見出し画像

「自分のため」と「他人のため」に生きている

ここ最近は、修論に向けてひたすら実験を繰り返しておりまして中々更新できずにいました。そして、読みたい記事も中々読むことが出来ませんでした。

それにも関わらず、こうして読みに来てくださる方、楽しみに待ってくださる方、改めて本当にありがとうございます。

今日は、久々で自分の中に書きたい気持ちが爆発しているのに加えて、僕の親友君からとても面白そうなテーマをもらったので長めになると思います。

読み切るのに5分程度かかるので是非お時間のある時に読んでいただけたら嬉しいです。


最初に少しだけ定義

今日書くのは「僕は誰のために生きているのか」についてです。

中々、壮大ですよね。
この壮大なテーマについて文章にするとなると、ある程度読んでいる方との共通認識が必要な気がするのでまずは定義をしてみたいと思います。

誰のために生きているか?に対しての答えは、大きく分けて2つある気がします。1つは自分のため、もう1つは他人のため。

で、僕の中で、この違いを考えてみると「源動力」と「選択」の2つがキーワードになっている気がしています(あくまで数日しか考えてない個人的な意見なので他の意見も大歓迎です)。

「源動力」については、何が自分の生きる源動力になっていると感じることが多いか?みたいな部分です。例えば、将来の夢であったり、身近にいる人の笑顔だったり。この例で考えると、僕の中では前者が自分のために生きている、後者が他人のために生きているという定義になります。

「選択」についても文字通りで、日常の小さな選択から、人生を左右する大きな選択まで、決断をする際に誰を優先させるか?みたいな部分です。この選択の積み重ねでその人の生き方みたいな部分ができていくんじゃないかなと思っています。

この2つを挙げてみると、一見似たようなものではあるのですが、僕の中ではこの2つについて、それぞれを考えることで自分なりに整理できたので、この観点から僕のことを文章にしていきます。


僕にとっての源動力

まずは「源動力」という部分(定義で言うと何が生きる源動力になっているか)。これは自分の生き方という割と大きなスケールで自分を捉えた時の話になる気がします。

この観点で言うと、僕は自分のために生きています。
それは今の僕は「この人生を楽しみつくす」という夢があるからです。
まだ抽象的過ぎですけどね。笑

僕にとってはこの自分のための夢が源動力になっています。
逆に、この自分の夢がない僕はとことん弱気になります。
どんな状態になるのかというと…

僕には学部生の頃まで、叶えたいなと思って追いかけていた夢があったんです。だから理系だし、だから大学院まで進む選択をしてきた。

でも、その大学院へ入った瞬間、その夢が自分のものだと思えなくなっちゃったんですよね。少し抽象的な表現だけど、今まで見て見ぬふりをしていた違和感が一気に押し寄せてきた感覚がありました。

そうして胸を張って語れる夢がなくなった僕は、自分でも分かりやすいなって思うくらい余裕がなくなりました。そして、この状態になると、僕の場合は自分のする全ての行動に満足できなくなります。
常に不安が付きまとって、たとえ行動したとしても完璧じゃない自分に落ち込むというループに陥ります。

落ち着いていれば、完璧を求めている状態自体が完璧ではないと分かるんですけど、余裕がなくなると本当に自分でもわけわからないくらい落ち込んでしまうんですよね。

そんな夢を失って彷徨った1年半を振り返ってみると、やっぱり今の自分には夢が必要だし、夢が源動力になっている部分が多かったんだなと気づきました。

だから「源動力」という観点から言うと、自分のために生きているというのが「誰のために生きているか」への僕なりの答えになります。


僕にとっての選択

次は「選択」という観点で考えてみたいと思います(定義で言うと決断をする際に誰を優先させるか)。

「選択」という観点でいくと、僕は「自分と他人のために生きている」というのが答えになります。

一番初めに「誰のために生きているのか」と考えた時に、どうしても「自分のため」と言い切ってしまう自分に違和感がありました。その違和感を深堀りした時に出てきたのが「選択」という観点です。

じゃあ、なぜ選択という観点から言うと「自分と他人のため」なのかという話になるのですが、これについては2つの極端な経験をしたからだと思っています。

その経験が「100%自分のためにした選択」と「100%他人のためにした選択」についてです。結論から言ってしまうと、この選択に関してはどちらも失敗しました。

まず「100%自分のためにした選択」について。
これは学部3年生での「今通っているレベルより高いレベルの大学院受験に挑戦する」という選択です。

もちろん面接等では他人軸も入れていましたが、本心では自分100%の選択でした。端的に言ってしまえば、レベルの高い環境で挑戦したかったし、何より自分は高いレベルに到達できるんだという証が欲しかったから受験しました。承認欲求ってやつですね。

でも結果から言うと、不合格でした。そして今のところ、人生で一番泥臭い経験です。もちろん、失敗したにもかかわらず学ぶことが多くて後悔はしていません。それでももっと自分の特性に気づいて、1つ1つの選択を大切にすれば結果が変わっていたと感じました。

もちろん、この経験以外にも細々した「自分100%の選択」はあるんですけど、どれも全力になりきれず終わっているのがほとんどです。

だから、きっと今の僕には「自分100%の選択」が向いてないんだと思います。


一方で「100%他人のためにした選択」について。
結論、これも僕には向いてないんだと思います。

学部生までの僕には「100%他人のためにした選択」が比較的多かった気がします。でも、余裕がない時ほど見返りを求めてしまう自分がいたんですよね。

例えば、僕が研究室の掃除をやっているんだから時々は遊んでないで手伝って欲しいとか。頻繁に質問へ来る後輩に対して、僕は今やっていることを中断してまで伝えてるんだから「ありがとう」の一言くらい欲しいみたいな。

そう考えている時はモヤモヤするし、何よりも自分からその選択をしているくせに目に見える見返りがないとモヤモヤしてしまう自分に苛立つことがありました。

世の中には、綺麗ごとではなく本気で他人のためという気持ちだけで動ける人がいるわけですが、そんな人を尊敬しつつ僕はそうではなかったんだと少しずつ気づいていきました。


そんな「100%自分のためにした選択」も「100%他人のためにした選択」もどこか向いてないんじゃないかと考えていた時に迎えたのが就活でした。

結論から言うと、この就活という選択に関しては、自分と他人の割合が凄く良いバランスだったなと感じています。

「自分のため」に関しては
・全力になった経験が自分の自信になる
・学歴というコンプレックスを解消できる

「他人のため」に関しては
・満足のいく就活をすることで笑顔になる人がいる
・自分に合った仕事を通して笑顔にできる人がいる

自分にとって心地の良いバランスでした選択は、人生で初めて「頑張らなくても自分のためにも他人のためにもなれる」と感じた経験だったんですよね。


就活について聞きに来た後輩が、僕の就活への想いを聞いて「同じ気持ちで就活をしている人がいると知って間違いじゃないんだって自信になりました」なんて嬉しいことを言ってくれたり。

僕が内定を取ったと報告したときに、「一緒に頑張ろう」という心強いメッセージとともにLINEギフトを送ってくれた親友君がいたり、普段電話なんてしないのにわざわざ仕事終わりに音声でお祝いしてくれる先輩がいたり。

気が付いたら、自分のために学んだことが誰かのためになっていて、他人の笑顔のためにしたことが自分の幸せに繋がっていました。
そんな瞬間は「自分のために選択をした自分」も「他人のために選択をした自分」も心の底から肯定できたんですよね。

それと同時に、「100%他人のためにした選択」は僕には向いてなかったけれど、100%じゃなくてもこれだけ誰かのためになれるんだって思いました。

そんな経験から、僕は「選択」という観点でいくと、僕は「自分と他人のために生きている」というのが現段階での答えだと思っています。

そしてその状態の自分が一番自然体でいられる気がします。


誰のために生きているか

長くなりましたが、まとめると俯瞰した時の僕は自分の夢を叶えるために、「自分のため」に生きています。でも、もっと細かく1日1日で見てみると「自分のためと他人のため」の選択を繰り返して生きています。

そして、今こうして初めて言葉にしてみて、そんな状態が自分にとって全力を出せる状況なのかというのが整理できた気がします。

今の僕には、心の底からこのことを実感できた経験が就活くらいしかないけれど、この先でそんな経験を1つずつ増やしていけたらいいなと思います。


世の中、生きていると誰かのためではなく自分のために生きようとか、そんな言葉を聞くことが多い気がしています。でも、そんな2つの分類では当てはまらないくらい1人1人複雑で、そこが誰かを知った時に感じる面白さなんだろうなと思います。


夢中で書いていたら4000字近くになっていましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!
書いている中で、世の中にはどんな人がいるんだろうと気になっている状態なので「誰のために生きているか」について、ぜひこの記事を読んでくださっている方が書いた文章も読みたいです。



では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!