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高次脳機能障害者による高次脳機能障害者のためのものを創りたい

なぜわたしが発信しようという気になったか

わたし達が生きていく世界は
「脳の思考が正常な人達が構成する社会の中」だからだ。

それがどんなに辛く苦しく孤独な道のりか、
【そちら側】の人はわからない。

ただ呼吸を続けることに
こんなに罪悪感が湧くことが
【そちら側】の人は理解し難いだろう。

まずは高次脳機能障害だが、
いきなりその障害を持つわけじゃない。
病気やけがなど脳を損傷する出来事を経て
高次脳機能障害者に至る。

病気!!!けが!!!

まず生き残った時点で奇跡!!

壊れた脳みそと生きるわたし達

生き延びたことが第1のハードルで
それはクリアしたわけだが
第2のハードルは日常生活だ。

病気の治療が終わって、
生き延びれてよかった!おわり
では無い。

病院などで関わりを持つ医療従事者は
患者が退院することで区切りが着くのかもしれないが。

(むしろ、
入院中の痛みや検査やリハビリに耐えることよりも
社会に戻ってからの方がズタボロになった、
わたしは。)

わたし達には日常生活が待っているのだ。
一生、この脳みそと身体で険しい道のりを生きてくのだ。

わたし達は
生きるために日常生活を送っていくわけだけど、
健常な思考の人の中で社会生活を送るのは
とても辛い道のりだ。

理解してもらえない。

当たり前だが。

わたし達の言動に対して
「なんであの人こんなふうに考えるの?」
「なんであの人こんな事言うの?」
「なんであの人あんなことしたの?」

なんで忘れるの?

なんで間違えるの?

なんでわからないの?

理解されない。
理解されないことはわかってる。
簡単に「わかるよ」なんて言われたくない。
でも理解して欲しい。
(どっちだよ)


理解されないだけならまだいい。

社会の中であまりにも異質過ぎると
差別や排除の対象にすら成りうる。
(異質なものを排除しようとするのは、
人間の本能でもある)

孤独。

人間は社会的な生き物だから、
わたしが人間として生活をしていく限りは
常に人間がたくさん居る。

でも、たくさんの優しい人たちに囲まれても
わたしの脳みその理解者にはなかなか出会えない。

だって
わたしの愛する身近な人はみんな【そちら側】だから。

こんなに周りに人間がいるのに
一人ぼっちの世界に閉じ込められたみたいだ。

世の中には自分が思うよりもたくさん仲間がいるって
わたし達は一人ぼっちじゃないよって
発信したかったの。

わたしは社会福祉士だから
高次脳機能障害者の支援者の立場でもあるけど
高次脳機能障害の当事者でもある。

【わたしだからこそできること】をしたいんだよ。
じゃないと、
生き延びた意味を簡単に見失ってしまう。


人間の致死率は100%

わたしは脳幹出血をしてから
死生観がものすごく変わった。

人間ってこんなに簡単に死んじゃう生き物なんだって。
命は永遠ではないんだって。

わたしたちは
病気か事故か老衰のどれかで
いつかは死んじゃうんだけど、
みんなに
幸せだったって死んで欲しいし
幸せだったって死にたい。

人生って短いんだよ。
そして、
身体の自由があって
何不自由なく過ごせる期間はもっともっと短い。


わたしの創造物は
愛すべき仲間たちとそれを見守る人たちのために
贈るプレゼントになると思ってる。
それをわたしの脳みそで実現する。

だから受け取ってね。

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