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帰る場所(一年前のこと)

日記を書いていると、ある程度の特別な日って、日付までしっかり覚えていたりします。


今日は、ちょうど一年前の話を。


それまで足繫く通っていたフジファブリックのライブに、一年振りに行ったのが、一年前の今日(5月6日)でした。

「フジファブリック」という場所に帰ってきた日です。

自分の気持ちの整理のために、身内にのみ見える形で、Instagramにつらつらと文章を書いていました。

改めて読み返してみて、自分でも、一年前の感情とか、それまでのことを思い出して、これは大事にしておきたい、と思ったのです。

Twitterやnoteは基本的に全体公開にして、個人情報を出しすぎないようにやっているつもりですが、もう少し、内面的なことについては書いていけたらいいなと思っています。

今回の投稿も、その試みのひとつかもしれません。

よろしければお付き合いください。



以下の文章は、一年前に書いた文章を加筆修正したものになります。あえて年月日に関する表記(年前、今日など)はそのままにしてあります。



一年振りのライブ、一年振りのフジファブリックでした。

フリーライブは初めてでした。
一時期は毎月ライブに行っていたのに、もはやいつ以来なのか覚えていなくて、自分の投稿(Instagram)を見返して、ああやっぱり一年前か、と。

そしてさらに忘れていたことが。
最後に行ったのは、昨年の3月。で、その後に追加公演があって、それがフジのデビュー日の4月14日。これにも行くぞと思ってチケットも取っていたのに(バイトも休みを取った)、行けなかった。
なぜ行けなかったかというと、ただただ体調が悪かったからです。
ああそうか、この頃からもうおかしかったんだ、と今更気がつきました。
本当に限界を感じたのがたしか5月の半ばで、そこから大学にも行かず、休学することになりました。

でも、今振り返ると、その前の年から色々とおかしかったなあと思います。
単位は年間で24単位しか取れていないし、とにかく休みがちだった。
取れた単位も、出欠の数を気にしない先生方に甘えて単位を貰ったようなもので。
よくも進級できたものだ、と思いながら迎えた昨年の春は、不安しかありませんでした。
ただでさえこの季節は苦手で、ゼミも始まり、しかもゼミは朝が早いという、プレッシャーにプレッシャーが重なり、私の心と身体はよくなる気配がありませんでした。

夏頃、どうにも戻れそうになく、ゼミの先生のすすめもあって休学を決め、大好きな街と大好きな職場を離れたのが9月。

高校の時にうつで不登校になった時に、いつも側にスピッツの音楽があったように、この休学期間中に側にあったのは宝塚かなあと思います。
なんというか、こういう時って、あれもこれもってできなくて。ひとつしか選べない。
高校の時はいきものがかりさえ聞けなかったように、休学中は、ライブはおろか、CDすら購入できませんでした。フジに限らずなんですけどね。
そんな風に、自分の都合ゆえ、フジファブリックから遠ざかっていました。
彼らがどんな新曲を発表して、どんなタイアップがあって、いつどこで誰とライブをして、そういう情報もほとんど頭に入ってきませんでした。
ゆるいかも全然聞けていません。
辛うじて「写真金澤3」は時々まとめて見ていたけれど、「総言うわけで」が見る度に更新されているのだから、わたしが目を通した頻度はたかが知れています(わかりにくい表現でごめんなさい、FABchに入っている人しかわからないと思います)。 

休学中は、本当に何もしていませんでした。
アルバイトもするつもりでしたが、田舎に雇い先はなかなかなく、お金はない。
勉強が嫌で離れた訳ではなかったので、色々やろうと思っていたこと、読もうと思っていたものはありましたが、それもできませんでした。
友人と会う約束をして、でもどうしても体調が悪くて前日にお断りしたこともありました。

実家に帰って2ヶ月ほどで、こりゃダメだなと思い、作戦変更。
勉強からは思い切ってきっぱり離れること。
とにかくダラダラすること。
仕事を探すのをやめること。
そして、自分を好きになること、自己否定をなくすこと。
結果、年が明けた頃にはやっと落ち着いてきていました。

特に大きく変化したなと思うのは、過剰な自己否定をしなくなったことです。
自分を好きになる、というのはわたしにはちょっとハードルが高すぎて、でも、気持ちの方向としてはそんな感じで、自分を大切にする、過剰に否定したり卑下したりしない、ということを心掛けました。
おかげさまで、今は休学前より自己肯定感が高まったと思います。
言葉にすると淡白ですが、これは本当にわたしにとっては大きなことで、心持ちが全然違うんです。それくらい酷かった。
今でも、完璧に変わりました! とは言えないかもしれないけれど、前よりは随分生きやすくなったと思います。HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を知って、自分がそれだと気がつき、その特徴を受け入れようとしたことも大きかったと思います。

縁あって、大好きな街にも戻ってくることができました。
そして、久し振りに行った大学も、まったく不安なく、足を進めることができました。

今日のフリーライブに行くことができたのも、やっぱり何かの縁かなあと思います。
もう一度フジファブリックを気にかけなければ(いや、まったく聴かなかった訳ではないのだけど)、そもそも出演すら知らなかったかもしれないし、今朝はまだ実家にいたし。

やっぱり会いたかった。恋しかった。彼らが。彼らの音楽が。


出番前。加藤さんと金澤さんはリハに出てきてくれたのですが、金澤さんはマイクを通して話してくれて、だからその、久し振りのフジファブリックの第一声が金澤さんだった訳です。(※えるは金澤さんがとても好きです。)

はじめて「若者のすべて」で泣きました。志村正彦の書いた詞が良すぎて。
ミュージシャンとしてもだけれど、やっぱりわたしは志村くんの詩人的側面が大好きだなあと思います。詞が良くなきゃ好きにならないもの。

案の定「LIFE」も泣きました。
フジファブリックに出会って、この曲に出会ってから、本当に「ちっちゃい頃に思ってた未来の姿と今はなんだか違う」なあと思いながら生きているので、いつ聴いても染みるし、泣いちゃう。
STAND ALONE(数年前の弾き語りライブ)の時、やっぱり泣いていて、その時に総くんと目が合ったような気がしたことを思い出しました。 .あの時、総くん、まるで泣いているわたしを見て笑ったようだったな。

いつのライブだったか、総くんがいつか城ホやりたいなあ、と話していた時に、その時は絶対に行こう、と決めたものでした。
でも、いざ発表されてみれば、自分がこんな状況なもので、なかなか決意できずにいたのですが、今日、ようやく決意しました。無理をしてでも行きたいと思います。(※行きました。)

買っていないCDは色々あるので、何か買おうと思ったのですが、最後に演ってくれた「手紙」がとても良かったので、迷わず『F』を買いました。

たった4曲でも、今日は本当にわたしにとってまた特別な日になりました。
彼らの元へ戻ってこられて良かった。
フジファブリックに出会ったから、今の街を選んだこと、そのきっかけであることを、これからも忘れずにいたいと思います。
懐かしい人との再会もありまして、またね、と言って別れました。

やっぱりわたしはフジファブリックが大好きだ。

何年先だって、追いかけるわ。

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