否定はしたくないけれど(2024年6月17日の日記)

今日の演習授業の発表は、自分も興味のある内容を扱ったものだった。元からそれを題材することは事前に告知されていたので、今日はこの授業を楽しみに大学に来たと言っても過言ではない。

授業が始まり、配布された資料を読むと、そこには自分の考えとは異なる考察が書かれていた。今日は一コマで二名の発表があったのだが、悲しいことに両方とも自分の考えとは異なるものだった。
自分の読みが違う可能性もあるため、改めて題材を読み直してみたが絶対にそんなことはなかった。

正直に言って、私はこういった発表で相手の考えを否定するような発言はしたくない。なぜなら、自分が同じことをされたときに困るからだ。
きちんと対策しておけば何も問題はないが、想定していなかった方向から質問や反対意見が飛んできたときが困る。きっと私の場合は動揺して脳がフリーズするし、今までも先生に突っ込まれて同じような状態になっている学生を何度も見てきた。
せっかく発表してくれた学生を困らせたくないという気持ちもあったが、議論に積極的に参加することも評価基準に含まれているので、結局質疑応答の際に手を挙げることにした。

一人目の方は、発表資料の文章の書き方が悪かった・誤解されるような言葉選びをしてしまって申し訳ないと訂正された。
そこからさらに先生の指摘が入り、そもそもここで取り上げた先行研究の言っていることが間違っているという結論に至った(発表者の学生はこの先行研究に同意するという形で論を進めていた)。

二人目の方は、私が異を唱えた後も自分の論を貫いてくれた。けれど、それでも納得はできなかったので、そこからさらに発言してしまった。
あの沈黙の時間は本当にしんどかった。相手は何と返してくるのかという期待と、困らせてはいないか・問い詰めているような構図になっていないかという不安が入り交じってしまい、発表者でもないのに緊張してしまった。

最終的には、相手側が結論を撤回して私の意見に同意した。
授業後は、「相手も私と同じ考えになってくれてうれしい!」という気持ちと「圧をかけてしまっただけで本当はただ相手が折れてくれただけなんじゃないのか?」という気持ちで心がぐちゃぐちゃになった。
だが、授業中は「相手の読みは間違っているのだから、どれだけ相手が反論してきても絶対に納得させてみせる」という気持ちも確かにあった。私は自分の好きなものが関わるとここまで容赦が無くなるのかと思うと、己の我の強さに嫌気がさしてさらに気分が悪くなった。

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