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わたしの大学生活


「このままでは生きていけない」

障害者になって2年後
「このままでは生きていけない」と考えたわたしは
新たな生きる術を身につけるべく
なんと障害学生として
大学に入学した。

障害者になってから大学に入るなんてどんな思考だよ
とも思うが、
この躊躇いなく爆進するかんじが
高次脳機能障害者だよねー。

待てない。

じっくり考えるというプロセスすっ飛ばしちゃって
入学したい!と思ったら勢いでいく!

目的(大学進学)しか見えてない!
そこに向かって一直線!!

それが高次脳!


茶色(畑)と緑(山)と青(海)しかない。


福祉の大学に入学

わたし、社会人になってから
大学入学したから
同級生が10個も下なんだが。

美容学校いって美容院で働いてたんだが
福祉の大学では、
今まで出会ったことないタイプの子たちと
お友達になった。

いま流行りの草食?いや絶食?系

福祉大生

基本的にみんな優しいんだよ〜

わたしが障害者というのもあるんだろうが、
(車椅子=ひと目で支援が必要な人だとわかる存在)
なんというか、
それだけじゃなくて
何も言わなくても「そこ痛いとこだよね」
っていうのが
わかっているような子たちだった。

雰囲気で察する、みたいな。

あの子たちはまだ18さいだったけど、
たぶん「そういう生き方」をしてきた子が多かった。

だから違和感とか何も無く
呼吸と同じように、他者を尊重して
時には自分を殺す。

悲しいけど、
そういう生き方が染み付いていたんだろう。

口癖「誰か~~~~~~~~」

ちなみに周りの学生たちはわたしが高次脳機能障害者だから支援をしているわけではない

実を言うと、わたしは大学に友達を作りに行く
という概念がまるでなかった。

わたしの目的は知識をつけることであって、
大学に友達を作りに行くことではない。

だから友達作りなど二の次三の次で、
大人だから当たり障りなくやっていこうと思ってた。

※社会人で培ったコミュ力を活かせば
学生生活など問題ないと思ってた(実際問題なかった)

入学前は。


結果的に、卒業した今でも
頻繁に会ったり連絡とったりしてるんだが。

彼らの共通点は
「わたしを障害者として見ていない」
というところにある。

たぶん彼らには
わたしが「高次脳機能障害者」という概念も
きっとない。

対等な関係として成立していて
わたしを見る目は、
あみちゃんは障害者だから助けてあげなきゃ
とかじゃない。

わたしガッツリ車椅子ユーザーだが。

一方的な関係ではなくて
他者から与えられるけど、わたしも与える
という関係が成立していて
すごく心地よかった。

わたしができないことを彼らはできるから
助けてくれるし、
彼らにできない部分もあってそこはわたしが補う、
みたいな関係性だった。

卒業できたの完全に周りの学生のおかげなんだが。

一方的に
ありがとうを言い続けなくてはいけない関係性って、
ありがとうを言い続ける当人はまじで死にたくなる。

障害者は特に
「なにかをやってもらう」→誰かに感謝する
環境に身を置かれがちだと思う。

自分の存在意義がわからない。
わたしの居場所ここにあっていいんだとか、思えない。
なんの役に立ってるのかわからなくなって
消えたくなる。

わたしが人生の途中で障害者になってるから余計
そういう思いが強かった。

助けてあげる方はなんとも思わないかもしれないけど。

「助けてあげた」「いい事した」って
思ってくれるんだろうけど。もちろんありがたい。

もちろん感謝してるけど
障害者の感情って本当に複雑で

できることならなんでも自分でやりたい
って思うのに身体が自由じゃないから。

誰かにありがとうを言い続けながら
この先も生きていかなくちゃいけない。

だから共生したいってわたしは強く思う。

あなたにもできることがあるんだよって
言いたい。

結論:
大学の友達めちゃくちゃ好きなんだが。

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