無力

私はなんて無力なんだろう。

よくそんな場面に出くわす。

若い頃はその無力さに腹が立ち過ぎて何度も死のうとした事さえある。

本当に無力だ。

大切なものを守れない。

いつも一方的に守りたいって思ってる事が多くて、相手の方はそんなの望んでないし迷惑だと思ってるかも知れなくても勝手に心配している私は困った人間なのかもですが。

それが私の性分なのだ。

勝手に守りたいと思い、勝手に無力だと思い、勝手にうなだれる……本当に困った人間だね、私。

でも、この性分は変えられないのです。

さて、ここで子供の頃の話をさせて下さい。

中学3年生の頃。

一応受験生でした。

全く受験勉強してませんでしたし、地元の高校の進学クラスに入るには楽勝だったのですが、無意識に少し構えてしまってたのかも?と後になって思うのですが、軽い神経性胃炎を患うようになってました。

それに気づき始めてたある日、おじが交通事故で亡くなりました。

地元から離れた所で家族と別居一人暮らししていたおじでしたので、身元不明で3日程経ってからやっと弟である父に身元確認して欲しいと電話連絡が入りました。

遺体はバラバラだったそうで、おじを確認して帰宅した父の項垂れた姿が今でも胸の奥に張り付いています。

そんな衝撃を受けた数ヶ月後、今度は同級生の母親が付き合っていた男性と口論になり殺されたというセンセーショナルな事件が起きました。

クラスメイトみんなで葬儀に参列しましたが、他にはほとんど参列者がいない……同級生はただうつむいていて、挨拶をした同級生のお兄さんは言葉を紡ぐ事が出来ずただ「ありがとうございました」とだけ告げ、頭を下げ、そのまま泣き崩れました。

なんとも言えない思いが胸の中に残りました。

当時、毎日1行くらいの簡単な日記をつけていたのですが、その頃は呟きのように「人の命ははかないものである……」って何度か書いてました。

「突然死」というものが凄く胸に刺さってしまっていたのだと思います。

そんな私を癒やしてくれたのは道端に咲く花だったりしました。

その頃、私は学校でイジメにあっていましたし、父とは性格は似てるのに考え方や価値観があまりにも違っていた為衝突する事が多く、ある日父に「お前なんか要らない。今お前を家から出したら父さんが悪い事になるからやらないけど、そうじゃなくなったら家から追い出してやるからな」と言われていたので何処にも居場所がないと思いながら生きてました。

(余談ですが、結果的には結婚する直前までずっと実家で親と普通に暮らしてました(笑))

「自分は自分の存在は何なんだろう?」自問自答しながら、答えも出せないまま生きてました。

でも、道端に咲く花をキレイだと感じられる心を持ってるし、道端に咲く誰も目を向けないかも知れない花に目を向ける余裕もあるし自分は大丈夫だと、命があるから幸せなのだと思って日々過ごしてました。

今にして思えば、それは自己防衛本能だったのですよね。

誰の手も加えられていない自然の花の存在は、望まれていないのにここで生きてる自分と同じだと無意識に思っていたのかも知れない、この花の存在が許されるなら自分の存在も許されるのだと思っていたのかも知れません。

地球が今日も回っていて、自然が美しくて素晴らしいと思っていたのは、そこにいる自分を肯定したかっただけなのかもと。

そして、花がキレイで幸せだと思ったのは、生きている喜びを噛み締めていたかった、身近な死を知ってしまったからこその生に対する執着だったのかも知れません。

その頃の日記に時々正直な呟きが残っていました、「生きているのか死んでいるのかわからないよ……」と。

あと、「ぼくはだれなんだろう?」なんてのもあった気がします。

(結婚する時にその日記は捨てたので、捨てる直前に見た記憶だけでこれを書いてます。)

その頃の私は、自分で自分は幸せだといい聞かせて、本当は欲しかった安らぎを諦めて生きていただけだったのです。

諦めなければ苦しくて日々を過ごしていくなんて無理だったのです。

諦める=生きる、だったんです。

でも、それは本当に生きるだったのか?と問われると心は死んでいるみたいにぬくもりがなかったのです。

失くしたぬくもりを花が美しいと思うことで補っていただけなのです。

その後、高校に進学して周りの状況が大きく変ったことによりその状態から簡単に脱する事が出来たのですけどね。

……さて、何故こんな重たい子供の頃の話を書いたかといいますと、大切な人が今、ひょっとしたら同じような状況に置かれてるのかも知れないなと思ったからなのです。

でも、その相手は身近にいる方ではないので、直接声を掛けることも出来ないんですよね。

そこで、この記事のタイトル「無力」なんですよ。

同じような状況を経験した事をある私なら、その人の心に寄り添ってあげられるのかも知れない。

でも、相手は家族でも友人でもない人なので、寄り添うなんて事はとっても迷惑な話なのかも知れない。

相手にとって私はいてもいなくてもどうでもいいくらいの存在でしかないのです、残念ながら。

私にとっては空気のように大切な存在なのですけどね。

そんな風に思う事自体迷惑だと思われてるかも知れない、面倒なだけの存在かも知れない。

でも、私の性分なんで勝手に思って勝手に心配してしまうのです。

本当、迷惑な人間だな、私。

どうしたらいいのだろう?

どうしたら生きてるのか死んでるのか解らない状態から脱してあげられるのかな?

ずっと悩んでるけど、答えが解らない。

あの頃の自分だったら?なにを望んでた?何が欲しかった?どうしたら助かってた?必死で考えてみた。

今、あの頃の自分に何かいうなら「母を頼りなさい」と言うでしょう。

母がきっと居場所をくれるよと。

そう、あの頃私は母を頼れなかったのは、母はなんでも父のいいなりになってるようにしか見えなかったから。

でも、私を捨てるだなんて事、母が絶対許す訳ないんです、今なら簡単に判る事なのですが。

しかも、父だってお酒に酔って仕事のストレスと相まって私にキツく当たっただけで本心ではないというのも大人になって2人の子の親になった今の私には簡単に判るのですよね。

あの頃の私を救うのは簡単だ、自分なのだから。

でもこれが他人だとそうはいかない。

何に失望して希望を持つのを止めたのかは解ってる。

だからこそ、掛ける言葉がみつからない。

私はその人の夢を叶える事が出来ないから。

支える一角にでもなれてたらいいけど、一方的な想いで何も出来てないかも知れない。

一方的過ぎて、自分の立ち位置すらわからない状態で相手を支えたいなんて無謀なのでしょうね。

下手に言葉をかけて変に心を乱させてしまうよりはそっと見守るのが正解なんだろうなという結論には至りました。

無力…………。

一人で勝手に落ち込んでおきます(笑)

ただ、ふと頭を過ったこの曲。

この曲の歌詞なら少し寄り添ってくれるかも知れないなと思ったんですが、御本人様には伝えるつもりもなくそっと見守る事にしたので、ここにだけ貼っておこうかな?な気持ちです。

ああ、無力……。

会社に行っても頼られてるの判ってるけど、大したこと出来ないし無力。゚(゚´Д`゚)゚。

もっと気の効いた言葉とか言える人間に生まれたかったな。