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プレーン

まずは今週あったこと。

朝起きて熱っぽさを感じ、体温を測ったら微熱(37度)でした。微熱は午後には下がったのですが、翌日の朝に再発。その後も午前中だけ微熱が続き、今朝も36.8度という平熱よりも1度高い状態でした。そうこうしているうちに最初に微熱を感じた数日後にパートナーが37度を超える微熱を出して、倦怠感があるらしくほぼ一日寝ていました。幸い、今日は微熱はあるものの倦怠感はないようです。これだけ蔓延しているといつ感染してもおかしくないはずと思い、医療用の抗原検査キットを取り寄せて調べてみると2人とも陰性で、感染疑いのまま「社会的に」宙ぶらりんな状態となってしまいました。検出率の低い手段しか実質的に使えないというのは、さすがにどうかと思います。

とはいえコロナでなければそれで良いし(何かの感染症の疑いはあるけれど)、仮にコロナであっても2人とも微熱程度で済んでラッキーということで、少し安心しました。パートナーが熱を出したときは、微熱とはいえ、正直、かなり慌てたのです。自分のことはさほど気にならないのに。

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ノンバイナリーやトランスジェンダー関連でTwitterを見ると、感情的な暴力に溢れていて、しかもそれが予告なく無限にたくさん流れてくるために、自分は生きていていいんだろうかという気持ち(とまではいかないまでも自尊心を失うような気持ち)にどうしても陥りがちです。普段、自分に対してネガティブな感情を感じない性格なのにそうなります。何ら議論にも解決にもなっていないことをひたすら繰り返して侮辱的な自説を垂れ流し続けることは暴力以外の何物でもありません。暴力に曝されるのも嫌なので基本的に無関係の楽しいものしか見ないようにしているのですが、たまたま表示されたこのツイートにはとても驚き、そして興味を惹かれました。

全く違うのですが、とても似ているのです。

私の場合は、「自己を男女どちらにも感じられた個人であり、私はこれがデフォルトで、皆、聞き分けがよいから男女どちらかの規範にしたがって生きているのだと長いこと思って」いました。正確には、聞き分けがよいから、というよりも、楽だから、という感じでしょうか。

この記事のヘッダーの画像は草原とその上に作られた道ですが、人は本来誰もが草原の上にいて全てを感じることができるのに、(何らかの理由があって)楽だから、道(男女の規範)の上を歩いて生きていこうとしているのだ、というイメージです。私は、楽であることよりも男女どちらも感じられる状態が好きなので、道を歩くことを選択しないのだと思っていました。この考えはとても強固で、多くの人はそうではないことを理解したのはそれほど昔ではありません。

しかし、今でも、道の上を歩こうとはあまり思いません。身体が男性である以上、様々なメリットを享受しておきながら何を言っているんだと思う人も多いでしょうが、やはり、草原の上にいることが好きです。草原の上にいることは、生まれもった私の本質でもあるように思います。

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