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lim x→0

本日2本目の記事

この前、Twitterを見てたら自己と他者の間の境界線(boundary)は1つではなく、実は2つあるということが書いてあって(リンク先の3枚目)、目から鱗というか、とてつもなく感動してしまった。あまりに衝撃的で、珍しいことに思わずコメントも書いてしまった。境界線は1本と思っていたよね。

境界線が1本(borderline)、しかもそれが外部から頻繁に侵されるような怪しいものだと自己が不安定極まりない。少なくとも2本あることで、間にグレーゾーンというかパブリックゾーンが登場して、ゆとりを持つことができる。なんて素晴らしいんだ。相手が自分の境界線(boundary)を出てこちらに向かってきたときには、自分の境界線を強化するなり開放するなり、自分自身が選択できるのだから。

知らない間に、本当に長い時間にわたって、境界線が極限化(lim x->0)され続けていたわけである。極限化によってなんだか膨大な時間と力の損失があった気がして、とても残念な気がする。もしかして他人に触られることに恐怖や怒りを感じたり、侵されたときに無力化してしまうのも境界線の極限化から来ていたのでは?

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境界線については、今朝見た、まや川さんという臨床心理士の方の一連の記事が詳しくてとても参考になりました。複数ある一連の記事のうちの、おそらく一番最初と思われるものをリンクしておきます。よかったらご覧になってください。

ところで、まや川さんの記事の中に、ジュディス・L・ハーマンという方の「心的外傷と回復」という本が出てきます。レビューなどを見るにとても良い本のようなので読んでみようと検索したら在庫切れ。でも、気を取り直して出版元のみすず書房のサイトに行ってみると、なんと増補新版がちょうど来月2日に出るらしい。予約したので届いたら読んでみます。


これまで、トラウマによる解離からの回復(ジェニーナ・フィッシャー)、身体はトラウマを記憶する(べッセル・ヴァン・デア・コーク)を読んできて、本当に救われました。心的外傷と回復も楽しみにしています(レビューによれば実際の事例がたくさん書いてあるらしい前半は読むのがつらそうだけど)。