青い蜜柑の葉のような私たちは、雨上がりに虹のすべり台に寄る
大人のような子供のような、18歳と20歳の間にいる私たち。
例えるなら、それはまだ熟していない青い蜜柑の葉っぱのような。
19歳の青葉とみかんの出会いと旅とこれからのお話。
青葉ちゃんについて
はじめに
こんばんは。雨虹みかんです。
なぜ「こんばんは」なのかというと書き始めている今が夜だからです。
見出しや目次の機能を使ってnoteを書くのはこれが初めてです。楽しいですね。
今回は私のお友達について紹介したいと思います。
「青葉ちゃん」って誰?
青葉ちゃんは、簡単に紹介すると小説家である。
(次の章で青葉ちゃんとの出会いを詳しく述べるためここではこれくらいにしておく)
いつも頭から双葉を生やしていて、華奢で可愛い女の子である。
そう!可愛いのだ!!!!!
⇩そんな青葉ちゃんの実写がこちら
ほら、可愛いでしょ!?
白塗りの下も可愛いんだよ!
出会い
私たちはカクヨム甲子園2022で出会った。
青葉ちゃんは『紙上の青空』という作品でショートストーリー部門ポカリ賞を、私は『文房具コーナーから始まる文通』という作品でショートストーリー部門奨励賞を受賞した。
受賞後に「受賞したよーん」という趣旨のツイートをお互いしており、そのツイートをきっかけにフォローし合ったのだと思う(実はあまりよく覚えていない)。
その後、一度スペースで話したがお互いとても緊張していたのを覚えている。
カクヨム甲子園2022の授賞式は3月にオンライン開催だったため、受賞者に対面で会うことは叶わなかった。
そこで、Twitterをやっていて連絡を取り合える受賞者かつ東京で集まれる人達で5月に東京ドームシティでオフ会をした。
青葉ちゃんはオンライン授賞式でカメラオフにしていたため、青葉ちゃんの顔を見たのはそのオフ会が初めてだった。
オフ会のときはあまり話さなかったが、その後Twitterでよく絡むようになり、あの夏メンバーにもなり、親交を深めていった。
アイドルやぬいぐるみが好きだったり、クレーンゲームが趣味だったり……といったお互いの共通点も徐々に見つけていき、スペースや通話でたくさん話すようになった。
それが私たちの出会いである。
仙台旅行(2024.2.21)
待ち合わせ「あおばちゃんを探せ!」
青葉ちゃんが今年の2月21日に私の地元である宮城県に遊びに来てくれた。
仙台駅で待ち合わせをしていたのだが、私は青葉ちゃんをなかなか見つけられず、ちいかわを身につけた全く別の女性に声をかけてしまった。
その後、なんとか会えた。
青葉ちゃんと私は似た服装をしていた。
白のダウンに黒のズボン。パンダコーデ🐼
クレーンゲーム部
雨が降っている日だったから私たちは傘をさしてゲームセンターに向かった。
青葉ちゃんと私で結成しているクレーンゲーム部の初の活動である。
2人ともなかなか景品をゲットできず、両替機と機械を往復した。
プリクラコーナーに行くとキラキラJKがたくさんいた。
私たちはキラキラJKに見つからないように隠れて双葉クリップと蜜柑クリップを頭の上につけてプリ機の中に入った。
念願のちいかわプリクラを撮れてとても嬉しかった。
鳩と笹かまぼこ
ゲーセン巡りの途中、仙台名物である笹かまぼこの手焼き体験ができるお店に行き、笹かまぼこを焼いた。
とっっても美味しかった!
ひょうたん揚げも食べたのだが、鳩がたくさんいて怖かった。
鳩たちが青葉ちゃんの上をバサバサと羽ばたいていた。
青葉ちゃんはとても驚いていた。
アンパンマンミュージアム
アンパンマンミュージアムではたくさんぬい撮りをした。
ちいかわとアンパンマンという禁断のコラボである。(ぬぬはセーフ?)
果たしてこのコラボは良いのだろうか!?
青葉ちゃんが遊具で楽しんでいた。
ミュージアムの方に記念写真も撮ってもらってるんるんで帰りました。
アンパンマンミュージアム楽しかった。
カラオケ
帰りの新幹線までまだ時間があったので、私たちはカラオケで過ごすことにした。
私たちはファミリールームに通された。
歌うことはなくドリンクバーのジュースを飲みながら話したり、ぬい撮りをしたりして楽しんだ。
最後に私が2曲だけ歌った。
確か、欅坂46の「避雷針」と櫻坂46の「最終の地下鉄に乗って」だったような気がする。
まとめ
とても楽しい一日だった。
しかし、青葉ちゃんとの旅はこれで終わりではない。
その1週間後に今度は私が青葉ちゃんの住んでいる東京に行ったのだ!
(続く)
東京旅行(2024.2.28)
仙台旅行のちょうど1週間後、私たちは東京駅の改札前に集まった。
秋葉原
初めに訪れたのは秋葉原。クレーンゲーム部の活動をするためだ。
しかし秋葉原のゲーセンにあるクレーンゲームの景品はアニメのフィギュアが多めで、「秋葉原だなあ」と感じた(偏見)。
私たちはすぐに秋葉原を後にした。
(写真も1枚も撮らなかった)
そのときの私はまだある重要なことに気づいていなかった。
上野動物園
上野動物園に着いたとき、私はあることに気がついた。
ぬぬがいない!!!!!!!!!!!
ぬぬとは、「むっちりグレートピレニーズ」シリーズのぬいぐるみのことだ。
私が勝手にぬぬと名付けて呼んでいた。
きっと秋葉原ではぐれたのだろう。
ぬぬはひとりで旅に出たのだ。
青葉ちゃんは駅の落とし物センターを探してくれ、ぬぬが見つかるように色々調べてくれたが、私はぬぬを見つけるのを諦めて上野動物園を楽しむことにした。
動物の名前が乗っているボードを見るたび、私たちが所属している文芸サークル「あの夏の平行線」のメンバーの名前を探したがいなかった。
浅草
次に私たちは浅草を訪れた。
私は下の写真のビルを見たくてうろうろしていると、人力車のお兄さんに話しかけられた。
私が会話に応じていると青葉ちゃんはいつの間にか遠くに離れていた。
人力車のお兄さんから逃げていた。
そして食べ歩きをしたり、おみくじを引いたりした。
青葉ちゃんは凶を引いていた。
私たちはゲーセンを見つけたので、再びクレーンゲームをした。
私はアヒルを、青葉ちゃんはモモンガをとった。
東京駅にて
夜ご飯はガストで食べた。
仙台では「ばいばーい」とサラッと別れた私たちだが、東京では「次会えるのは5月か…」と別れ際に少ししんみりしてしまった。
「もし私たちのどちらかが小説を書くのを辞めても友達でいたい」
気がつけばそんな言葉を私は発していた。
そして別れ際、私たちはグータッチをした。
私は、青葉ちゃんと「小説書き仲間」だけじゃなくて友達になりたかったんだなあ。
友達になってくれてありがとう。
まとめ
仙台と東京、青葉ちゃんとさらに仲良くなれた2日間だった。
住んでる場所が遠い遠距離友情だからなかなか会えないけれど、また遊びたいと強く思う。
これから
青葉ちゃんが最近「小学館ライトノベル大賞」で大賞を受賞したということが発表された。
とても嬉しい!
だが、実は発表された直後の私は嬉しい気持ちと同時にある不安を抱いていた。
青葉ちゃんが遠くに行ってしまうような気がしたのだ。
今後、青葉ちゃんは売れっ子作家になって私は一人のファンとして遠くで見守ることになるのではないか、と。
嬉しい報告に不安を抱く自分が嫌だった。
しかし、受賞発表の数日後に青葉ちゃんと通話をして気持ちが変わった。
青葉ちゃんは青葉ちゃんだった。
青葉ちゃんは私の知ってる青葉ちゃんで、なんにも変わっていなかった。
青葉ちゃんはずっと最高の作家仲間で友達なのだ。
だって東京のあのとき、別れ際にグータッチをしたのだから。
青葉ちゃん、これからもよろしくね。
今回のnoteはこの辺で終わりにしようか。
まだ未熟で青い蜜柑の葉のような私たちは、雨上がりに虹のすべり台に寄る。
そしてすべり台を滑り終わったら、また笑顔でグータッチしよう。
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