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刹那

今回は、私がこのnoteを続けていくにあたって、ずっと書きたいと思っていたことを書いていこうと思います。


格好つけずに、一言で表すなら、自分の過去のお話です。

どうして「自分の過去の話をしますよ」とわざわざ言うのか。ちゃんと理由がありまして。


もちろん、「私の話を聞いてよ!」みたいなエゴも少なからずあります。エゴなんて一切ありません、という方が嘘っぽいですよね、きっと。

そして、過去の自分を振り返ることで、今の自分が救われる、と言うエゴもあります。エゴというか、自分のため、というか。

「自分のため」というのは大きいです、どうしても。自分のことなので。そんなに個人的な、ちっとも普遍的でも一般的でもない話を、みんなのためです、とは言い切れないかな、と。


でも、「誰かのため」になればいいな、というささやかな期待を込めて、書こうと思うのです。


今もなんですけど、中学生の頃、家でインターネットが使えるようになって以来、比較的よくインターネットを利用する方かなと思っていて。

Twitterや各種ブログサイト、ニコニコ動画やYouTubeなど、家でインターネットが使えるようになった当初から、ずっとお世話になっているコンテンツもたくさんあります。

現実にはないものが、インターネットという海の中にはあったり、孤独を感じたときにも、その海に飛び込んでみたり。

人には気安く言えないようなことを抱えても、ネット上で探すと、同じような境遇の人が案外いたりして。

言ってしまえば、インターネットを通じて知り得たものに、救われたことが何度も何度もあったのです。


きっと、そういう人は増えていると思うんですよね。
私が中学生だった頃より、スマートフォンを持っている中学生もたくさんいると思うし、それだけインターネットが身近になったとも言えるのではないかと。

学校や職場をはじめとした、「社会」の中ではない、「インターネット」という世界に、救いを求めるような人だって、どこかにいるんじゃないかと思うのです。


おそらくは人より敏感で、考え込みやすく、「思春期」という言葉では片付けられないほど、色んな感情を抱えて。


今回は、そんな中学生の頃の話を。



中学生になるまで、特に、小学生の頃の私は、周りから見たら、いわゆる「優等生」でした。

学級委員や、委員会やクラブのリーダー、班長、など人前に立つことも多く、勉強に困っていたこともありませんでした。(唯一運動だけは、本当にずっと苦手ですが……。)

「なんでもできる」というレッテルを周りから貼られ、自分もそれに応えようとしていた。

実際、自分が「正しい」と思ったことは、だいたい正しかったし、ルールや節度を守らない人を注意したり、泣いている子には声をかけたり。

それは決して、「周りからこう見られたい」のではなく、「私はこれが正しいと思うからこうするだけ」でした。

そしてそれが本当に正しいことが多かったし、周りの人も、「正しい」振る舞いをする私についてきてくれた。


そういった「正しい」と思うことを、突き通せなくなってきたのが中学生の頃でした。

当たり前だけれど、周りも少しずつ大人になっていく中で、ただ「正しい」ということだけ、「正義」だけがすべてではなくなって。

反抗期〜思春期を迎える中学生の頃って、人によっては、悪いことをしてみたくなったり、今までやったことのないこと、触れたことのないものに興味が出てきたり、反対にそういうものや、周りから距離を取ろうとして、自分を隠したり。色んなことが起こるじゃないですか。

そんな周りの変化に、私はうまくついていけなかったのだと思います。

これまで「正しい」と思って主張できていたことが、届かなくなって、自分の価値観すら疑うようになっていました。

私の考えは間違っているのだろうか。
誰も聞いてくれないのなら、黙っているしかないのか。
そもそも正解ってなんだろう。

些細なことが否定されるたび、自分のすべてが否定されたような気がして。


「私」が変わっていったのは、「学校」という世界だけに影響されたことではないと思っています。

話が逸れてしまいそうなので、今回はなるべく簡単に書くのみにしておこうと思うのですが、私はおそらくあまり家庭環境がよくなかったのですね。


一言で表すなら、「不安定な家庭」。

まったく干渉してこない父と、過干渉な母。

父は仕事かパチンコでほとんど家におらず、母は言っていることに一貫性がなく、コロコロと意見を変えながら、狭い価値観を押し付けてくる。

私にとって、「家」という場所は、決して安心できる場所でも、安らげる場所でも、気を抜くことのできる場所でもなかったのです。


「あなたは優しさのかけらもない子だね」

そう言われ続けて育った私は、「私は優しくない人間なんだ」、「優しくならなきゃ」と思い続けていました。

私は優しくない人間だから、優しくならなきゃいけない。
他人(ひと)に優しくするために、自分の意見は言わない方がいいのかもしれない。


ふりかえると、そうやって私は「私」を見失っていたのだな、と思うのです。


学校も辛い。家に帰っても辛い。

そんな私が、辛うじて中学時代を生きてこられたのは、部活が楽しかったこと、好きな音楽があったことが大きかったと思います。

部活を楽しいと思っていなければ、とっくに学校に行っていなかったと思うし、好きな音楽がなければ、とっくに息もできなかったと思うほどに。

中学時代を思い出す曲はたくさんあるんですけど、特に「これイコール中学の自分だな」と思うのが、
・「モザイクロール」DECO*27
・「刹那」GReeeeN
の2曲かな、と……。


学校では周りに馴染めず、家では押し潰され、私はどんどん「私」がわからなくなった。

いや、当時は、「私」がわからない、ということすらわかっていなかった。

周りへの接し方もわからなくなっていって、きっと、たくさん傷つけ、傷つけられて。

そんな自分が、どんどん嫌いになって、消えたくて、死にたくてたまらなかった。


傷つけたのは、他人だけじゃない。

何度も何度も、自分の左腕に、薄い傷跡を重ねていた。
心が苦し過ぎて、どうしようもなくなるたびに。消えたくて、死にたくてたまらなくなるたびに。

ちなみにリストカットは、うつ病になった高2、17歳の秋まで、完全に辞めることができませんでした。
本当に薄くしかやらなかったので、傷つけても、すぐに消え、また重ねて。
痕という跡も、そう長くは残らなかったけど、それでも、夏場になっても半袖で外へ出ることが怖く、気にせず半袖を着られるようになったのは、21歳になる夏でした。

部活とか、音楽とか、好きな人とか、そんな微かなよろこびに、必死にしがみついて、なんとかなんとか生きてきた中学時代。


とにかくとにかく、消えたくて、消えたくて、死にたくて、死にたくて。

でも、できなかった。

思うだけ。考えるだけ。

「生きたい」、と思った記憶もあまりないけれど。

それでも生きてきた。必死に。不器用に。

きっとそれは、小学生の頃の自分が描いていた“中学生”ではなかったと思う。

もっと勉強もできて、クラス委員とかやって、みんなの前に立って。
クラスや部活の人たち、友達ともうまくやって。

ちっともできなかった。かつて描いたことは。

そりゃあ嫌にもなるよね。自分も、他人も。

それなのに、「なんでもできる」、という、「優等生」のレッテルが完全に剥がれた訳でもなかった。
それもまた辛かった。苦しかった。



もうね、よく、よく生きてきたなあって思うんです。

辛くて、苦しくて、自分が嫌いで、嫌なことばかりで、消えたくて、死にたくて。

それなのに、よく生きてきたね、って。

きっと、あの頃に戻っても、辛さや苦しさを、綺麗に拭ってあげることはできない。

それ以上、自分のことを嫌いにならないような言葉を用意しても、響かないかもしれない。


それでも、ただひとつ、「生きていてくれてありがとう」と言ってあげたいと思うのです。

どんなに汚くても。不器用でも。
中学生だった「私」が、生きることを選んでくれたから、今も私はこうして生きていられて。

もちろん、高校生になっても、大学生になっても、大人になっても、辛い思い、苦しい思いもたくさんしてきて。

私が選んで、歩んできた道は、決してまっすぐでも、美しいものでもないかもしれない。

けれど今は、そんな自分も、すべて抱えて、抱きしめて、認めて、愛して。
毎日、「幸せだ」って、笑って過ごせるようになった。

自分でも驚くほど、前向きに生きられるようになって。
本当に、ここ2ヶ月ちょっとの話なんですよね、こんなにポジティブになれたのは。

だからやっぱり、中学生の「私」に、「大丈夫だよ」なんて言っても、響かないとは思うけれど。

それでも、生きていてくれて、生きることを選んでくれて、ありがとう、って。

今なら、そうやって、昔の自分を抱きしめてあげられる。

ようやく、ようやくそれができる自分になれた今だから。


今度は私が、誰かに手を差し伸べられますように。誰かの支えになれますように。

今はちゃんと、自分のことを受け止められるから。

だから、大切な人たちのことだって、受け止めていけると思うのです。


ありきたりだけれど、生きていればなんとかなるよって。

今日も明日も、これからも、私は力強く、前を向いて、「幸せだ」って、笑って過ごしていくから。

大丈夫だよ。

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