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他人のアドバイスほど有難いものはないけど、直球では受け取らないよ、っていう、お話し

知り合いの楠浦さんのTwitterをみて、「あ!この感性、自分と一緒!」と思ったので、今回はそれにインスパイアされてnoteを書いてみました。

この年になってくると、中々アドバイスというものをもらう機会もないし、コメントいただくことも少なくなってくるんです。だからこそ、他人からのアドバイスは非常に有難いのです。(ホント、これは歳をとってから初めてわかった事、重要だよ。)

ただ、アドバイスって、あくまでも「する側」のバックグラウンドからしているもので、「される側」の状況とは関係なかったりするんですよね。

例えば、私がnoteを書き続ける理由って、他の人の読んでもらいたい、というよりはアウトプットをすることで、思考の整理をしているような感じなんですよ。

そして、敬愛するてりたまさんも偶然なのか同じようなTweetをしていた。

そう、私もアウトプットすることによって、なんかモヤモヤしたものが形作られるイメージがあるんです。一回自分で音声録音して思考が整理できるか?を試した事があるんですが、どうやら私は音声でのアウトプットよりも文章のアウトプットの方が性に合っているようです。

それなのに音声で発信している人が「思考をまとめるには音声配信が一番!」とアドバイスをしてくれても、私には全く響かない。だって、実際にやってみて効果がなかったんだもん。

同じように「noteを書くなら△△したらバズるよ!」とアドバイスしてくれても、同様に私には響かない。だって、他人のウケを狙うために書いているのではなく、自分の思考をまとめたいから書いているんだもん。

このように人によっては目的も手段も異なる。しかも、多くの人間の活動において「絶対正解」なんてものはない!と、私は思っているので、アドバイスをもらったところで、その通りに動くか?といったら、そんなん稀なんですよね。

ただ、他人のアドバイスって、自分とは異なるバックグラウンドを持つ人が持っている感性なので、絶対に自分が知る事ができない感性を教えてもらえる貴重な機会なんです。

音声でのアウトプットすることを勧める人からは「なるほど!そうやって思考を高める人もいるのか!」という気づきになるし、多くのイイねを狙っている人からは「なるほど!承認欲求の満たされ方は人によって異なるんだな!」という気づきになる。

特に私は他人からどう思われるか?ということに非常に無頓着なので、よくサイコパス的にみられる事が多いです。(実際そうかもしれないけど)なので、「他人の視点」になって行動する事が非常に苦手です。

この欠点を自分で理解しているからこそ、おそらく他人のアドバイスをありがたく受け入れられるようになったと思います。

でもね、上記のように私には私の目的や手段があるので、そのアドバイス通りには動かないんです。

私の場合は、アドバイスを直接聞いている、というよりは、いただいたアドバイスを抽象化して、まったく異なる文脈で再構築し、自分にはない感性を知ろうとしてるんです。

そんなもんだから、アドバイスしてくれる人からすると「なんで折角アドバイスしてあげているのに、自分の言う通りに直してくれないんだ!キィ〜!!」って感じちゃってると思うんですよね、、、

全くもって、この感性の違いを予め知ってもらうにはどうすればいいんでしょうかね?誰かアドバイスください。
(ただし、アドバイスをいただいても、その通りに実行するとは限りません。)

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