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noteが書けなくなった理由


am9:00からブルーライト浴びまくって深夜残業ギリ手前で退勤し、またブルーライト浴びながらこれを書いてます、そこまでしてこれを書く必要あるかと言われたらないと思う、誰かに利益を与えるための文章では決してないし、けれど、今まで書こうとせずともあふれ出てきた言葉がめっきり出てこなくなったので、たまには勢いで書いてみる。もしかしたらiPadを買ったせいかもしれないな、とふと思う、プライベートでパソコンを開かなくなったから。パソコンの画面の大きさとタイピングのしやすさが一番、自分の気持ちをよどみなくベストな速さで反映させることができる手段な気がする。

最近は元気です。これまで左脳メインだった仕事が今年度から圧倒的に右脳になったせいで、仕事が終わると脳みそすっからかんになる感じ。でも楽しい。もしかすると、そのおかげでプライベートで右脳をフル稼働させて言葉を吐き出す必要がなくなったのかも。余計なことを考えなくなったのかも、in a good wayで。私は多分飽き性で、小さいことを気にするくせに刺激を求めるタイプだから、短距離走を繰り返す今の毎日にしんどさを感じつつも結構性に合っていると思う。相変わらず流れに身を任せるのが好きです。アウトプットしすぎて中身が足りていない、でもからからの中で振り絞る言葉って無意味だけど本質な気もする。

YoutubeでThe problem with nice peopleっていうのをずっと前に見て、それに結構インパクトを与えられたので最近も良く見返している。最初はいい意味で新しい考えをもらった感があったのだけれど、今はなんだかもやもやする。だって結局声がでかい人が得する世界ってことじゃん、と思って。私は自分がいい奴だとは思わないけれど、自分の思いを表明することで周りがそれに対してとやかく言ってくるのが嫌だからあんまり自分の思ってることを言わないようにしている、それって一番不誠実なのは自覚してるつもりだけど、それがいい奴のふりって言われるのはなんだかなあと思ってしまう、その無駄に繊細な心をどうにかしろよ、スノーフレークが、って思われちゃいそうですが、そういう気質なのは仕方がないですし、もう受け入れるしかないと思っている。最近友達が身内だけの結婚式をやると言っていて、私はそれにすごく救われた、自分の友達をあつめる会なんて地獄だと思っていたから、友達が多い人はそれをやったらいいと思うけどね。


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