見出し画像

シンペディアver1:架空人物事典❶


解説(父):ある時から架空の人名事典をつくり始めました。2020年夏ごとからでしょうか。『ねこねこ日本史』などの影響から歴史(日本史)が好きになり、子ども向けの戦国武将人物事典などを読んだりして興味・知識を深めていきました。家系の系譜や名前が変わったりするのが面白いのかもしれません。作成日時は2020年8月〜11月くらい。

架空家系図(譜):藤原家→細川家

家系図:藤原家→細川家

解説(父):家系図(譜)までつくって(設定)いるのに、この後、登場する人がいないから、なかなか厄介。子が女子しか生まれなかっため男子の養子をもらい家を繋ぐとか、なかなかシビア。

細川元幸(ほそかわ もとゆき)

生誕:1226年9月
死没:1265年
子:足利孝康、足利基氏、足利定康
父母:源実朝、源中幸
兄弟:足利実幸、足利元幸、足利信輝、足利長綱、足利友康
【名前の変遷】源西武丸→源元幸→清原源元幸→細川元幸
【名前の由来】「元」は、細川家代々伝わる名前で、その元をつけているのが、細川末元、細川家元、細川信元、細川影元

宇野桜崎(うの さくらざき)

【略歴】宇野桜碕は、宇野若尾わかおの長男として後に初代当主になる44歳没
宇野桜碕11歳で宇野家当主になり1928年宇野桜崎の長男・長秋を産んだ。1930年、舞倉次男は、宇野中内

細川綱元(ほそかわ つねもと)

【略歴】1226年、源家の次男として生まれた兄の実幸に戦や計算などを教えてもらった。1232年、長女の源定上(信輝)が生まれた。妹の信輝を凄くかわいがった。1246年、元幸が20才で信輝が14才のとき、四男の長綱が生まれた。5代目真野守護代細川家当主細川康長細川家の娘ヵ嫁の細川家の養女の娘(鷹上)細川中元と結婚した…。

細川末元 第2章

時は、1001年、細川家の実家藤原家の6代当主藤原道長が、裏切りその情報を知り怒り、細川家に関係する家に連絡した。連絡先は、田沼家 多賀家 紀野家 大森家 この4家を出した。

細川清千代(ほそかわ きよちよ)

生没:948年〜980年
子:細川貞輝、細川義輝、細川竜、細川丸井、細川丸、細川頼長
父母:藤原藤長、藤原新太郎
兄弟:細川頼幸、細川清千代、細川末元、細川長本、細川氏三
【略歴】948年、藤長と新太郎の次男として生まれた。父の藤原家は、中野国に池永氏、澄宏国には土岐山氏、近江は友定氏、中田に足利氏

細川影直四天王、後の細川影直三十五将

989年、影直の家臣 中野小太郎が、作ったのである。991年と、藤原中広もいっしょになった。 
【主な人物】中野小太郎 、中野小九朗、赤木智勝、朝倉氏長、朝夫進発、安濃正勝、今井三兵衛、今井十信、今田助久

細川景紀(ほそかわ かげのり)

生没:1002年〜1093年
子:祐助、助安、安助、安長、康長
父:影直 祖父:末元 曾祖父:藤長
兄弟:景正、景紀
【略歴】1002年、影直の次男として生まれた。さらに、5代当主になっていた。初代末元 二代家元 三代影直 四代綱植と渡り、15才、1018年、初陣をした。1021年、大野左右衛門「五郎」と戦い、細野国と太田国の大名になった。

足利頼政(あしかが よりまさ)

生没:877年から930年 
子:氏真
父:藤原藤孝 祖父:金保 曾祖父:定座音
兄弟:長政、仲麻呂、富士五郎、頼政、正孝 
【略歴】877年、藤孝の、四男として、生まれた。894年、初陣を、飾った。905年、足利頼政に、改名して結婚した。

細川信元(ほそかわ のぶもと)

生没:995年〜1031年
主君:陰直→家治 
子:元久、元植、義則、円福丸、小五郎
【略歴】信元は、末元の四男に生まれた…。1015年、5男の家慶が生まれ、1006年、信綱が初陣を飾った。1013年、信元と家慶が初陣に飾って、家元の二女、細川信子を嫁にして、1016年、長男の元久が生まれ、1017年、次男の元植が生まれた…1020年、義則が生まれ笑った。1025年、円福丸が生まれちった、1028年、五男、小五郎が生まれた…晩年、1031年、病気で死んだ。

この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?