見出し画像

Neil Gaiman 「フィクションを始める」

バード大学フィッシャーセンター(そもそも建築自体もすごく素晴らしい建物だから一見の価値がある)記念事業による、ニール・ゲイマン氏の3日連続講義、第1日目。

雑感など、ない。
そうではなくて、ゲイマン氏の"「フィクション」を生みだすこと"、"物語を創り伝えていくこと"への純粋な愛情と情熱への、純粋な感情のみがわきあがる90分だった。

だから以下はいわば、粋感とか、いやもしかしたら直感に近いメモ書きだと思ってもらえたら。語り尽くすことは今日はできないから、きっと何度も波のように戻りながら、彼の言葉に寄せては返っていくことになるという予感を込めて。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・本物の作家は、インビジブル(透明)な存在だ

作家の「作風(スタイル)」が見えていたなら、それはうまくいっていない証拠かもしれない。語るべきは物語そのものであり、そこに作家は介在しない。作家の役割は物語の声を聞くことだ。

・物語は登場人物から始まる

「アメリカン・ゴッズ」は「刑務所帰りの男」がいたらどうするだろうというところから始まった。「What if?」これが全ての始まりとなる。

プロットは多くの場合、すなわち登場人物そのものとなる。登場人物がきちんと作り込まれていれば、彼らは勝手に動き出す(ときには作者が思ってもみない方向にも)し、それは素晴らしいことだ。だから通常私は可能な限り登場人物の外見に至るまで描写を書いてみる。彼/彼女がどんな振る舞いをする人物であるのか、頭の中で映画を作るように考えてみるとよい。

・建築家 対 庭師

建築家は、腰を掛け建築について考える存在だ。
一方庭師は、何かを植えるのだけれども、それがどうなるのかを見極めて、そしてそれからまたその次に、こっちを育てて、それからこれを植えてみよう、と手を入れていく。「小さな紫の何かを植えたつもりだったのにものすごく大きな、イエローの花になったぞ。想像もしていなかったけれどなんて素晴らしいんだ」このセンセーション、この力強いマジックがフィクションであり、実は書き手こそがその最初の読者であって、物語は、神からの贈り物だ。

・書くことにルールはない

あえて8つのルールをあげておこう。
1.  書く
2. 一つ言葉を書いたら、次の言葉を書く。ピッタリの言葉をみつけて、下ろす。
3. 書いているなら、書き終える。とにかく、最後まで書く。
4. 自分が読んだことのないもののように、あえて一旦離れて、そして読んで見る。読んでくれそうな友だちに見せてみる。
5. ここがちょっとと言われたり伝わっていないようなことがあれば、実際その通りだと受け止める。ただし、「こう直したらいいんじゃない?」はたいてい間違えている。
6. これ以上直せない、というところまで手直しする。これで完全かな、というところまで来たら手を離し、次の作品にうつる。立ち止まらないこと。
7. 自分で書いたジョークにウケること。
8. 自分でこうだと言いきれて自信を持って書くことができるなら、何をやってもかまわない。人生もそうかもしれないけれど、ものを書く時にこれは100%真実だ。

物語を、物語られるべき姿で書き出すんだ。誠実に、ベストを尽くして。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?