちを離して配置した。歌わずに喋っているヤンキーギャル2人の間に発声練習をしながら割り込んだりもした。

今考えたら意味がわからない。そこまでしなくていい。はたから見たらコントみたいかもしれない。部活中にワケがわからなくなって「どうしたら練習してくれるの」って泣きながらヤンキーギャルに聞いたし、ギャルは「ごめんて」と言いながら笑っていた。そして少しだけ真面目に練習して、その効果も3日で切れた。そんなことの繰り返しだった。

顧問は、基礎練やパー練がそんな風に荒れているとは知らなかったらしい。私はなぜか、顧問は分かった上で生徒たちに解決させようとしているのだと思い込んでいた。業を煮やした誰かが匿名で顧問に訴えの手紙を書き、そこでようやく何が起こっているか認識したようだった。部員ひとりひとりが音楽準備室に呼び出された。各自が何を言われたのか、言ったのかはわからないまま待った。出てきた子が次の子を呼ぶシステムで、いつ呼ばれるかもわからなかった。

「すみません!」準備室に入るなり深々と頭を下げた。床に向かって涙がぱたぱたと落ちた。自分のせいだと思っていた。だから怒られるのが怖かった。まず謝ろう!と決めていた。「自分のせいでこの合唱部は上手くいっていない」「60人分の責任がある」と思っていた。罪悪感が大きかったし、その大きさ分だけ怒られるとしたら、とんでもなく恐ろしかった。あの子が練習しないのも、それに釣られて「別に練習してもいいけど」くらいの子たちが練習しないのも、そのせいでアルトの何人かが部活に来なくなったのも、それを解決したくて休み時間の度にその子たちのクラスまで行っても戻ってきてもらえないのも、揉め事の中でギャルに嫌味を言われた子がリストカットをし始めてしまったのも、不登校になったのも、その子の家に行っても会ってもらえないのも、うちの学年に釣られて後輩たちまで分裂しているのも、全部私のせいだ。私が部長としてもっと上手くやれていたら。私に出来ることがもっとあったら。天才みたいなあの子もいるし、それ以外の子たちも歌が上手かった。先輩たちの代より大会で良い成績をとる自信があった。それなのにバラバラだった。声が。息が。どうしたらいいかわからなくて、わからない自分が嫌だった。

顧問は、しばらく何も言わなかった。驚いていたようだった。「何に対する謝罪?」と言われた。「部長なのに、みんながちゃんと練習するように出来ていないことです」と答えた。顧問はしばらく黙ったあと「あんたはいいわ。次呼んで。」と言った。

何が起こったかわからなかった。怒鳴られると思っていた。ちゃんと練習させられていなかったから、怒られるのだと思っていた。

どうやら顧問は、ひとりひとりから現在の練習の様子を詳しく聞いていたようだった。それぞれの立場からどう見えるのか、当人はどう感じているのか。そうとは知らず、私はいきなり震えながら謝った。今思えば相当追い詰められていただろうし、顧問の方もそこで「こんなにも追い詰めていたのか」と思ったのかもしれない。その後卒業までも、卒業してからも妙に優しかった。それが彼女に似合っていなくて気色悪くて、あまり連絡をとらなくなったけれど。

部員を呼び出し終わった後、顧問はみんなの前で「複数名から『全く練習していない』と名前があがった」と言って何人かに質問した。1番上手い、1番ヤンチャなギャルにも質問した。「次からちゃんと練習するか?」その子は何故か泣きそうな様子で「でも私が1番上手い」と答えた。

文化祭は、合唱部の校内向けの大きな見せ場だった。大会や遠征はたくさんあったが、クラスメイトや友達の前で合唱部として歌う機会はそう無かった。そこで彼女は楽譜をめくらされていた。他の友達も、ヤンキー仲間も見ている前で、歌うことを許されずに伴奏のピアノの楽譜をただめくっていた。

文化祭で彼女が歌わない、と決まってからの「合わせ」では、合唱の質が格段に良くなっていた。パー練の空気が良くなったから、というわけではない。以前より真面目に取り組むひとは増えたが、そんなにすぐに「合わせ」に反映されるようなものではなかった。

変わったのは、各自の意識だった。圧倒的に才能がある人物の不在、それによって各々が自分のことを意識し始めた。今なら自分の頑張りや能力に目を留めてもらえるかもしれない、今なら他のパートとお互いの声を聞き合って声を揃えられるかもしれない、今こそ私が引っ張らねばならない。今なら。今こそ。

文化祭で楽譜をめくるギャルの顔は真っ赤で、それでも引かずに最後までそこにいた。彼女の耳にもより良くなった部員たちの歌は聞こえただろうが、さすがに感想は聞けなかった。それが酷であることくらいはわかった。

そこからは部活のことはあまり覚えていない。文化祭あたりで3年は引退だったような気もする。今でも当時歌った曲は口ずさめるし、色とりどりにペンで書き込んでボロボロになった楽譜はまだ実家にある。歌は楽しかったし合唱も好きだった。それでもやっぱり、鮮明に思い出せるのは辛かった日々のことだ。

歌が上手かったヤンキーギャルとはその後、一度だけ電車内で遭遇した。高校生になった彼女は、中学の頃よりも遥かに薄化粧でにこにこしながら、何人かの男子に囲まれていた。「あー!ももたんや!ひさしぶりぃ」「まぁたんは、いまみんなと遊んできたとこやねん。ももたん何で遅いん?」と話しかけてきた。ふんわりとした口調が怖かった。バットで女の子を殴って勝った話は?万引きで何回も警察のお世話になっていて、でも意味がわかんないくらい大きくてまっすぐな声で歌っていたのは??頭の中に色んなことがぐしゃぐしゃと浮かんでは消えて、何も聞けないまま最寄駅に着いてバイバイをした。強い、と思った。

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