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過去の自分に支えられてる

今日、研究室でデータ解析をしていた時の話。

僕の研究室では、NMRという装置を使って、作った分子を分析します。
簡単に言うと、作りたい物質が本当にできているか判断するためのデータを取ってくれる機械です。

とてつもなく精密で、目で見えない物質を、目に見えるデータに変えてくれる有難い存在なのですが、精密なだけに分析にも知識が必要になります。

だから、大学の講義という存在があって、そこである程度基礎的な部分を身につけることで、徐々に応用できるようになっていくわけです。


ただ、知識というのは知っているだけでは何にもならないわけで。
講義というのはあくまでも理解しやすく簡略化してあるからこそ、自分で使えるようになるまで嚙み砕いて使える状態にしなければいけません。

この事実を研究室に入ってから知ったからこそ、配属当初の僕は、自分の使えていない知識を必死に調べてノートにまとめていました。

当時は、今の自分に出来る事がそれしかなかっただけ。
目的なんて考える間もないくらい、がむしゃらにやり続けていました。


そして、3年経った今日。
ふとNMR関連で調べ物をしようと資料を漁っていた時、当時必死にまとめていたノートが出てきたんですよね。

それで、懐かしい気持ちを感じつつ、NMRについて当時の自分がまとめた部分を開いてみました。

そりゃあそうなんですけど、今となっては当たり前に使っているような知識ばかり書かれています。ただ、そんな中に、小さくメモ程度に書いてある文章があったんです。そして、その文章が、ちょうど疑問に思っていた部分の回答になっていたんです。


驚きですよね。
多分、書き方的に、まとめた当時の僕には理解できない範囲の話だったんだと思います。

でも、あの時の自分が理解できないなりにも書き残してくれていたからこそ、今の自分はそれを読んで1つ疑問を解決できたわけです。


そこからほんの少しだけ、同期と一緒に、過去の自分が書いたノートを使って勉強しました。その時、同期がふとこんな言葉を掛けてくれたんです。

「そりゃあ、これだけやってたら今NMRに強いのが理解できるわ」

嬉しいと同時に、今こうして楽しく研究できているのは確実にあの頃がむしゃらにやっていた自分がいたからなんだって思えました。


世の中、逆算して何かを目指すことが大切という風潮があるような気がしなくもないのですが、僕はその逆算というのが非常に苦手です。

逆算して出した答えは、本音から少しずれることが多いから。
一方で、目的もなくがむしゃらに身体が勝手に動いてる瞬間は、本能のまま、本音に従って生きている感じがして好きなんですよね。

それにも関わらず、ここ最近、なぜか自分らしくなく、これを○○のためにやらなければいけないという思考になっていました。
そんな自分に対して過去の自分が「目的ばかり意識しなくても、なりたい自分のためになるんだ」と教えられたような気がします。


今、がむしゃらにやっただけ、いつかの自分のためになると信じて。
出来る事を、出来る限り、やり続けていきます。


ということで、今日もここまで読んでいただきありがとうございました!
過去の自分に支えてもらえるって、ここまで生きているからこそのご褒美なのかもしれませんね。

そう考えると、長生きしてみるのも悪くないような、そんな気がします。



では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!