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どれだけ好きでも埋められないあと1cm

僕は人が好きです。

このことは以前の記事でもちょこっと話しましたが、僕はすぐに人のことを信じてしまいます。
それは初対面のときにその人の良いところを見つけてそこに注目してその人と接するから。


もちろんその人の嫌いな部分も目には入ってます。
でもそれ以上にその人の持つ良さって輝いているんですよね。
だから僕はそんなかっこよい人と付き合えて嬉しいしもっと仲良くなりたいから距離を縮めようとします。


ただこの前、友達と会話していて僕は気づいたんです。

あ、僕たちっていくら分かり合えたとしても他人なんだ。って


おいおい、今更サクラサクは何言ってるんだと。
当たり前じゃないか。他人に決まっているだろ。
そう思われても仕方ないかもしれないですがもう少しだけ僕の気持ちを書かせてください。笑


多分僕にとって今いちばん大切な時間って好きな人と過ごしている時間なんですよね。これはもちろん恋愛に限らず。

そんな幸せな時間を過ごしている時、相手と一緒に笑い合えたり泣きあえたり共感できた時って不思議と相手と心がつながったような感覚になるんです。

このまま「一生忘れない大親友」って呼べるような関係になるんじゃないかって。

ただどうしても相手との距離があと1cmのところで止まってしまうんです。この距離が多分僕たちが他人として存在する証拠なのかなって。

この1cmという距離はその人がその人自身であるために必要な距離なんだと思います。
それなのによく僕はこの距離の存在を忘れそうになってしまうんですよね。
それは周りの人たちに優しく素敵な人がたくさんいるから。

だけどこの1cmは確実に存在していて、その存在を忘れ近づきすぎた僕はいつも怪我をします。

別に僕はその人の人生を生きたいわけではないし、その人になりたいわけでもありません。ただ、僕たちは所詮他人なんだって突きつけられる感覚に僕はまだ慣れてなくて。

僕の場合、どうしても寂しくなってしまうわけです。


僕たちの間に生まれるこの距離を把握するのにあとどれくらい時間がかかるんでしょうか。

もしかしたらこの記事を読んでくださっている方の中にはこの距離を正確に掴んでいる方もいらっしゃるのかもしれませんね。

そんな不思議な距離をゆっくりゆっくりと自分なりに掴んでいきたいと思います。


今日もここまで読んでくださりありがとうございました!


では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!