Wataru Tsuki

昔映画ブログやっててそこから20年。 その後いろいろあって、人の思いはまとめられるのに…

Wataru Tsuki

昔映画ブログやっててそこから20年。 その後いろいろあって、人の思いはまとめられるのに自分の思いや考えは書けない状態に。 最近やっと好きなことができて自分で考えてものが書けるようになってきたので リハビリを兼ねて開設。きっとぐちゃぐちゃ書くと思う。 あ、写真も撮ります。

最近の記事

Becoming a part of you

世間には素晴らしい伴侶がいると聞く。体調が悪いといえば甲斐甲斐しく世話を焼き、記念日には花を贈り、辛い時にはぎゅっと抱きしめてくれる。聞くところによれば、そんな夢のような伴侶/パートナーがこの世には存在するらしい。 あいにくそんなパートナーに巡り会わなかった私は、離婚を経験し、ひとりで子どもを育て、2人目ももう高校を卒業するというところまで時が経ち、そして相変わらず1人きりだ。 私の布団を温めるのは2匹の柔らかくて優しい猫たちだし、くだらないその日の出来事を、卵焼きを口に運

    • 雑記: 隠れんぼのその次は

      年齢を重ねても、自己認識がぐらつくことがある。 中年、いや熟年の自分探しなどと言われることもあり、えてして当の本人たちを除いてはあまり美しいものには見えないようだ。 若者は自己のアイデンティティを探す。彼らはこれから生きる道筋を探し、良き価値を探し、彼らが美しいと思うものを探す。いわば彼らの未来のために自分探しをする。 一方我々年寄りの自分探しといえば、とりあえずその日とその次の日を生き抜くためのものに他ならない。それまで築いてきた地位から解放され、これからをどう生きるかと輝

      • Neil Gaiman: ハメルンの笛吹としての物書き

        Bard大学 フィッシャーセンターのニール・ゲイマン氏講義2日目。 昨日は「フィクションを書くこと」について、その手法と根幹を「若い書き手」(この言い回しについてはこの日説明があった。「年齢が若い」の意味でなく「歴の若い」の意味とのことだ)に伝えることを主軸にしていたが、2日目の講義はより現実に即したものとなった。 はやくから作家を目指していたという、まだ若かりし頃のニール・ゲイマン氏に、ある眠れない夜こんな疑念が頭をよぎったという。 ーーぼくは作家だ。自分が作家だと信じ

        • Neil Gaiman 「フィクションを始める」

          バード大学フィッシャーセンター(そもそも建築自体もすごく素晴らしい建物だから一見の価値がある)記念事業による、ニール・ゲイマン氏の3日連続講義、第1日目。 雑感など、ない。 そうではなくて、ゲイマン氏の"「フィクション」を生みだすこと"、"物語を創り伝えていくこと"への純粋な愛情と情熱への、純粋な感情のみがわきあがる90分だった。 だから以下はいわば、粋感とか、いやもしかしたら直感に近いメモ書きだと思ってもらえたら。語り尽くすことは今日はできないから、きっと何度も波のよう

        Becoming a part of you

          さあ、書いてみよう

          日記を書く人は、よくこう、始めるらしい。 親愛なる日記さん そこまでのおセンチな、いやロマンチックな趣味を持ち合わせたことは人生でないけれど、この20年間仕事以外まともに自分の思いや考えを文章にしたことのない自分にとって、そんな書き出しに近い感傷的な破片が胸に動くのを感じる。 さあ、書いてみよう。 何が書けるかもわからないし それが読むに足るものなのかもわからない。 それでも さあ、書いてみよう。 再出発のこの一稿を Xitterグオメ沼の仲間たちと 素晴らしい言葉

          さあ、書いてみよう