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The Third Person

部屋の模様替えをしたりして少し忙しく、詩もお話も特に湧き上がってこない時期に入ったようなので記事を更新していません。とはいえ、あまり更新しないのもなんなので、簡単に書いておきます。後になって自分で読み返すための日記としても書いていますし。

TheThirdPerson(エマ・グローブ著)を読みました。

全編英語+会話で進行する物語でもあるので意味をとれないところも多々あったのですが、読み終えてみると自分にとってかなりインパクトの大きな物語でした。

ある部分では、わたしは彼ら(エマ/カティーナ/エド)にとても似ています。わたしはDID(解離性同一性障害)ではありませんし(と思っている)、アサインされた性とは反対側への移行を望んではいません(と思っている)が、内包しているパーツの構造にはどうやらかなり似たところがあるようです。カティーナほど強固なパーツはいないみたいですけれど。

カティーナが守る人(セリフ中のher)はエマ


わたしには、このnoteを始めたころには持っておらず(気づいておらず)、今は持っている大きな疑問として、ノンバイナリーが先か、解離性障害が先かということがあります。また、これを書いている自分自身は途中で分岐した枝(core selfではなくalter)ではないのかということもあります。こういう疑問を持つ人もあまりいないと思いますが。

この物語を読み終えて、ある程度の答えは自分なりに出たような気がします。ただし、とても個人的な話なのでここでは書きません。残念ながら、Twitterほどではないけれど(雲泥の差で環境は良いけれど)、noteもそこまで安全だとは思っていません。余程の信頼がないと話すことができない、また別の物語です。


ところで、TheThirdPersonで特に琴線に触れたのは、もちろんエンディングに向かって一気に状況が変化していくところもそうですが、物語の序盤、エマ/エドがまだ十代のときに、長年伸ばし続けていた髪を切った場面でした。つまらない人につまらないことを言われたのをきっかけに。


ここでは涙が止まらなかった。同じ体験はしていないのに。

同じようなことは実生活でも他にもあって前から不思議だったのですが(彼女にも言われてた)、こちらも自分なりの答えは出た気がします。


また、詩やお話が湧き上がってくる時期が巡ってくるといいな。必ずめぐってくるはずので、湧き上がってきたら書きます。


※The Third Personを読んだきっかけはこちら