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武田鉄矢と段差と弱音

私は武田鉄矢。いいや違う、私は武田鉄矢によく似た女。伸びきった黒髪がボサボサに絡まる様はまるで金八先生のようだ。どういうことだ。伸びきった髪というのはラプンツェルのように美しいはずではなかったのか。私はなぜ塔の上のラプンツェルになれなかったのか。なぜ私は、もとい鉄矢は今日も物思いに耽るのだ。塔の上で。というか、実家の二階で。

いくら武田鉄矢だってたまには弱音ぐらい吐きたくなる。考えないようにしていたけど、そろそろ春が来る。冬の間は寒かったから家にいることがまあまあ自然なことのようにも思えたけど、こう陽気が良くなるとどうしたって外に出たくなる。

鉄矢は去年の四月からずっと家の外に出ていない。ただの一歩も。理由は様々あるし、つい最近までの理由はそもそも体が動かせなかったからだけど、ちょっとだけ調子が良くなってきた今、当然の欲求として外に出たいという思いが湧いてきてしまった。さりとてその願いは簡単には叶うこともなさそうだ。

鉄矢は段差に悩まされている。我が家は現代日本の住宅環境からは全く想像ができないほど構造が古く、増改築を繰り返したためもあってか、中にも外にも段差が多い。玄関先には石畳や高低差があって足場も悪い。これではまるで車椅子に乗ったまま外に出るなどということは出来そうもない。

鉄矢は三十歳にしてバリアフリーの重要性を痛感している。住宅系の番組が好きでよく見るのだけど(『渡辺篤史の建もの探訪』とか)、ああいう番組に出てくる四十代くらいの若いご夫婦が建てた家は、オシャレさを重視するあまりに段差が多い傾向にある。気合いでなんとかなると思っているのだろうけど、はっきり言って段差というのは気合いでなんとかなる問題ではない。年を取ってから家を建て替えるなら見た目重視もいいのかもしれないけど、そうじゃないなら絶対に段差は撤廃すべきである。

鉄矢は段差に断固反対!!! 段差は日本を滅ぼす!!! 過激な政治本のタイトルみたいになってなってしまった。鉄矢は平和を愛しているはずなのに。段差は無益な争いまで生んでしまう。

ああ憧れのバリアフリー。鉄矢meetsハウス、バリアフリーの神様、きっとあなたを感じてる。鉄矢meetsハウス、バリアフリーの神様、この家でしょうか???

エレベーター付きのマンションに住んでいる人が猛烈にうらやましい。もしも私がエレベーター付きのマンションに住んでいたならば、車椅子に座って、押してもらって、そのまま座ったまま外に行けるのに。別に「外に行く」と言ったって、世間一般に言うような外出がしたいわけでもなく、車椅子に座ったまま数分、外の風を感じたいだけだ。

なのに呪われし段差のせいで最初から出鼻をくじかれている。わずか一センチぐらいの段差ですら車椅子では乗り越えるのが大変で、廊下と台所の間にそういうささやかな段差があるせいか、一年間で一度しか台所にも行ったことがない。一年間で一度しか台所にも行ったことがないってどんな人生だよ。全くもって呪われている。人生がときめかない段差の呪いだ。段差に全てを支配されている。

そういえば階段も段差の連続だと言える。我が家の一階から二階にかけての階段は確か十三段。今の私にはこの十三段を昇降するのも一苦労だ。後ろ向きの方が楽なので、手すりを支えに一段一段そろりそろりと降りている。そろりそろり。私は和泉元彌か。武田鉄矢にして和泉元彌なのか。

車椅子なのに階段は登れるんかいと思われそうだけど、それにもいろいろ事情がある。理由を全部説明するのはあまりに大変な上に結局分かってもらえなさそうだけど、とにかく一日二回のお風呂のためだけに一日二回だけ階段を昇降している(お風呂は一階にある)。

我が家には二階の自分の部屋以外に私が生活できるスペースはなく、また物音が体調を左右するため一番静かなこの部屋で過ごす他ない。あと一階は寒い。一日にそう何度も階段を登れるわけではないし、普通のベッドや椅子では硬くて身体を休めないので一階に滞在する余裕はなく、お風呂以外は自分の部屋にずっといることになる。室内飼いのペットよりずっと同じ部屋にいると思う(ハナコがキングオブコントの決勝で演った飼い犬のコントの気持ちがよく分かる)。

そんなこんなで私は自分を「塔の上のラプンツェル(もとい、武田鉄矢)」と呼んでいるわけだけど、もう本当に、この先どうなるんだろうな。こういう風に心が乱れてしまっているのは全てさっき医療関係の番組を見てしまったからだ。テレビの中の人はとある病気で適切な治療を受けて元気に人生をやり直しているのに、私には適切な治療も特になく、そもそも謎の奇病だし、そういう現実に直面するとどうしても混乱してしまう。

未だに「治る人と治らない人がいる」という現実を受け入れられないでいるらしい。どうしてこの人は治るのに私は治らない側なんだろう。悔しいやら羨ましいやら嫉妬が止まらんやらで(もちろん治って良かったねぇという優しい気持ちもある)、感情がかき乱される。だけどねぇ、そう思わない人なんていないと思うよ。もしも同じような状況の人がいたら、あなたの苦しみは真っ当なものだと言ってあげたい。

病気なんてきっとそんなもんなんだ。苦しいのも悲しいのも当たり前なんだ。人生には苦しいことも悲しいこともあって、それでもどれだけ楽しいことや嬉しいことを自分で作り出せるかが大事なんだと思う。テレビの中の人は病気をしながら泣いて泣いて、心の薬も飲んでいた。だけどどんなに大変だって笑うことだってできるんだと思う。とか言ったらこれこそまさに「気合い」の話になってしまいそうだなぁ(気合いで段差は乗り越えられないとあれほど言ったのに)。

塔の上の武田鉄矢。
私の春はまだ始まったばかりである。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞