どんよりイギリス記|人見知りだった私が留学でちょっとだけ前を向いた話。
大学を卒業してすぐイギリスに留学した。もとい、すぐと言っても五月末の出発だったので時間に全然余裕はあった。当時の私は人生に対してまるでやる気がなく、せっかく行けることになったイギリス留学もさほど楽しみにはしていなかった。タイムマシンがあったら頭をハリセンでバシバシ叩いてやりたいくらいだ。
とはいえ私にも無気力の理由は様々あり、要するに人生がつらかったのである。自分に全く自信がなかったため大学四年生の就職活動もろくにしなかった。私みたいな人間が受かるはずがないと思っていたし、そもそも面接で大きな声を出すことすらも怖かった。コミュニケーション能力に問題があったのである。
大学に入学したての頃、サークルで出会った同級生とロッテリアに入り、一言も話さないまま退店したことがあった。自分でもそれほどに話せない事が驚きだった。高校では三年間クラス替えがなく、部活でも普通に上手くやっていたし、普通に発言できていたのに。
私は大学に来てやっと、子どもの頃に受けた傷が癒えていなかったことに気がついた。内容はまあ、インターネットが発達した今ではありがちなようなことだ。そうは言えども人一人の人生が歪んでしまったのだから見逃せない問題である。
やる気のなかったイギリス留学だが、せっかく行くからにはちゃんとしたいという思いもあった。合計十一カ月の滞在でどれだけ英語が上達するだろう。高校は英語科に行っていたが、周りの優秀さにやる気を失った私は中学以降、英文法というものを真面目にやったことがなかった。大学は全く関係のない学部に進んだため、英語とはすっかり疎遠になっていた。
イギリスについてから私は「日本語を絶対話さない」という鉄の掟を自分に課した。語学学校には日本人が五名ほどいて、みんないつも日本語で喋って戯れていたので、「私はここに混ざってたまるものか」と謎の意地を見せ、違う国の生徒たちと関わるようにしていた。
今思えばもっと柔軟にやれよという感じで、確かに日本語を話さないのは半分正解な気もするけど、そんなことよりコミュニケーションも大切にしたほうがいいに決まっている。私はやっぱりコミュニケーション能力にどこか欠けていた。
日本を出発する前に家族と険悪な状態になったため、悩みを相談できる相手もなくホームシックにもなれなかった。一人きりで徐々にフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。五カ月ほど経った頃には自ら鉄の掟を破るようになっていた。もっとも、満足に喋れない英語で異国出身の友達に悩み相談をしたり、いろんな話をしたため、既にある程度英語力が上達していたのは確かである。
本来であれば十一カ月間ずっと地方都市に滞在する予定だったが、あまりの田舎っぷりに途中で飽きてしまった。語学学校には学年みたいな概念がなく、何週間でも何ヶ月でも、生徒は自由に入学と卒業を繰り返す。そのため最初の頃に出会った他国のメンバーはみんないなくなっていた。取り残されるのは寂しいものだった。
私はロンドンに拠点を移すことにした。語学学校がたまたま支店のような形でキャンパスを各都市に抱えていたのである。田舎暮らしに別れを告げ、大都会ロンドンで華々しい生活を送るのである。元の学校に残っている仲間たちは別れを惜しんでユニオンジャックにメッセージを寄せ書きしてくれた。
冬のロンドンは暗かった。日が短く、いつもどんよりとしていた。学校は悪いところではなかったけど、田舎校舎のような開放感がなく、なんだか居心地が悪かった。下宿した家は日当たりが悪く、そのうち季節に引っ張られるようにして私もどんどん暗くなった。あれは鬱だったのだと思う。しだいに学校にも行けなくなり、ご飯も食べずに部屋で寝ていた。お風呂にも入れなかった。
ロンドンでは日本人の友達が多くできて、調子がいい時は鉄の掟なんて関係ないとばかりに遊びに行った。みんなといる時は笑顔だったけど、家に帰ると泣いてばかりいた。なんだか無性に死にたかった。なんだこの留学記は。暗い、暗すぎる!
よく発言小町などで「鬱の友達が楽しそうに遊んでいるのが気に障る」という相談を見かけるけど、裏側ではどう過ごしているかなんてわからないものだ。人はオンオフで態度を変えるものなのである。だって気を遣うから。気を遣うから鬱になるのだ。
やがて長かった冬が終わっていった。学校はサボりつつも、鉄の掟の成果があったのか、一応は日本人の中では一番英語がわかるようになった。春が近づくにつれて私はどんどん活動的になり、それと同時に留学期間も終わった。そして四月頭、私は日本に帰国した。
帰国してから私は変わった。せっかくの機会をなんて無駄にしたんだと猛省し、自力で英語の勉強するようになった。ついでに激太りしたのでジムに通い、メイクと髪型とファッションを総入れ替えした。遅すぎる意識改革である。私は自分の自信のなさに嫌気が差したのだ。だって海外の友達はみんな自信と行動力に溢れていたから。それより何より、こんなんじゃ世界で生きていけないと焦っていた。
イギリスの語学学校では先生以外に英語のネイティブスピーカーがいなかったため、非ネイティブの学生同士で通じる程度の英語しかわからなかった。どうにもリスニングや言い回しの理解に伸び悩んでいたため、日本では外国人の友達、特にネイティブスピーカーとの接点を持つように努力した。
とにかくホームパーティーに参加しまくり、YouTubeでインタビュー動画を見たりイベントに参加したり、英語教室に通ったりしているうち、少しずつ英語は上達していった。高校時代も留学時代も自分の不真面目さを悔いていたけど、やっと自力で目標に到達できたような気がした。そうやって武者修行を繰り返しているうちに、人と関わること自体も怖くなくなった。
その後は東京に上京して、英語を使う仕事にも就くことができた。やればできるのだという自信がついた。コミュニケーション能力は、やっぱり大きな声を出すのは嫌いだけど、それは属性の問題ということで許容範囲レベルに到達。根本的なところでは人見知りだけど、別に普通の会話なら問題もなくなった。人と出会うのが楽しくてmeet upにも参加したり、そこで友達ができたりと、ようやく人生を楽しめるようになった。
あれから何年もの時が経って思うけど、私ってもしかしてイギリスが性に合ってなかったんじゃないだろうか。イギリスが好きだったし、憧れていたし、実際そうなのだけど、それにしても冬の私はどうかしていた。あの時はつらかったなぁ。狭くて暗くて古い部屋で一人ぼっちだった。住環境は大事だよ。
ここまで書いて何が言いたかったのか。それは私にも正直わからない。だけど英語が分かるようになって世界が広がったのは確かだし、一人でヨーロッパを旅行したり、旅行の手配も自分でできるようになったり、楽しい体験がいっぱいできた。価値観も変わって自分に自信もついた。新しいことに挑戦するのが怖くなくなった。
なんだか暗めの文章になってしまったなぁ。いつもはもう少しジョークを盛り込むようにして書くのだけど、真面目な内容でおちゃらけるのは難しかった。
引っ込み思案で自信がなかった私を変えてくれた場所、それがイギリス。またいつか見に行ける日が来るといいなぁ。
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