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3月4日(水)胸のドキドキ

5万グラムの赤ちゃんは散髪するのも一苦労だ。

大人は大半、ヘアサロンとか床屋さんに行く。仕上がりの上手い下手はあれど、試験を潜り抜けたプロフェッショナルであることに違いはなく、少なくとも一定の技術は確保されている。

だから背後で鋏を扱われても安心して身を任せていられるのだ。

これがもしゴルゴだったら、鋏を持った人間に背後を取られるなんて油断も隙もあったもんではなく、隠れ家的リラックス空間なんて演出されようはずもない。

大人とは違って、赤ちゃんはヘアサロンに行かない。髪を切ってくれるのは身内のモンである。この中の数%はラッキー赤ちゃんに分類され、プロの親が髪を切ってくれたりするのだろうが、ほとんどの場合そうはいかない。

そこらへんの親は鋏を扱うことに慣れていない。持ち方からYouTubeで予習するほどの素人だ。

ドドドドド素人が髪を切るとどうなるか。赤ちゃんは不安でたまらなくなる。むしろ大人だって不安だろう。鋏を持ったドドドドド素人に背後を預け、髪を切られることの怖さといったら。

今までにも、ざっくり耳までいかれそうになったことは一度や二度ではないのだ。文明開化の音がするくらい散切り頭にされたこともある。赤ちゃんといえど乙女であり、武士の端くれである。散切り頭は屈辱であり、シンプルに悲しい。

そうして5万グラムの赤ちゃんである私は、髪を切るのがすっかりイヤになってしまった。31歳からのイヤイヤ期だ。きっとこんなん誰だってイヤだ。プロに切ってもらいたいけど、人に会うと病状が悪化するのでそれもできない。なんという苦境だろう。

散髪の準備が整って、布団から出ようとするが、胸がドキドキして止まらない。深呼吸、伸び、瞑想、できることは全部した。

「動悸息切れ気つけに、救人救心♪」

気分転換に某CMソングを歌うなどしてみるが、緊急事態を察知して乱れ始めた自律神経は落ち着くことがない。交感神経マックス、『VR野生』のプレイ中なら完全に狩猟モードに突入しているであろう、神経の逆立ちよう。

「ダメだ、このままでは散髪できない。少しでも心を安らげなくては……」

何か癒やしになるものをと、目に入ったのが『すみっコぐらしコロコロラスク』の空き袋だ。すみっコぐらしは副交感神経を司る大切な癒やし要素である。

どうかこのドキドキを鎮めたまえ……!

パステルブルーのパッケージを隅々まで眺めて、可愛さを再発見する。旅行用トランクの周りでお出かけ着を着て、楽しそうなすみっコたち。これからどこへ行くのかな……?

イラストの片隅に、控えめなローマ字で、「Doki Doki」と、そう書かれていた。

「ドキドキやって……!?」

このぬいぐるみみたいに可愛いキャラクターたちは、みんなドキドキしてる。旅という新しい体験に、心を踊らせて、胸を弾ませて、その表現として「ドキドキ」という言葉が使われている。

「そうか、ドキドキって、良い意味でもあったのか……!」

ドキドキ=不整脈、という限定的な印象しか持てなくなっていた私にとっては、新たな解釈との衝撃的出会いだった。

「ドキドキって悪いことばっかりじゃないんや。そもそも散髪って、ドキドキするもんやったやん。可愛くなるかな、綺麗になるかな、新しい自分になれるかな、そんな楽しいドキドキイベントのはずやったのに……!」

気が付けば散髪も不整脈イベントと捉えてしまっていた。楽しいはずのことの、いくつとの楽しさを自然と忘れていく。ずっと狭い世界で暮らしていると、だんだん視野が狭くなってくる。

自分とは違う、別の世界を見せてくれるから、物語は素晴らしい。すみっコぐらしだけじゃなくてもいい。物語を通して、知らない感情、忘れた感覚、いろんなものを感じていきたい。

その後、台所で髪を切った。

切っている間はやっぱり不安でドキドキで怖かったけど、そんな時は『コロコロラスク』の袋を眺めて、「ドキドキはいいこと!ドキドキはいいこと!」と念じることにした。

目が痛くなるほど真っ青なビニールシートに、半年分の髪の毛がバサバサと落ちて、終わった頃には頭が軽くなっていた。

髪を切るたびに思う。

「重かったのは自分の頭じゃなくて、髪の毛の方やったんやな」って。


〜『5万グラムの赤ちゃんの日記』より〜


【↑読みものここまで】


【↓個人的なできごと記録】

noteへの投稿を「読みもの」と「個人的なできごと記録(日記のようなもの)」に分けてから、執筆のペースが掴みやすくなった。

特に読みものの分は、日によっては結構うまく書けることも増えてきて、満足度も上がる。新しいお薬のおかげで手の痛みが和らぎ、(タッチペン使用で)スマホを触れる時間が少し長くなったからかもしれない。と言ってもある一定の時間以上触ると痛くなるのは変わらないけど。ちなみに手だけじゃなくて腕も背中も脚も痛くなります。

そういう意味では既に人よりハンデを負っていることになり、元々そこまで書くのが早いわけでもないのに執筆に時間を掛けられないのは損である。自分の最高のパフォーマンスを出せる状況には程遠く、ボロの布と木の棒で冒険に出ているようなものだ。とはいえ無いもののことを言ってても仕方ないので、できる範囲で楽しく書ければそれで良いなと思う。

「cakesコンテストに応募する作品を書き始めた……」と以前言ってたけど、アレはボツにした。コンテスト用に書くって、よくよく考えると違和感のある行為だから。

毎日こうして読みものの部分を書いてるんだし、上手く書けたものがあったら、それにタグを付けてコンテストに応募できればそれでいいかなと思う。そもそも、今すべきことは治療であり、作家を目指したり仕事をすることではないはずだ。

あと単純に、「仕事」というものが、社会福祉の制度上、病人にはたぶんできないだろうというのがある。障害年金(厚生年金や国民年金の加入者が病気などになったときにもらえるはずの年金)とか、もらいたい保障が色々あるんだけど、壁が高すぎて何度申請してももらえておらず、もしも親になんかあったら路頭に迷うしかないやんという、将来的な不安もある。ここでやっぱり「働けない」という事実がないと、病気に対する保障ってもらいにくそうようである。

仕組み自体についてはおかしなことだとも思う。働けたとしても働けなかったとしても病気であることに変わりはなく、受けたい保障も変わらないからだ。病気でも補助があれば働けるというラッキーな人からも、働く意欲を削ぐ原因にもなりかねない。

そういう意味では、自分もギリギリ文章を書けているのに、書く仕事を得る機会を失っていることになり、なんなんだこの世の中……

なんてことをここで言っても世の中は変わらないので、何か物申すならばアンジェリーナ・ジョリーくらい有名にならなければなぁと思う。めちゃくちゃ美人に生まれていたら良かったのになぁ、公共の利益のために……。美人すぎる病人でもなんでもいいから、多勢が騒いでくれたら仕組みなんてかんたんに変わる。そういう意味ではだから作家を目指そうと思ったのに……なんて無力のんだ……

なんの話?

あとは、よく眠れるお薬が少し効果があるみたいで、飲み始めてからこれといった悪夢を見ていない。悪夢がないと食いしばりもない。頭がモワッとするので、加湿器の位置も足元に変えた。

ねむ……

おわり

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞