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源頼政〈転生記外伝〉

頼政は一貫して『源氏のため』を想うてきた。

平治の乱でも当時の源氏の棟梁である源義朝と袂を分けてでも敵方となった。

理由は傍観していた平清盛が藤原経宗一派に急遽加勢し、藤原信頼派として支えていた源義朝は一挙に不利となり、もう大勢は決していたからだ。

これ以上の争いは源氏自体の滅びに繋がってしまう。頼政は藤原信頼の元を離れ藤原経宗へ身を寄せた。

源義朝は平清盛の風下に立つことは良しとせず、最期まで抗った。結果、死を招き、主だった義朝一派は死を共にするか幽閉された。

清盛の慈悲故か年端もいかない義朝の遺児たちは生かされた。その中で一番年上の頼朝は伊豆に匿われた。それ以外の遺児はどこにいるのか風の噂で聞くも定かではない。

頼政は源ゆかりの遺児と聞くや出来る限り養子に迎えたり、援助をし続けた。自分に出来ることをし続けた。

幾年か経つと、ある山伏が頼政の館へ訪れた。弁慶と名乗った。鞍馬寺に義朝の遺児がいるという。名は遮那王。幼名は牛若丸。弁慶は奥州藤原の密命をもって近々遮那王を奥州藤原へ迎える算段らしい。頼政は遮那王の東北への旅路へ協力することにした。

時は流れていくも徐々に平家が暴威を振る世となっていく。頼政は嘆く。このまま平家がのさばり続ける世はいままで各地で永らえている源氏の存亡にも関わってしまうと。

そんな頃に朝廷側もこのままでは良しと出来ない気運が芽生え、後白河上皇の妹である八条院の元には反平家と思える者たちが出入りするようになった。いつしか頼政もその1人となっていた。

保元の乱より丸二十年、頼政は出家をし家督を譲る事を決めた。いままで背負ってきたお役も終える。これからはもっと『源氏のため』へ自分の信じる事へ突き進もうとあたらめて想いを新たにした。



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