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人生の悲願の達成が告げられて、数日放心した後、視界がクリアになった話

 先日、原宿カウンセリングセンターでカウンセリングを受けてきた。
 「今の私に、暴力やACに特化したカウンセリングは必要ないのでは」という気持ちもあったのでキャンセルも考えたが、これまでの振り返りをしてこようと思い直し行ってきた。

 結果、この日が私の新たなシーズンの幕開けとなった。40数年に及ぶ、緊張状態から解放されることができた。私の悲願を達成することができていたということがわかった。

キャンセルしないで本当によかった。

 

 子どもとのこれまでのやり取りをおさらいする。

 子どもは高2の1月から不登校気味になり、高3の春~初夏にかけて不登校真っ盛りになった。6月に突然私との二人暮らしの家から出ていき、祖父母宅で受験に集中するという決断をした。私にとっては衝撃が大きすぎた出来事で、イメージとしては、路上で、バットで、後ろから誰かに私の後頭部を2回殴られたかのような感じ。一発は子どもから、残りは私の親から。

 私の内面は大混乱だった。私がACだから子ども中心主義の教育を学び実践し、その点では英才教育をしてきた自負があった。だから、何がよくて何がだめだったのかわからないという気持ち、子どもに依存し続けたい気持ち、20年近くずっと共に暮らしてきた人がある日突然いなくなる、自分の身体の一部をもがれたような痛み、親の暴走は私が彼らのインナーチャイルドを刺激したまま放置したことに起因しているので、私自身の弱さを悔やむ気持ち、私の心は血まみれで、血がずっと流れ続けていた。

 今は大学1年の秋、子どもとはつかず離れずの距離感を保ってきた。子どもは正常な思春期なのだろうが、私を突っぱねる時も依存心を見せる時もある。私はその一挙手一投足に翻弄されてしまう。

 子どもと暮らすことは今の私には無理。1年半前に受けた致命傷に対する手当が不十分であるため、次傷つけられたら踏ん張れないのは火を見るより明らか。


 さて、カウンセリングの内容に話を戻す。カウンセリングの最初に前回のカウンセリングから変化・進捗した出来事を伝えた。

 前回は、子どもが私との約束を無視したため私がまちぼうけをくらい、「本当に思春期の人間に関わりたくないと思っている。自分の子どもも無理、職場の生徒も本当に無理。」という気持ちになったところまでを伝えていた。今回は、引っ越しについて子どもと話し合い、その際の子どもとのやり取りを伝えた。

 カウンセラーさんにお伝えした子どもの発言は以下の内容だった。

①「ここがすべての問題なんだけど、自分は思っていることが人に言えない。今は違うけど、当時は、お母さんには全く言いたいことを言えなかった。言葉が出なくなる。だからと言って、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんに言えたわけでもない。」

②「自分が思ったことを話せないというのが、すべての問題なんだけど、自分が不登校になりかけた時に、無理やり学校に通わせてほしかった。受験するかどうか迷っていた時期に、通信制高校への転学、大検、ワーホリ、東欧での大学進学、ワールド賃金といった余計な選択肢を示さず、無理やり最適な塾に放り込み受験にまい進するレールに乗せてほしかった。」

③「愛されていないとかそんなことは考えたこともなかった。」


 子どもが言ってくれたことに対する整理がつかず、ずっとぐるぐる考えていた。カウンセラーさんと整理したのが以下。

①「ここがすべての問題なんだけど、自分は思っていることが人に言えない。今は違うけど、当時は、お母さんには全く言いたいことを言えなかった。言葉が出なくなる。だからと言って、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんに言えたわけでもない。」

 子どもが私に何も言えなくなってしまう、話せない、思考がストップしてしまうと言ったのは、何かしらのトラウマか。

 父親は、他人軸×抑圧×依存×支配がデフォルト。基本的に精神を病んでいる。子どもに過度な夢を見て、偏差値のヒエラルキーがトップであることが良いという価値観を子どもに示し続けてきた。
 
 母親は、ACから脱却しようともがき、子ども中心主義の教育を学び実践してきた。
 
 父親と母親とで方針が真逆。そりゃ混乱するし言いたいことも言えない。

 あと、離婚が子どもが4歳くらいのころだったことが決定的なのかな。私と元夫が感情的に荒れ狂っていた時期を子どもは体感している。あー、これか。自分は無力であるっていうのを植え付けられているんだ。
  

②「自分が思ったことを話せないというのが、すべての問題なんだけど、自分が不登校になりかけた時に、無理やり学校に通わせてほしかった。受験するかどうか迷っていた時期に、通信制高校への転学、大検、ワーホリ、東欧での大学進学、ワールド賃金といった余計な選択肢を示さず、無理やり最適な塾に放り込み受験にまい進するレールに乗せてほしかった。」

 私は、この子どもの発言を聞いた時、「なんだそれ」と思った。

 私は塾については子どもが高一の最初に難関大学に進学したいと言い出した時から、ずっと提案し、選択肢を与えてきた。選ばない選択をし続けてきたのは子どもなのに、「無理やり入れてほしかった」とか子どもの甘えが斜め上すぎて驚愕した。

 自分を殺して子どもの選択肢を守る構造だったのがそもそもの問題でもある。

 また、私が子どもより先に子どものことを真剣に考えすぎて、提案してきてしまったので、子どもは自分の頭で考える経験ができなかった。その積み重ねがあの発言につながった。私が子どもの課題を自分の安心や子どもに必要とされたい気持ちで横取りしてきてしまった結果だ。

 日本で良いと言われるレールに乗り続けることに疑問を抱く、聡明さが子どもにはあった。だから、私のアドバイスを聞き流すのではなく、真剣に悩んだんだろう。実際そこから外れることがとんでもなく恐ろしいから、私のように就職氷河期だからそもそも椅子がないというような条件下にいないと決断がとても難しいということもわかる。

 私は不登校になっている子どもを、無理やり学校に行かせることをしなかったしできなかった。子どもの心の中のベクトルと、子どもを取り巻く環境が大きくズレていて、そのずれを子ども自身が認識しマインドセットをしない限り、私がしたことは全て「間違い」になっただろう。

 子どもの心の中のベクトルが何なのか、どの方向を向いているのかを把握したかった。だから、色々問いかけて、色々な選択肢を示した。子どもは、私に一切の情報を与えず、自分だけで考えていた。

 子どもの内面がわからない以上、壊れる可能性がある方向には絶対に舵を切れなかった。あの条件で、私ができるベストだった。今でもそれでよかったと思っている。


③「愛されていないとかそんなことは考えたこともなかった。」

 子どもの土台はちゃんとできている。

 子どもは、多分、世の中の受験の流れに乗れない自分をもてあましつつ、実家となるべくかかわりをもちたくない私に忖度もしていたんだろう。

 子どもは、私が傷つくのがわかっていて、自分の人生を優先する方向に舵を切った。毒親育ちの私は、親の意向を忖度して自分の進路を大きく捻じ曲げ、自分軸に戻すまでに数年要した。

 ここが決定的に違う。子どもの土台がしっかりとできているということでもあるんだ。

 適度に親のせいにできるというのも健全な子どもの特徴。私の思考回路がAC過ぎて、健全な子どもの言動が理解できなさ過ぎて、振り回されていたが、

 子どもは、「自分は愛されている」という土台があり、「自分が発言しなくても世の中は自分の思い通りに動くはず」という根拠のない思い込みをもっている。世の中を信頼しすぎているという点では、ジェーン・スーさんと似ている気がした。

自分が発言しないんだから、周りがその通りのサポートをしないのは当たり前。子どもはそれを今回学んだ。

 最近、ジェーン・スーさんと桜林直子さんの隣の雑談をポッドキャストでよく聞いていて、自尊心を育成してもらえたスーさんと、育成してもらえず自分で這い上がってきたさくちゃんの物事のとらえ方の違いを楽しんでいる。

 私はスーさんがさくちゃんの思考回路を丁寧にききとって理解していく様子を聞いて、そこまで物事の見え方に違いがあるのかと思っていた。

 今回のカウンセリングで話をしていて、私も子どもも、さくちゃんとスーさんと同じだと気が付いた。土グループの私は、子どもの言動が理解できない。子どももまた同じなんだろう。

 ACの私のデフォルトの思考回路と異なる言動が見られれば、それだけ子どもの土台が出来上がっているということなんだ。 


 
 私は、18歳までに、自走できる人に育てたいという、過度な目標を掲げていた。自分軸でPDCAサイクルを回して、歩んでいける人間に育てなきゃって思っていた。それは、公立高校で自分を殺して自分軸で生きていない私に示すことはできないし、自分軸を求めない公立学校でもできないことだ。

 


 子どもの土台はちゃんとできていて、自走のスタートラインに立っている。それで十分、私は役目を果たした。後は、子どもが抱えているトラウマの緩和。カウンセリング費用を用意していることを伝えればいいかな。


 子どもが宿ってから20年近く、ずっと緊急事態宣言下にいた。

 カウンセラーさんに、今回の振り返りをしてもらえてはじめて、緊急事態宣言が解けた。ずっと不安で、緊張して生きてきたけど、緊張がゆるんだ。

 ここは、自分ひとりでは気づけなかったと思う。質の高いカウンセリングやコーチングを受ける意味はここにあるんだろうな。解像度の高いフィードバックがなかったら、私はきっとずっとここに縛り付けられいて、先に進めなかった気がする。

 カウンセリングで、自分の中で調和を保っていた土台が決壊した。はたから見ればぼーっとしているように見えるだろうが、内面は、産後の怒涛のホルモン変化のような、嵐のような、土台を再構築しているような変化が起こっている。

 今朝、ばらばらのピースがはまったような感覚があり、気づきがあった。

 いつもの部屋が、明るく見える。いつもの鮭がより味わい深く感じる。内面が凪の状態になった。

 40数年の悲願、「負の連鎖から距離をとる」ことが達成された。

 何をやってきたんだろうという気持ち、自分の人生を自分の望む方向に開花させられなかったという気持ち、これが虚しさなのかな。放心している。先のこと、仕事のこととか、考えられない。
 
 ようやく土の中から這い出すことができて、フラットな土の上に立っている。自力で土から這い出すのって、めちゃくちゃ大変。人生かけて取り組んできた。それが課題になるような育て方、環境はこの世からなくなればいい。

 「自由に幸せに自分の生きたい方向に自走できる人が増えたらいい、そういう人を育成したい」

 これが私のミッションなのかなと思う。

 今までは、人権意識のかけらもない公立高校の中で15~18歳までの人間を対象に、NZでインストールされた人権意識、大学でインストールされた”常識”を打ち砕いていく思考力を用いて「世の中の選択肢を知り自分にフィットする制度や思想を知ること、自走できる身の回りの自立ができること」を目標に人材育成をしてきた。ここは、だいぶできるようになった。

 公立高校にいては、自分自身の幸せを実現することが難しく、また、自分のやりたいことを明らかにすることも、自走する力を育成することもできないことに、頭打ちの感覚をもっていた。

 次の課題はここ。ただ今はまだしばらく、自分の心の虚しさにつきあって、エネルギーを蓄えようと思う。 



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