育った環境でセロリの好き嫌いは決まるのか
私の答えは「NO」である。
なぜなら私は好きだけどキョウダイは嫌いだから。
同じ親から生まれ、離れ離れになることもなく暮らしたキョウダイ。
育った環境は同じと言えるだろう。
そんなキョウダイでも、好きなものや嫌いなもの、得意も不得意もそれぞれある。
人格形成する上で、生活環境は大きく関わっているとは思う。
自分で選択出来る状況か否か、とかなんとか、いろんな要素があるだろう。
でもそれって他人にはわからないことが大半で、わかってもらうには時間も労力も注がなけりゃいけない。
☟少し前の記事でも書いたけど
状況や環境やなんだを端折っていう「普通」はただの主観なんじゃなかろうか。
かといって、日常のちょっとした雑談のなかで一々説明なんてしてられないし、されたら「急にどした?」ってなるし、端折るべきものなんだろう。
いざこざ、ごたごた、争いって、そんな「普通のすれ違い」から始まるんだろうな。
と、夫婦げんかしたという記事を流し読みして至った思い。
「なんでこの人自分の普通が上だと思ってんだろう」ということから書き始めたけど、我が身を振り返ったら身に覚えしかなかったので反省した。
ちょっとだけね。
あくまで、ちょっとだけ。