更新滞りのお詫びと近況。避妊せず性交していた母子が妊娠検査薬を使ったら陽性が出た話。
暫く更新が滞っていました。
いつもお読み頂いてご心配頂いていた方がいらっしゃればお待たせして申し訳ありませんでした。
ここ1か月ご無沙汰していた間のことを書きたいと思います。
更新が滞ってた理由は主に3つです。
一つ目はありきたりな理由でつまらないですが、
仕事が忙しくなったこと。
詳しい職種は申し上げられませんがコロナ関連に加えて、
オリンピック関連でもバタバタすることが多くなり、
頭の中で整理して文章を書く時間が取れなくなっていました。
二つ目はタイトルにもあるとおり、
母に妊娠の兆候があり話し合いや検査などに時間と精神的なキャパシティを割いており、
余裕がありませんでした。
noteで公開している体験告白でもそれとなく触れていますが、
私と母はセックスの際にほとんど避妊をしたことがありません。
最初の一度こそ避妊具を着けての行為でした。
母親と息子の私が愛し合ってセックスすること自体、一般的な感覚で言えば大きな禁忌です。
でも私はそれだけでは満足できずにゴムを付けずに母親とセックスすること、
そのまま妊娠の可能性のある母の中に射精すること。
私はそれを強く望んでしまいました。
上手く説明できませんが、何故だかそれが母と私の関係や行為の終着であり、
それによって母が本当の意味で自分のものになるような気がしていたんです。
そして本当にその行為が叶った時、思っていた以上の肉体的な圧倒的な快感と精神的な満足感が、
私に訪れました。
それはきっと私だけではなく母にとってもそうであったと思います。
それ以来、母から避妊具をつけるよう求められたことはありません。
最初に交わった時は念押しして避妊を求めていたはずなのに。
こんなことを言うと元も子もありませんが親子で、
それもお互いが求め合ってするセックスにはそういう一種の呪いのようなものがあるのかも知れません。
とにかく親子で、生で粘膜を擦りながら交わり合うこと。
奥深くに入り込んだまま母のお腹の中に射精すること。
それにお互いが深い興奮と快感を覚え、何年もの間、飽きることなく繰り返し続けていたのは事実です。
幸か不幸か、そんな危険で忌むべきことを繰り返していたのにも関わらず実際に母が妊娠することはありませんでした。
40代という母の年齢のせいなのか、もしくは私の精子に何か問題があるのか。
調べてもいないですしそこまで結果を求めて交わっていた訳でもないので、さして気に留めていませんでした。
ただ、このnoteを書き出してから私に心境の変化が訪れました。
母との経緯を細かに思い出し書き出していく度に、
母を思うように抱けるようになる前に抱いていた欲望や渇きのような気持ちが激しく甦ってくるようになったのです。
決して母に飽きていたということではありません。
このようなことをしなくとも母との生活や交わりには大きな満足感を感じていました。
変わったのは最初の時のような執着や禁忌を破っているという異常な興奮が戻ってきているような気がしたんです。
noteを書いている時。
書き終わって更新する時。
性欲が抑えられず何度も母を抱きました。
我慢が出来ず咥えて貰ったままで書き続けたこともあります。
そういう当時の異常が興奮が戻ってくると同時に自分の中の願望とも再び向き合う良い機会でもありました。
何故母とのセックスでこんなにも膣奥に射精したくなるのだろう。
何度も考えて結論に達しました。
私は、私の本能は母という女を妊娠させたいのだと。
今年の4月頃でしょうか。
noteを書き出して自分の本心に気付いてから、そのことを母にも正直に話しました。
元々避妊をしていないのに今更と思われるかも知れません。
ですが、今までの私と母は快楽に思考と身体を任せて現実的に起こりえるだろう妊娠という問題からある意味で目を背けていただけでした。
精神的な話ですがハッキリと気持ちの上で母親のあなたを妊娠させたい。
性的な興奮の中の勢いではなく、本心からそういうつもりで抱いていると改めて伝えたかったんです。
私の気持ちを伝えられた母もまた正直な気持ちを話してくれました。
今まで膣内で射精を幾度となくされても妊娠に至らなかったように現実には年齢的に妊娠が難しいであろうこと。
ただ、勢いではなくハッキリと好きな男性からそう言われるのは凄く嬉しいことだと言って気持ちを受け入れてくれました。
それから3か月、私たちはその気持ちを持ってほぼ毎日身体を重ね合いました。
私は母に射精する時に必ず「妊娠して」「妊娠しろ」と声を掛け、母もまた息子の私にねだるように「妊娠させて」と囁いてくれました。
今まで以上に気持ちと身体が一つになっていることを感じる幸せな時間が続きました。
そうして迎えた7月中頃、母の生理の予定日。
普段遅れることの無かった生理が来ることはありませんでした。
1週間、2週間が待ってもそれはありませんでした。
この期間すごく色々な想いや思考が駆け巡りました。
それは本当に大変なことをしてしまったという恐怖や罪悪感であったり、
母親を女として愛するということをある意味で貫き通し形になったことへの達成感と喜び、
自分の精子と母親の卵子が結びついたのだという非現実的な出来事への性的な興奮であったり。
一言では表せません。
それをひっくるめて同じ様に悩む母に、もし妊娠していたらしっかりと認知したい。
妊娠していたら結婚しようと言いました。
戸籍上夫婦になることは出来ませんが母子の間の子を2人の子として認知することは日本の法律でも可能です。
生まれてくる子の父と母として夫婦になりたいと思いました。
暫くの間、悩んでいた母ですがもし本当に命を授かっているなら堕ろすことは出来ない、
好きな人との子なら尚更・・と私の申し出を受け入れました。
そうして気持ちを固めた私達は8月の月初に薬局で買った妊娠検査薬を使いました。
結果は陽性でした。
その夜、久しぶりに外へ出て2人きりでお祝いをしました。
(コロナ事情もありますしこれからの母の身体を考えて郊外の個室のお店です)
戸惑いながらも嬉しそうな母の仕草がとても愛おしく感じました。
それから数日して産婦人科に行きました。
妊娠検査薬の結果を見てからこの日まで、今までにない程に母との時間に幸せを感じた日々でした。
しかし、診察結果は私達の決意や幸せな気持ちを大きく裏切るものだったのです。
結論から言うと母は妊娠していませんでした。
お医者様の話だと閉経が近い、もしくは閉経している時に検査薬を使用すると誤陽性が出る場合があるそうです。
私も拍子抜けしてしまった部分はありましたが母の落ち込みはそれ以上でした。
高齢でチャンスの少ない中で子供を授かったと思ったら、間違いと言われて。
それどころか閉経という子を望む女性にとってはショックなことを告げられたのです。
幸い、お盆前に生理が来て完全に閉経している訳ではないと分かったのですが・・
それでも母は未だに少し塞いでいる状態です。
0に等しい可能性かも知れませんが2人でもう一度頑張ろう、
例え妊娠できない身体になっても愛している気持ちには変わりはない。
そう訴えて立ち直ってくれるのを何とか支えようとしている毎日です。
このことが更新が滞っていた2つ目の理由です。
3つ目はまた別の記事で語りたいと思います。
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