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一通の手紙に気付かされた、わたしがnoteを書く理由。


どうしてこうも、
逃げたり、回避したりしてしまうのでしょうか。
その答えを、卒業までに見つけてください。
そしてひとつ、頼み事があります。
どうか自分を卑下せず、傲慢にもならず、
正しく見つめて
自分が持つ“中途半端”な種を
満開にしてください。
そして私は変わったと、
実感してから卒業してください。
どうか周りへの感謝を忘れずに。

‪🕊過去からの手紙

便箋を開いたとき、体に衝撃が走りました。
ぞわっとしたような、トリハダがたったような…。

その“一通の手紙”を見つけた瞬間、
時の流れが止まったような、
一人の世界にいるような、
そんな感覚に陥りました。

2021年4月20日 火曜日。

その日に書かれた手紙は、
間違いなく、
わたしの字でした。

🕊やさしい字

いつもは、かくかくした、いかにも書道をしていましたと言わんばかりの、わたしの字。
だけどその手紙の文字は、どこか温かく、やさしさを感じるものでした。

4月20日といえば、私が今年一番苦しんでいたといっても過言ではない時期。

しんどいならなおさら、文字に荒々しさが表れてもおかしくないはず。

この手紙の文字が“やさしく感じた”のには、理由がありました。

🕊自分に託したメッセージ

手紙に書かれていた内容は、
“今が苦しい”とか、
“早く楽になりたい”とか、
そういうネガティブなものではありませんでした。

そこに書かれていたのは、
いつかその辛さを乗り越えたときの、
“自分への労いのメッセージ”と、
“未来の自分に託したメッセージ”でした。

苦しい時期に書いたからこそ、それを乗り越えた自分へのやさしさが、文面に溢れたのでしょう。
そして、
未来の自分には、今の欠点の原因を見つけて、
今秘めているものを開花させて欲しいという、
希望が込められているから、温かく感じたのだと思います。

🕊わたしがnoteを書く理由

紛れもなく、
【自分】から、【自分】へのメッセージなのに、
どうしてこうも心が動かされたのか。

それは、

“わたし”が欲しい言葉は
“わたし”が一番知っている。
“わたし”の苦しさや辛さ、喜びや嬉しさは
“わたし”が一番知っている。
そんな“わたし”が自分に向けて書いた言葉だから。

これに尽きると思います。
自分の苦しさは自分にしか分からない。
他人に分かりきってもらうことは不可能。
逆もまた然りで、他人の痛みを完全に理解することなんて出来ないですよね。
だから私たちは、精一杯“寄り添う”ことで、力になろうと相手に尽くす。

自分が書いた手紙でも、その言葉が自分に響いたのは、“自分を一番知っている自分”が書いたから、
精一杯過去の自分が未来の自分に寄り添ったから
だと思います。

わたしがnoteを書く理由は、
その時の自分の“全て”を通して
誰かに寄り添いたいから。

辛いときも、嬉しいときも、
素直に文字に綴ることで、
“あなた”の心の拠り所になりたいから。

これがわたしが見つけたこたえです。
noteは間違いなく、
わたしから“あなた”、そして“未来のわたし”への手紙です。

🕊手紙の“こたえ”

わたしは、過去の自分から未来イマの自分への
感謝と希望のこもったメッセージに、いてもたってもいられなくなりました。

きっと、
“感じた全てを文字に残しておかなくてはならない”と使命感を抱いたのだと思います。

それで気付きました。
わたしが逃げたり、回避したりしてしまう理由。
エンジン全開の時もあれば、そうでない時もある。
では、その“そうでない時”は、何故やってくるのか。
それは、

“心が枯れているから”

衝動に駆られて動きたくなるような、心躍る瞬間から遠ざかって、塞ぎ込んでしまっている時があるようです。
それは、疲れているからかもしれないし、辛いことがあったからかもしれない。
理由はその時々あるでしょうが、
それは“休むタイミング”を表しているのかもしれません。

そして何か衝動に駆られて動けた瞬間が、
寄り道から戻ってきた瞬間、
休憩所から立ち上がった瞬間かもしれません。

だから今は、その瞬間を逃すことなく、また次の休憩所まで、全力で走り抜けたいと思います。

🕊最後に‪𓂃 𓈒𓏸◌‬

少し長くなってしまいましたが、本日もお付き合い頂きありがとうございました。
いつか親友に言われた、“みんなの心の拠り所”をめざして、これからも日々、ことばと向き合い続けたいと思います。

またここで、会えますように。

感謝を込めて。 琴葉

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